「ほんとに手に入れちまったのかよ! ギリシャの神様方全部を意のままにできる お宝を !? 言っちゃなんだけど、どっかのご立派な王家に生まれたわけでも何でもない、元ごろつきの成り上がり者にすぎないおまえが !? 」
「夕べ戻ってこなかったから、もしやと思ってはいたが、まさか地上で最も清らかな魂を持つ者が本当に面食いだったとは――」
その日、人目につかぬように瞬を山の麓の天幕に連れ帰った氷河に対する仲間たちの第一声がそれだった。
どれだけ好意的に解釈しても、“地上で最も清らかな魂を持つ者”と “地上で最も清らかな魂を持つ者”を手に入れた者に敬意を払っているようには聞こえない その物言いに、氷河は軽い頭痛を覚えてしまったのである。

「星矢、声が大きい。隣りの天幕の奴等に聞こえたらどうするんだ。瞬がここにいることが周りの奴等に知れて ここを襲撃されたら、今の俺たちはひとたまりもないぞ。紫龍、瞬は面食いなんかじゃない。瞬が面食いなら、瞬は俺より瞬自身を選んでいただろう。瞬、恐がらないでくれ。こいつらは口は悪いが根はいい奴――まあ、そんなに悪くはない奴等だ。二人共、俺同様、戦のせいで肉親を失っているから、その分、平和を願う気持ちも強い――」
「へえ、おまえ、瞬っていうのか。俺と同い年くらいかな? ほんとに氷河でいいのか? 氷河は顔の出来はいいけど、どっかの王様でも王子様でもないんだぜ?」
「確かに、この場合、面食いだったのは おまえの方だな。なるほど、こういう清純派が神々の好みというわけだ」
「だから、貴様等、口を慎めと言ってるだろうが! 貴様等のせいで俺が瞬に愛想を尽かされたら、どうしてくれるんだ!」
「氷河。おまえ、俺より声がでかいぞ」
「――」

注意した者に同じ注意を返されて、氷河が脱力する。
仲間の口の悪さのせいで瞬に愛想を尽かされることを 半ば本気で心配して、氷河は瞬の顔を窺い見たのだが、幸い 瞬には 星矢や紫龍の無作法に気を悪くした様子はなかった。
むしろ、聖なる山の神殿にいた時より くつろいだ明るい表情で、本当にただの普通の人間のように にこにこ笑っている。

「大丈夫です。お二人が氷河の身を案じていらっしゃったことはわかります。氷河、本当に声が大きいですよ」
「――」
星矢と同じことを瞬に注意されて、氷河は どっと疲れてしまった。
まさか瞬のせいで、こういう疲労感に襲われることがあろうとは。
それは、氷河には全く想定外のことだった。

氷河を疲れさせた瞬の一言で、星矢は瞬が大いに気に入ったらしく、紫龍もそれは同様。
「確かに、氷河が地上で最も清らかな魂を持つ者に選んでもらったことを ここで公表するのは危険極まりない行為だな。俺たち3人がいくら強くても、この山を取り囲んでいる数万を相手に戦うのは不可能だし、そもそも無意味だ。このことを公表するのは、国に帰ってからの方が賢明だろう。今は、瞬の存在を他国の者に気付かれて瞬を奪取されることのないよう、この場を離れる方法を話し合うことにしよう。小声でな」
「そうそう、小声で」
「ええ。密談は小声が鉄則ですよね」
瞬の駄目押しの一言が、氷河の疲労を更に大きなものにした。


“地上で最も清らかな魂を持つ者”は、驚くほど自然かつ すみやかに、星矢たちと打ち解けてしまった。
まるで10年来の仲間同士だったような空気を作り、間に合わせの木の卓に着いて オリュンポス山脱出の方法を星矢たちと話し合い始めた瞬を、疲労困憊状態で眺めながら、その点に関しては 氷河は ほっと安堵したのである。

星矢たちは、氷河同様、どこぞの国の王でも王子でもない。
生まれ育った村が 他国から流れてきた略奪者たちに襲われた際に肉親を失って孤児になった――現在のギリシャでは 最も一般的な境遇に置かれた者たちである。
そんな星矢たちと ごく自然に接することができてしまえる“地上で最も清らかな魂を持つ者”。
瞬が 普通の ただの人間だというのは事実なのかもしれないと、今になって氷河は思い始めた。

ならば、このまま瞬を自国に連れ帰り、自分が“地上で最も清らかな魂を持つ者”に選ばれたということを公にしない方法もあるのではないか。
そして、ただの恋人同士としての幸せな日々を求め、ひっそりと暮らすことも可能なのではないか。
ギリシャの統一と平和の実現という宿願を諦めれば、そんな生活を手に入れることもできる。
そもそも ここで “地上で最も清らかな魂を持つ者”が誰のものになったのかを公表せず、自国に帰ってから そんな布告を出したところで、誰がそれを信じるというのか――。
皮肉なことに、ギリシャの平和の実現に関与する力を手に入れたせいで、氷河の心中では ギリシャの平和の実現という宿願の価値が薄まり始めていた。

自国に帰ってから“地上で最も清らかな魂を持つ者”が誰のものになったのかを公表したところで、誰がそれを信じるというのか――という氷河の懸念は杞憂に終わった――氷河の希望は叶わなかった。
他国の者たちに気付かれることなくオリュンポス山を離れ、瞬を連れた氷河たち一行が彼等の国の館に帰着した その日、まるでその時を待ちかね見張っていたかのように、ギリシャ全土のすべての神殿に、その旨を知らせる神託が下ったのである。
『ギリシャのすべての神々に愛されている“地上で最も清らかな魂を持つ者”は、テッサリアのカルディツァの領主氷河のものになった。ギリシャの民は、賢明な振舞いをするように』と。

神々がギリシャ全土の神殿に一斉に下した神託の真偽を疑える者は、ギリシャの内にはいなかった。
そして、ギリシャの各都市国家の支配者たちが選んだ“賢明な振舞い”は、おおむね カルディツァの領主に対する臣従の意の表明だったのである。






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