“地上で最も清らかな魂を持つ者”と“地上で最も清らかな魂を持つ者”に選ばれた者を、アテナイの王はどう迎えるのか。
最悪の場合、問答無用で殺されることを覚悟して、氷河は瞬と共にアテナイの王の陣幕の中に足を踏み入れたのである。
ごく普通の民家が10軒は収まりそうな規模の緋色の軍幕。
即席の小宮殿のような陣屋の最奥に置かれている王の座への通路を作るように、甲冑を身につけた百人近い兵が並んでいた。

兵たちが両脇を固めて作っている道を、臆した様子もなく、瞬がアテナイ王に向かって歩み始める。
氷河は慌てて 瞬の身を守るために 瞬の先に立とうとしたのだが、あいにく氷河はそうすることができなかった。
アテナイの兵たちの剣に阻まれたからではない。
氷河の行動を阻んだのは、アテナイの王その人だった。

彼は、瞬の登場に気付くと 掛けていた椅子から立ち上がり、脱兎の勢いで瞬に向かって駆け寄ってきた――突進してきた。
そして、あろうことか、その勢いのまま、獅子が兎に飛びかかるように瞬を抱きしめてしまったのである。
「瞬……!」
アテナイの王がなぜ瞬の名を知っているのかを訝るより先に、氷河はアテナイの王の振舞いに ぎょっとした。むしろ、あっけにとられた。
甲冑で その身を固めた兵たちは、王の奇矯な振舞いにも無反応。
瞬も、突然自分に飛びついてきた男の腕から逃げようとはしない。
いったい何がどうなっているのかと混乱し始めた氷河の前で、アテナイ王は まるで子供が泣きわめくような声を響かせ始めた。

「瞬! おまえの姿が急に城から消えて、俺が どれだけおまえを捜しまわったか! おまえが、どこの馬の骨とも知れない成り上がりの小国の領主に さらわれ 囚われているという知らせを受けて、取るものも取りあえず駆けつけてきたんだ!」
取るものも取りあえずで5万の兵。
小国の王は その桁違い振りに驚き呆れていいところだったろうが、そんな反応を示すことすら、氷河には許されなかった。
つまり、
「僕は氷河にさらわれたわけじゃありません。僕をアテナイの神殿からオリュンポスに運んだのはアテナだし、僕は僕自身の意思で ここに来たんです。――兄さん」
という、瞬の言葉のせいで。

「兄さん…… !? 」
アナテイの王は、“地上で最も清らかな魂を持つ者”に選ばれた者の国を攻め滅ぼすためにではなく、“地上で最も清らかな魂を持つ者”に選ばれた者から“地上で最も清らかな魂を持つ者”を奪い取るためでもなく、行方知れずになっていた王弟奪還のために、アテナイから遠く離れた この地までやってきた――のだったらしい。
取るものも取りあえず、5万の兵を率いて。
桁が違うのは兵の数ではなく、アテナイの王の弟への溺愛振りだったのだということを やがて理解した氷河は、今度こそ本当に、心底から呆れかえった。






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