「さ、瞬は帰らせたぞ。本当のことを話してくれ」
ほとんど嘘といっていいような言葉を用いて仲間を追い払うことまでしても“本当のこと”を知ろうとするアテナの聖闘士たちを フレアがどう思ったのかは定かではない。
ただ、“本当のこと”を話さずに自分がアテナの聖闘士たちの追及を逃れることは不可能だと、それだけは彼女も悟ったようだった。
長く悩ましげな溜め息をひとつついてから、彼女は覚悟を決めたように 彼女の知っている“本当のこと”を語り始めた。

「あの時――アテナがワルハラ宮を訪ねていらした時、瞬さんは一人で一足先にアスガルドに入っていたのではありませんか?」
「え? あ、ああ、そうだけど」
北欧アスガルドに不穏な動きがあるという情報。
状況を探りに行った氷河は、仲間の許に帰ってこない。
事態を重く見たアテナは自らアスガルドに乗り込むと言い出した。
止めても聞くアテナではないことを知っていた青銅聖闘士たちは、彼女を止めはしなかったが、まさか邪悪の巣窟なのかもしれないワルハラ宮に 彼女が滞在するようなことにはできなかった。
そこで彼女の逗留先を確保するために、瞬だけが一日早くアスガルドに入ったのである。
貴人というものは 軽い気持ちで様々なことを思いつき、それを実行に移そうとするが、そのための段取りをつけなければならない下の者は、そのたびに東奔西走することになるのだ。

「瞬さんは、多分、あなた方の到着を待ちきれなかったのです。氷河さんがワルハラ宮にいるという確信を得ていたのかもしれません。夜陰に紛れてワルハラ宮に忍び込び、そして、そこで氷河さんを見付けた――」
「見付けた――って言っても、それは氷河じゃなくミッドガルドだろ」
「ええ」
星矢の言葉に、フレアが つらそうに首肯する。
「瞬さんは、氷河さん――ミッドガルドに、一緒に帰ろうと言っていました。私はアテナの聖闘士がワルハラ宮にいることを知って、アテナへの忠告を伝えてもらおうと思ったんです。でも、ミッドガルドはドルバルの手先でしたから、ミッドガルドのいるところでは迂闊なことはできなくて――瞬さんがミッドガルド説得を諦めて一人になってくれないかと、物陰に隠れて 二人の様子を窺っていたんです」

「当然、氷河は説得されなかった」
だからこそミッドガルドである氷河と拳を交えることになった紫龍が、フレアの代わりにフレアの言葉の先を続ける。
「ええ」
頷くフレアの声は沈痛そのもの。
フレアのそんな様子に、紫龍は嫌な予感を覚えたのである。
過去の出来事を予感するというのも おかしな話だが、それは予感としか言いようのないものだった。

「私、最初は二人が戦いを始めてしまったのだと思ったのです。でも、そうじゃなかった。ミッドガルドが一方的に瞬さんに――」
「氷河が一方的に瞬に何をしたっていうんだよ!」
「星矢!」
それを言いたくないから、アテナの聖闘士たちがこの家にやってきた時からずっと、彼女は つらそうにしていたのだ。
気色ばんでフレアを問い詰める星矢を、紫龍は鋭い声で制止した。
悪いのは彼女ではない。
彼女を責めるのは お門違いというものだった。

「私、助けなければと思ったんです。でも、助けることができなくて……」
それも、彼女がアテナの聖闘士たちに“本当のこと”を言えなかった理由の一つだったらしい。
ミッドガルドの為したことも話しにくいことだが、彼女が瞬を救うことができなかった事実は、それ以上に彼女の心の内に罪悪感を植えつけていたものらしかった。
それは彼女に帰することではないが、彼女が瞬を助けることができなかったという事実は、彼女以外の誰も責任を負うことができない事実ではある。
さすがの星矢も、そのことで彼女を責めることはできなかったのだが。
女性には割り込んでいきにくいだろう。
男が男をレイプしようとしている場には。
ましてフレアは訓練された戦闘員ではなく、非力な一般女性。
そして、一方的に瞬を蹂躙している氷河(ミッドガルド)と 氷河(ミッドガルド)に一方的に蹂躙されている瞬は共に、尋常の人間には持ち得ない戦闘力を備えた闘士――アテナの聖闘士とドルバルの神闘士だったのだから。

「瞬さんは、『やめて』と叫んでいました。『氷河、やめて』と」
「それで瞬は氷河に やられ……為されるがままでいたのかよ」
星矢が呻くように、フレアに問う。
フレアは力なく頷いた。
「ミッドガルドにとっては瞬さんは敵だったのでしょうが、瞬さんにとってミッドガルドは大切な仲間だったのでしょう」
「だからって……」

地上の平和を乱す敵を倒すことにも、瞬は躊躇を覚える。
その瞬に、仲間を傷付けることなどできるわけがない。
だが、だからといって――仲間を傷付けたくないからといって、仲間に傷付けられることに甘んじるというのは、アテナの聖闘士の行動としては間違っている――ように、星矢には思われた。
氷河が氷河でないことは、瞬にもわかっていたはずである。
そして、アテナの聖闘士の第一義は、地上の平和とアテナを守ること。
その目的以外の理由で傷付くことは、アテナの聖闘士には許されないことのはずだった。

「その……すべてが終わったあとにドルバルから招集がかかったらしく――小宇宙を通じてのことのようだったので、私にはわかりませんでしたが、ミッドガルドは その場に瞬さんを残して 広間の方に行ってしまいました。それでやっと動けるようになった私は、瞬さんを逃がしてさしあげることができたのです。何も言えなくて……まともに顔を見ることもできなく、アテナへの伝言も言づけられず――」
「まあ……『気を落とさず頑張れ』とも言えないよな……」
「仲間に乱暴されたなんて、瞬さんは、仲間である お二人には――おそらく氷河さんにも――知られたくはないでしょうし、私は言わずにいた方がいいだろうと……すみません。言えなかったのです」
確かに それは言いにくいこと、言えないことだろう。
瞬のいるところでは特に。
その謝罪が“本当のこと”を隠そうとしていたことに対するものなのか、それとも、話してしまったことに対するものなのかはわからなかったが、フレアはそう言って、瞬の仲間たちに頭を下げてきた。

「あなたが謝る必要はない。だが、だとすると氷河は――」
氷河は、自分が乱暴し傷付けた相手を 自分の恋人だったのだと信じて、このアスガルドの地を探しまわっていることになる。
それは、実に自分勝手な、自分にだけ都合のいい すり替えだが、そのすり替えが(おそらくは無意識のうちに)起こった訳はわからないでもない。
ドルバルの神闘士ミッドガルドは、氷河でできていたのだ。
そして、氷河は瞬を好きだった。
氷河自身、自分をそんな卑劣なことのできる男だと思いたくはないだろう。
すり替えの起こった事情はわからないでもない。
しかし、ミッドガルドでなくなった今の氷河の前には、瞬がいるのである。
瞬がいるのに、いわば もう一人の瞬に執着し続ける氷河の心理は不可解としか言いようがなかった。

ミッドガルドならぬ氷河が 瞬に特別な感情を抱いていたことを知らないフレアが、紫龍の疑念の内容を微妙に誤解して、彼の前で首を左右に振る。
「……本当のことを言うと、なぜ氷河さんが あの時のことに執着するのかが、私には わからないんです。こんな執着――もう半年も、自分が乱暴を働いた相手を探し続けて……。乱暴なんて、好きな人にはできないものでしょう。あの時のミッドガルドが瞬さんを 好きだったのだとは思えません。ミッドガルドは、ドルバルの敵である瞬さんを傷付けるために あんなことをしたのです。なのに なぜ、氷河さんは、自分が傷付けた敵に執着するの……」
「あー……いや、それはさあ……」

フレアの疑念は実にもっともなものである。
だが、それを言ったら、なぜミッドガルドは瞬に対して そんな行為に及んだのかということになる。
敵を傷付けることが目的なのなら、他にいくらでも方法はあったのだ。
もちろん、その第一の方法は命を奪うことである。
アテナの聖闘士としての意識を持っていない氷河に殺されかけても瞬が無抵抗でいたかどうかは、紫龍にも星矢にも判じきれないところがあったが。
だが、少なくとも、仲間を傷付けることと 仲間に犯されることのどちらかを選ばなければならなくなった時、瞬は前者より後者を選んだのだ。
いったい誰のせいで瞬がそんな選択を強いられることになったのかといえば、それは氷河ではなく 氷河を洗脳した者――ということになる。
できることなら、その卑劣な行為を責め なじり、殴り倒してやりたいが、その卑劣漢は既に この地上に存在していない。
他ならぬ天馬座の聖闘士によって倒されてしまったから。
怒りのぶつけどころを見付けられず、星矢はむかむかしながら 投げやりな悪態をついた。

「氷河がアテナの聖闘士でも ドルバルの神闘士でも、相手は瞬なんだし――瞬の具合いが よっぽどよかったんだろ……!」
「え……?」
言ってしまってから我にかえり、それは女性の前で言っていいような言葉ではなかったと、星矢が気まずい顔になる。
「ああ、それは つまり、ドルバルに洗脳されていたといっても、ミッドガルドは氷河だったわけだから、瞬を見て何かを感じるのは当然のことで、倒さなければならない敵を目の前にして、命を奪うことができず、葛藤の末、命を奪うことの次に残酷な方法を選んだということだったのでは? だが、自分が仲間に対して そんな残酷な行為に及んだことを認めたくなくて、氷河の中では “敵”を“恋人”に置きかえる すり替えが行なわれてしまったのかもしれない。氷河が“敵”に執着し続けるのは、良心とか罪悪感とか、そういった心が働いてのことだと考えるのが妥当なのではないかと 俺は思う」

実は氷河はドルバルに洗脳される以前から瞬に特別な感情を抱いていて云々――という“本当のこと”は告げずに、だが嘘もつかずに、紫龍は何とか星矢の失言をごまかした。
『良心のせい』『罪悪感のせい』という言葉は、フレアの耳には快く響くものだったらしく、彼女はそれで氷河の“敵”への執着を納得してくれたようだった。






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