「王妃様は、僕が男子だということに薄々気付いているようなんです」 「それで、王妃は向きになって おまえの命を奪おうとしているわけか」 遠乗りの計画は取りやめることにした。 そんなことをしている場合ではないし、その気になれない。 幸い 怪我らしい怪我のなかったシュンと共に城内に戻る。 人に聞かれてはまずい話になりそうだったので、ヒョウガは密談の場に彼の私室を選んだ。 ヒョウガはシュンに、身体を横にできる長椅子を勧めたのだが、シュンは、ヒョウガに心配をかけまいと考えたのか、あるいは、これから自分が語る物語が横になって話せるようなものではないことを示すためか、ヒョウガに勧められた長椅子ではなく、その横にあった肘掛けのある椅子の方に腰をおろした。 そうして シュンが語り始めた話は、実際、くつろいだ気分で話せるものでも聞いていられるものでもなかった。 シュンが王女ではなく王子なのであれば、王妃がシュンの命を狙う理由は、王に愛された女性と その女性に生き写しの娘への憎しみではなくなる。 それもあるだろうが、王妃がシュンの抹殺を企てることには、もっと実利的な理由があることになる。 王妃は、シュンが どこぞの王子に嫁いで、やがて一国の王妃になる栄達を妨げようとしているのではなく、シュンがフランス王国の王になることを 何としても阻止しようとしているのだ。 フランス王国の王位は、女子には継承権がないが、庶子にはある。 男子でありさえすれば、そしてローマ教皇庁の許可を得ることさえできれば、抜け道はいくらでもあった。 そして、シュンがフランスの王位に就くということは、王の母ではない王妃の存在意義を否定すること。 スペイン王女の務めとしてフランスに嫁ぎ、未来のフランス国王の母となるべく過ごしてきた王妃の22年間を、何の意味もなかった時間にしてしまうこと。 王妃の人生そのものを否定することになるのだ。 「偽装結婚は、おまえを王子なのではないかと疑っている王妃の目をごまかすためのものだったわけか。叔父上が教会での式は不要だと言っていたのは、そういう事情があったというわけだ」 フランス宮廷の実力者といえど一人の人間にすぎないアヴリーヌ伯爵が、まさか神の都合を考慮したわけでもないだろうが、男子と男子に婚姻の誓いを誓われても、神も困るだけだっただろう。 天上のことはさておくとしても、王に王子がいるという事実が公になれば、宮廷には、シュンを王位に就けて利を得ようとする者たちと、シュンを王位に就けないことで利を得ようとする者たちによって 数多くの陰謀が生まれることになる。 ヒョウガにサン・ルーの領地を与えてシュンと共にパリを去らせたのは、宮廷に混乱を招かないためであり、シュンの暗殺を図る王妃とシュンの間に距離を置いてシュンの身を守るためであり、そして、バラデュール侯爵夫人になった女性が一度も宮廷に出ないことの不自然をごまかすためでもあったのだろう。 今のフランス宮廷では、胸元が大きく開いたドレスが主流である。 シュンがドレスを着て、宮廷の舞踏会に出ることは不可能なことだった。 「ヒョウガを騙すつもりはなかったんです。でも、僕が男子だということを知らずにいた方が、万一の時 ヒョウガの身を守ることになるだろうと思ったので……。あの……王妃様が、秘密を知る者の抹殺を図ることもありえますから。僕が男子だということを知っているのは、母と乳母が亡くなった今、父とアヴリーヌ伯爵だけです」 「しかし、王の実子だということを公にしてもらえないばかりか、男子が女子の振りとは……つらかったろう」 「無理にドレスを着せられるようなことはありませんでしたから」 シュンが力無い微笑を口許に浮かべて、首を横に振る。 シュンの気遣いに応えるために自分も笑みを作るべきなのだろうと思いはしたのだが、今のヒョウガには それは無理な話だった。 「それは確かに……ドレスなど着なくても、おまえは絶世の美少女にしか見えないが」 「アヴリーヌ伯爵も そうおっしゃっていました。女子にしか見えないのに、なぜ王妃様は、僕が王子だということに気付いたのかと不思議がっていらした。もしかしたら、侍女として王妃様に仕えていた頃、母が口をすべらせて、母の子が男子と知れるようなことを言ってしまっていたのかもしれません。母の死後、僕が王の子だと知ってから、王妃様は母の言葉を思い出し、その言葉の意味に気付いたのかも……」 「おそらく、そんなところだろうな」 王女なら、憎むだけで済む。 だが、王子なら、その存在を消し去らなければならない。 シュン自身には どんな罪も責任もないことで、シュンは王妃に憎まれ、命まで狙われてきたのだ。 ほとんど恋に落ちてしまっていたシュンが少女でなかったことは大きな衝撃で、ヒョウガの心を消沈させたが、ヒョウガの中では、それ以上に、シュンを守ってやりたいという気持ち、シュンを少しでも幸せにしてやりたいという気持ちが強く大きくなってきていた。 「ヒョウガのために、本当のことは知らせずにおいた方がいいと思っていたし、慎重に振舞うつもりでもいたんです。でも……馬に乗ってみたかったの。普通の男の子がするようなことをしてみたかった。剣の使い方だって覚えたかった。駆けっこや、とっくみあいの喧嘩だってしてみたかった。僕は――」 普通の貴族の子弟が義務のように学ばされることを、シュンは、王妃の目をくらますために、何ひとつ学ぶことができなかったのだ。 本来ならフランスの現国王のただ一人の王子として、叶わぬ望みなど一つもない人生を送ることができたはずのシュンの、ささやかすぎる願い。 その願いが あまりにささやかすぎて、ヒョウガは ひどく切ない気持ちになった。 「ここでやろう。馬術でも剣術でも何でも、俺が教えてやる」 「え……で……でも……」 「ここなら宮廷からも離れているし、多少 羽目を外しても、王妃にも叔父上にも知れることはないだろう。それに、おまえに女の振りをされてると、俺は、陥ってはならない錯覚に陥って まずいことになそうだからな。一石二鳥だ」 「ヒョウガ……でも、僕はずっとヒョウガに嘘をついていたんです……」 だが、それはシュンの意思によるものではないだろう。 おそらく、すべては叔父が企んだこと。 ヒョウガの叔父は、男子であるシュンとヒョウガの間に過ちの起こりようがないことを知っていた。 だからこそ、『大丈夫』と軽い口調で安請け合いをしてみせたのだ。 甥の自制心と騎士道精神を信頼しているなどと、よくも白々しく言ってくれたものである。 叔父が周囲の人間を騙すことでシュンの命を守ろうとするのなら、自分は ささやかなシュンの願いを叶えることで、シュンの心を守りたい。 ヒョウガは、そう思ったのである。 恋を失った衝撃より、苦渋より、今はシュンの心を少しでも慰めたい思いの方が強かった。 |