母を失って自暴自棄になり、かなり すさんだ気持ちになっていた一人の子供を、瞬に天使と思わせた映画。
その映画への氷河の正直な感想は、
『これで どうやって俺を天使と誤解することができるんだ?』
だった。
作品に出てくる天使の姿は皆、中年の冴えない男。
美しくもなければ可愛らしくもなく、強さも清廉も優雅さも感じられない。
天使である中年の冴えない男が なぜか人間の女に恋をして、彼女のために天使であることをやめ、人間になる。
言ってみれば、それだけの映画だった。
瞬に恋する氷河には、それは実に身につまされる映画ではあったが。
たとえば、恋をしたら聖闘士は聖闘士でいられなくなるというルールがあった時、自分は瞬のために聖闘士でいることをやめることができるだろうかとか、瞬は俺のために聖闘士でいることをやめてくれるだろうかとか、そういうことを考えさせられて。

聖闘士になるために費やした長い時間。
聖闘士として仲間たちと共に命をかけた戦いを戦い、その戦いの中で得た多くのもの。
そして、何より、聖闘士としての仲間たち。
たとえ瞬のためにでも、自分はそれらのものを捨てることはできないだろうと、氷河は思わざるを得なかったのである。
それはまた、瞬も同様だろう。
だから、その映画を観て、氷河が最も痛切かつ切実に思ったことは、『二人が同じ目的と理想を持った聖闘士同士でよかった』ということだった。

そんなふうだったので、映画を観たあとに入ったティーラウンジで、ひどく真剣な目をした瞬に、
「氷河は……人間になった あの天使は、人間の世界で幸せになれると思う?」
と尋ねられた氷河は、一瞬 答えに窮してしまったのである。
「あの映画を初めて観た時から、ずっと それが心配だったの。あの天使は、人間の世界で幸せになれたのかどうか」
20年以上も昔に制作された映画の登場人物の行く末を 本気で案じているらしい瞬の様子に、氷河は面食らった。
「初めて あの映画を観た時は、僕は何も知らない小さな子供で、まだ人間じゃなかった。これから 人間になっていく僕と天使を重ねて、僕たちは人間の世界で幸せになれるんだろうかって、それがすごく不安で恐かったんだ。今は、この世界を作っている人間の一人として、僕たちは彼を幸せにしてあげられるのかどうかが 心配でたまらない――」

瞬は、人間になった天使の行く末を心から心配しているようだった。
人間の世界を作っている人間の一人として、元天使の幸不幸に責任さえ感じているようだった。
同じ聖闘士同士でありながら、ここまで 心配するポイントが違う自分と瞬を比較して、自分たちは本当に『聖闘士である』ということしか共通点がないのではないかと、氷河は苦く思ってしまったのである。
「あの天使も、人間の世界を作る人間の一人になることを自分で選んだんだから、自分の幸不幸には自分で責任を持つだろう。だが、まあ……恋というのは、なかなか ままならないものだから……」
本当に、恋というものは ままならない。
それは氷河の心からの溜め息と呻きだった。
途端に、瞬が黙り込む。
その黙り方が あまり唐突で――不自然なほど突然だったので、氷河は訝ることになったのである。
見ると、瞬の頬は蒼白だった。

「瞬? どうかしたのか?」
「氷河……だ……誰かに恋をしてるの?」
「なに?」
昨日 瞬に恋を告白したばかりの男に対して、『誰かに恋をしてるの?』とは。
瞬はいったい なぜそんなことを問うことができるのか。
やはり瞬は自分の告白の意味を全く理解してくれていなかったのだと、氷河は思い切り落ち込んでしまったのである。

しかし、瞬は、氷河のそんな落胆になど気付いた様子もなく――全く違うことで取り乱し始めていた。
「し……死んじゃう……氷河、恋なんかしたら、死んで人間になっちゃう。いいのっ」
「瞬…… !? 」
「人間の世界は……人間の世界は、映画みたいに綺麗じゃないよ!」
「瞬、おい」
「だめ! だめ、だめ、だめっ! 氷河、恋なんかしちゃだめっ!」
「瞬、どうしたんだ。落ち着け!」

ティーラウンジのテーブルは あらかた埋まっている。
見知らぬ他人の目と耳があふれている場所で、声のボリュームを落とすこともなく悲鳴じみた声をあげ、あげくの果てに その瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた瞬に、氷河は唖然とすることになったのだった。






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