ギリシャの国々は、氷河と氷河の国に対して続々と臣従の意を示してきた。 ギリシャの大国アテナイは なかなか使節を送ってこなかったが、アテナイに並ぶ大国スパルタやミュケーナイは ごく早い段階で氷河の許に臣従の意を伝えてきた。 当然 彼等は氷河と氷河の国に対して戦いを仕掛けてはこない。 以前は常に他国からの侵略を企む者たちに目を光らせていなければならなかったのに、今では氷河の国から争いや略奪行為は一掃され、氷河の国は平和そのもの。 だが、それだけだった。 氷河と氷河の国に臣従を誓った国々は、氷河の国以外の国への侵略・略奪行為は続けていたのである。 無論 氷河がやめろと言えば兵を退くのだが、彼等は そうして退いた兵を別の国に向かわせるだけだった。 それは、氷河が期待していた平和とは全く趣を異にするものだったのである。 氷河が期待していたのは、ギリシャのすべての国々が 戦いの愚を悟り、平和を望むようになることだった。 氷河が欲していたのは、形ばかりの臣従を示す国や領主ではなく、争いを厭う同志だった。 だというのに、氷河に臣従してくる者たちは皆、大人に叱られれば喧嘩をやめる子供――叱られるまで喧嘩をやめない子供のようなものだったのだ。 彼等がいずれ そんな現実が、氷河の苛立ちを募らせた。 彼等が争いをやめないのは、ひとえに氷河の国が小さいから。 氷河が、争いをやめない国々を成敗できるだけの強大な軍事力を有していないからだった。 他国を攻め 自分の支配下に収めるだけの力を持たない氷河は、他国を独立した主権を持つ同盟国のように遇することしかできず、ギリシャ各国の主権は依然として 各国の王の手の中にあったのである。 氷河は、瞬を手に入れるのは やはりアテナイのような大国の王であるべきだったと考えるようになってきていた――考えたくはなかったのだが、考えざるを得なくなってしまっていたのである。 アテナイの大軍が 氷河の国に向かって進軍しているという知らせが 氷河の許に飛び込んできたのは、そんな時だった。 「アテナイが?」 氷河に その知らせを運んできた星矢は、それを喜ばしい情報とは思っていないらしく、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 氷河と共に その知らせを聞いた紫龍も 星矢と同じ考えらしく、一度 低い呻き声を洩らすなり眉を曇らせている。 「兵の数は星矢の見立てで約5万だそうだ。目的地がここなら、一両日中に着く」 「5万……」 それは、氷河が仲間たちと共に治めている領国の総人口に匹敵する数だった。 氷河と氷河の国に まだ臣従の意を示していなかった唯一の大国アテナイ。 オリュンポス山に兵を派遣することもなく、“地上で最も清らかな魂を持つ者”の神託にも無関心でいるようだった大国アテナイが ついに動き出した。 氷河の国に向かって北上を続けるアテナイ軍は紛れもなく現在のギリシャ最大最強の軍で、しかも王自らが直接の指揮をとっているという。 その規模、軍兵の数からして、それが氷河への臣従の意を伝える使節でないことは明らかだった。 これまでのアテナイは、自ら敵を求めることはしない国だったというのに。 大国の自負のあるアテナイは、もしかしたら 氷河の国のような小国に、形ばかりでも臣従することが我慢できなかったのかもしれなかった。 「やはり、こんな小国をギリシャの覇者として認めることはできないか」 こうなれば、臣従の意を告げてきた国々は 事の成り行きを見極めるため傍観者の立場を決め込むことになるだろう。 これでまた、一度決まったかに見えた統一ギリシャの支配者が誰なのかは わからなくなる。 各国の王たちは、ギリシャが再び乱世に戻れば、自分が家来ではなく主人になれる世が現出すると期待することになるだろう。 そして、氷河の国の軍がアテナイ軍を迎え撃てば、氷河の国が負けることは確実だった。 そんな状況下で、だが、氷河は、これで やっと自分にできることができたと、心のどこかで安堵していたのである。 ここで奇蹟を起こせば、氷河は名実共にギリシャの覇者になることができるだろう。 そして、もし氷河の軍が負ければ、そうなるのがギリシャにとって最善だろうと氷河が当初 考えていた事態が現出する。 天上の神々の意を受けた“地上で最も清らかな魂を持つ者”と、地上において最も強大な力を持つ者との結合。 つまり、ギリシャが平和という目的地に至るための最短の道が通じることになるのだ。 勝つにしろ、負けるにしろ、これを最後の戦いにすることが 自分に課せられた務めなのだと、氷河は思った。 |