流行のドレスや高価な宝石で身を飾るまでもなく美しいシュンの関心は、普通の少女たちとは違う方向に向いているようだった。
ある日――城での生活にも慣れ落ち着いた頃、ヒョウガは遠乗りがてら領地の見回りに行くことを思いついたのだが、そんなヒョウガの許に、ドレスには全く関心を示さず 宝石の一つも欲しがらないシュンが駆け寄ってきて、瞳を輝かせて言うことには、
「僕も一緒に行きたい! ヒョウガのお母様の愛した土地を この目で見てみたいです」
「馬には乗れるのか」
とヒョウガが尋ねると、シュンは、首を横に振って、
「あの……教えてくれませんか」
と答えてきた。
それが、シュンが口にした初めてのおねだり。
普通、シュンの年頃の娘だったなら、そういう情熱は馬よりドレスの方に向かうものなのではないかと、ヒョウガは内心で溜め息をついたのである。
もちろん、シュンの初めてのおねだりを退けることなど、ヒョウガにはできることではなかったのであるが。

厩に、まるでシュンのために用意されていたのではないかと思えるような白馬がいたので、それを庭に引き出して、ヒョウガはシュンに馬の扱いを教えることにした。
馬には触ったこともないというシュンは、だが、全く馬を恐がっていなかった。
その上、素晴らしく勘がよく、すぐに馬の扱いを覚えてみせた。
王妃アンヌ・ドートリッシュも乗馬の巧みなことで有名だったが、その彼女でも、ここまで短時間で乗りこなせるようにはならなかったに違いない。
そんな些細な一事でさえ、王妃の妬みの種になり得るのかもしれないと、ヒョウガは少々複雑な思いを抱いたのである。

「これならもう駈歩かけあしもできるな。庭を一周して、外に出てみよう」
「はい!」
頬を紅潮させ、嬉しそうに笑う笑顔が可愛い。
シュンは全く緊張していなかったし、馬の調子もよかったのである。
常歩なみあし速歩はやあしに、そして、速歩はやあし駈歩かけあしに移行させようとしたシュンが、その小さな白い手で握りしめた手綱が切れるまでは。
「シュン!」

背中から騎乗者が突然消えてしまったことに、馬も呆然としているようだった。
シュンの馬の扱いに無茶なところは全くなかった。
馬も極めて落ち着いていた。
シュンは、馬に拒まれ振り落とされたのではなく、馬の預かり知らぬところで、一人で勝手に馬の背から転げ落ちてしまったのだ。
シュンから一瞬たりとも目を離していなかったヒョウガにも、シュンの落馬は不自然極まりないものだった。

「シュン……!」
ヒョウガが、乗っていた馬から飛び降り、倒れているシュンの側に駆け寄る。
シュンは、軽い脳震盪を起こしているようだった。
馬が落ち着いていたので、蹄で蹴られたり踏まれたりはしていない。
外傷がないことを確認して 一応安堵し、ヒョウガは なるべくシュンの身体を揺らさぬよう注意して、シュンを木陰に運んだのである。

シュンの鼓動は緩やかだが大きい。
ヒョウガは シュンが身につけているはずのコルセットを緩めるために、シュンの胸元に手をのばしていったのである。
(決して、邪まな気持ちなどないぞ……!)
と、なぜか自分に言い訳をしながら。
そもそも、男の格好をするために身体を締めつけるなどという行為は不健康の極みだと、そんなことを考えながら。

シュンが身に着けているブラウスの前をはだける。
そうして、ヒョウガは気付いた――知ったのだった。
シュンはコルセットをしていなかった。
そこにあったのは、どんな貴族の令嬢令夫人より白い胸。
だが、それは少女の胸ではなかった。

呆然としているヒョウガの前で、シュンの睫毛が震え、やがて その目が開かれる。
最初の数秒、シュンは自分の身に何が起こったのかを思い出せずにいるようだった。
「あ……」
己れの身に何が起こったのかを思い出すより先に、シュンは 自分を見詰めているヒョウガの瞳の中にある驚愕に気付いたらしい。
目眩いがまだ残っているのだろう。
僅かに眉根を寄せ、シュンは素早く上体を起こした。
そして、はだけられたブラウスの前を閉じる。

「シュン、おまえ……」
ヒョウガの声は かすれていた。
自分の妻の正体に気付いてしまった夫。
妻に間男がいることを知った夫でも、これほど驚くことはないだろう。
作り出せないのは声なのか、言葉なのか。
ヒョウガはただシュンを見詰めていることしかできなかった。
そんな夫の様子を見て、若い妻は 瞼を伏せ、それからゆっくりと深く俯いてしまったのである。

シュンは、王女ではなく、王子だった。
つまり、シュンは、現フランス国王ルイ13世の血を引く、ただ一人の男子だったのだ。






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