「それで、どーすんだよ、あの馬鹿たれを!」
フレアはそれで納得させることができたが、氷河の方はそうはいかない。
フレアの家を出て、どんな大声をあげても その声を聞くのは紫龍と晩夏の北欧の青空だけという場所にまでやってきてから、星矢は全く声のボリュームを抑えずに、思う存分の雄叫びをアスガルドの空に響かせた。
星矢のそれまでの自制心に敬意を表しつつ(?)、紫龍が長い吐息を洩らす。

「どうするのかと言われても――“本当のこと”を氷河に知らせるわけにはいくまい。瞬が何も言わないのは、氷河がしたことを、俺たちはもちろん、誰より氷河に知らせたくないと思っているからなのだろうし……瞬は氷河を責めたくないんだろうな」
「じゃあ、ずっとこのまんまかよ!」
「ドルバルがいたら、もう一度 氷河がミッドガルドでいた時のことを氷河に思い出させることもできたかもしれないが……今となっては、氷河は自分がミッドガルドでいた時のことを永遠に思い出すことはできないだろう」

そうして、“本当のこと”を思い出せない氷河は、決して巡り会うことのできない幻の恋人を求めて 永遠にアスガルドの地をさまよい続けることになる。
星矢には それは断じて受け入れられないことだった。
だが、氷河に“本当のこと”を知らせることはできない。
氷河に“本当のこと”を告げる権利を有しているただ一人の人間であるところの瞬は、決して氷河に“本当のこと”を知らせることをしないだろう。
氷河を責めないために。
氷河に罪を負わせないために。
だが、瞬が氷河に“本当のこと”を知らせない限り、氷河の当てのない彷徨は終わることがないのだ。
まさに、これは八方ふさがりと言っていい状況だった。

「氷河がワルハラでの恋人を見付けるのを諦めて、瞬一筋だった頃に戻ってくれれば、それが最善なんだが、今の氷河は 自分の意思とは違う力に衝き動かされているところがあるからな。氷河にワルバラでの恋人を諦めさせることができるのは瞬だけだろうが、氷河に秘密を持っている今の瞬に そんなことができるかどうか……。瞬が、そんなことは忘れろと言って氷河に しなだれかかっていけば、氷河の心を動かすことはできなくもないと思うんだが……」
「つまり、瞬が氷河に脚を開いてやればいいんだな! そんで、瞬が、氷河の幻の恋人と同じくらい具合いがいいとわかれば、氷河も馬鹿な執着は忘れて 瞬に溺れていくってわけだ!」
最初に そのフレーズを用いたのは紫龍だったというのに、その紫龍当人が、星矢の露骨な物言いに渋面を作る。
「まあ……そういう類のことをして瞬が氷河に迫れば、氷河はもともと瞬に気があったわけだし、あるいは――ということだ」

渋面を作りながらも仲間の放言に頷く紫龍に、星矢は今更ながらではあったが 奇異の目を向けることになったのである。
「おまえ、ほも反対じゃなかったのかよ」
紫龍は、とりあえず、情よりも義のために生きる男ということになっている。
義とは、人が人として当然 踏み行なうべき道のこと。
少なくとも紫龍は、この一件が起きるまで、氷河が瞬を そういう対象として見ていることを歓迎している素振りを見せたことはなかったのだ。

「今のままの状態が続くよりましだ。敵襲があった時、今の腑抜けた氷河では、戦力どころか足手まといにしかならない」
「なんだ。おまえ、実は、義より利のために生きる男だったのか」
もちろん、それは悪いことではない。
聖闘士にとっての利とは、私利ではなく、人類が生きる地上と人類にとっての利なのだ。
その 人類の利のために、星矢と紫龍は、このまま 手をこまねいているわけにはいかなかった。






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