深夜というほど遅くはないが、 ほとんど幽霊を探す気分で夜のオペラ座の中を徘徊していたヒョウガは、フレアが舞台の上から 誰もいない客席に向かって何事かを訴えている声を聞くことになったのである。 「シュン、いないの? いるんでしょう? 出てきてちょうだい、シュン」 (シュン……?) フレアは このオペラ座の女王のような存在だが、であればこそ、気安く裏方の者たちに話しかけていくようなことはしなかった。 そもそも、そんなことを、彼女のマネージャーが許さない。 彼女がここで言葉を交わすことがあるのは せいぜい、舞台の出演者、オーケストラの指揮者や演出家、彼女専用の衣装係、化粧係、そして彼女のマネージャーに許された(多くは爵位を持つ)彼女のファンのみだった。 その中に『シュン』という名の者がいただろうかと、ヒョウガは自身の記憶の糸を手繰り始めたのである。 そして、目的のものに辿り着く前に、その行為を中断した。 フレアがこんな時刻、こんなふうに人目を避けて会わなければならない相手が、ヒョウガの見知っている人間であるはずがなかったから。 ヒョウガは音を立てぬよう注意して、舞台の袖の緞帳の陰に身を隠した。 そこにヒョウガが潜んでいることに気付かず、フレアは誰もいない客席に向かって訴え続けている。 「今日、大道具係が話しているのを聞いたの。他の歌はよかったけど、第一幕の『私の名はミミ』のアリアが、真地味がなくて感情がこもっていないって。あの歌は、明るく歌えばいいはずの歌よね? あの時ミミは、まだ不幸な恋を知らない幸福な娘だったのだから」 『私の名はミミ』のアリア。 それは、運命の恋人ロドルフォに初めて出会ったミミが、彼に自己紹介をする場面のアリアである。 貧しく狭い部屋で一人で暮らしているミミが、私の部屋は屋根裏部屋なので春の太陽を最初に見ることができるのだと、ささやかな幸福を歌う、『ラ・ボエーム』第一幕最大の聞きどころだった。 「シュン……!」 すがるような声で、フレアが再び訴える。 その時、『シュン』からの答えを最も強い思いで待ち望んでいたのは、フレアよりヒョウガだったかもしれない。 幸運にも、ヒョウガの熱烈な願いは叶えられた。 「あなたは幸福に憧れたことがある?」 どこからか、あの声――子供のそれのように素朴で飾り気がなく 懐かしい声が響いてくる。 その声を聞いた途端に、ヒョウガの心臓は どくどくと途轍もない勢いで騒ぎ始めた。 鼓動の音が 声の主に聞こえてしまわないように、騒がしい胸の叫びを、ヒョウガは懸命に抑えたのである。 「幸福に憧れる? それはどういうこと? それは不幸になりたくないと願うこととは違うの? 不幸になりたくないと思ったことはあるわ。誰でもそうでしょう」 それを、ヒョウガは、不幸を知らないフレアらしい答えだと思った。 人は誰でも――裕福な者も才能や愛情に恵まれた者も――不幸になることだけはできるものなのだから、不幸を知らないということはフレアの稀有な才能ゆえのことなのだと思う。 不幸を知らないフレアには、どんな罪も非もない。 ただ、不幸を知らないフレアは、他人が不幸なことも知らない。 それどころか、自分が幸福なことも、彼女は真の意味では知っていないのだ。 自分自身の幸不幸に関するフレアの認識は、『私は不幸な人間ではないだろう』程度のものなのである。 だが、フレアの“新しい先生”はそうではないようだった。 「僕は貧しい家に生まれた。生まれた時には既に両親は亡く、兄がひとりいるきりだった。でも、その兄も今はいない。人間がひとりで生きるということがどんなことなのか わかる? 家族も友人もいない自分を想像してみて。今日食べるものを手に入れられるかどうか わからないような生活を想像してみて」 「ひとりきりの私――?」 「そう。あなたは僕だよ。朝、粗末なベッドしかない、隙間風の吹く狭い部屋で目覚める。あなたには『おはよう』を言う人もいない。まだ ほんの子供にすぎない あなたは働くこともできなくて、食べ物を買うお金もない。そういう時、あなたはどうする?」 『ひとりきりの私』も『食べ物を買うお金もない私』も、フレアには想像しきれないものだったのだろう。 彼女には、彼女を愛し守ってくれる家族がいる。 選ばれた上等の友人たちがいて、彼女の友人になりたいと望む多くの人間がいる。 もちろん、飢えたことなど、生まれて この方、一瞬たりともなかっただろう。 それでも、彼女は彼女なりに懸命に“先生”への答えを考えているようだった。 必死に考えて、彼女が見付けた答えは、 「オペラ座に行って、歌わせてくださいと支配人に頼むわ」 というもの。 フレアが必死に考えて出した答えを、フレアの先生は あっさり不正解と判定した。 「あなたはフローリー男爵家の令嬢じゃないの。そんなことをしても、着ている服がみすぼらしいというだけで侮られ、門番に追い出されるのが落ちだよ」 「でも、私の歌を聞けば――」 「それは無理。着ている服が粗末で、偉い人の紹介状もないと、あなたはオペラ座の人に歌を聞いてもらうこともできないの」 そんなことがあるのだろうかと、彼女は“先生”の指摘に合点できずにいるようだった。 懸命に考えて導き出した答えだっただけに、他の答えも思いつけなかったらしい。 フレアは結局、ギブアップした。 「……どうすればいいのかわからないわ」 「僕は、街角で歌った」 「まあ、それはいい考えね! ちょっと恥ずかしいけど……コヴェント・ガーデンの真ん中で歌えば、きっと たくさんの人が聞いてくれ――」 「そんなところで歌ったら、飛んできた警官に すぐに追い払われてしまうよ。僕が歌ったのは、下町の小さな路地裏だよ。そこを通る人たちは大抵 貧しくて――ほとんどの人は、僕の歌を聞いて一言二言 言葉をかけてくれるだけで、お金をくれる人はまれなんだけどね。それでも、時々 少しだけ お金を払って聞いてくれる人がいて、そのお金で僕は ちょっとだけパンを買うことができた。狭い部屋に戻って、そのパンを食べて、そして、ひとりで眠る。小さくて冷たいベッドで」 「そんな寂しい生活、私なら耐えられないわ。そんなことがあるなんて信じられない」 「そうだね。でも、そういう毎日が普通の人もいるんだ」 「けど、そんな毎日は――何か楽しいことはないの? 何も楽しいことはないの?」 「うん」 シュンが――それがフレアの先生の名らしい――寂しく答える。 フレアには想像を絶する生活。 しかし、ヒョウガは、このロンドンに そういう者たちが あふれていることを知っていた。 それでも――だからこそ、あの飾り気のない天使の声を持つ者が そんな日々を過ごしているのだと思うことは、ヒョウガには切ないことだった。 「でも、何かひとつくらいは――それに、そんなふうに困っている人は、誰か親切な人が助けてくれるものではなくて? 人はみんな親切よ」 「あなたのように綺麗で裕福な家のお嬢さんにはね」 「それでも、誰か一人くらい……。貧しい暮らしをしている人を助ける仕事をしている人もいるはずよ。私の家では、毎年 いろんな慈善事業に寄付をしているわ。そんな小額ではないはずよ」 「そういうお金は、本当に貧しい人の手には届かないようにできているんだよ」 「そんな……」 フレアは、シュンの言葉に得心がいかないらしい。 だが、実際に、誰からも救いの手を差しのべられず、食べる物にも事欠く生活を強いられている人間が、それが現実だと言っているのだ。 貧しさも飢えも知らないフレアには、反駁の材料がない。 「でも、そう。親切な人もいないことはない。親切な人は、僕が10年働いても手に入れられないような金額を提示して、僕を自由にしようとするんだ」 「それは……どういうこと?」 「……イエスに出会って改悛する前のマグダラのマリアがどんな仕事をしていたか知ってる?」 「それは神に禁じられていることでしょう」 「うん。だから、そういう人に会うと、僕は歌うのをやめて、すぐにそこから逃げ出すんだ。狭い部屋に逃げ込んで、震えながら朝が来るのを待つ。でも……そんなことはしちゃいけないってわかってるのに、あの人の言うことを聞けば、毎日パンが食べられるようになるんじゃないかとか、部屋代を払えなくなって部屋を追い出される心配をしなくてもよくなるんじゃないかとか、そんなことを考えたりもする。そんなことを考える自分が悲しくて、心細くて、僕なんか もう死んでしまった方がいいんじゃないかと思うんだ」 「……」 どんな希望もない生活。 なぜ生きているのか、何のために生きているのかも わからないような日々。その繰り返し。 それが現実にあることなのだと、フレアは認めざるを得なくなったらしい。 フレアは泣いていた。 世の中には、貧しい人間、生活に窮している人間がいるのだということは、彼女も知識として知ってはいただろう。 本や、慈善事業に多額の寄付をする裕福な両親の口から。 『ラ・ボエーム』の台本からでも、貧しい人間の存在は知ることができる。 だが、それは、今日までは、彼女が接したことのない世界、物語の中にだけある不幸だった。 そんな彼女が、 物語の世界がフレアの目の前に迫り、彼女は その世界の切実さを肌で感じることになったようだった。 「ただ、そんな僕にも、自然は平等で優しいんだ。お陽様は僕にも光を降り注いでくれるし、青空は僕の上にも存在して、小さな花は僕にも姿を見せてくれる。それがどんなに嬉しいことかわかる? 青い空、可憐な花、暖かい陽射し。そういう人間以外のものが、まだ僕は生きていていいんだって言ってくれてるみたいに感じるの」 「……素敵ね」 これまでは 彼女にとって 物語の中にだけ存在するものだった不運や不幸を、現実にあるものと感じ始めたフレア。 しかし、それでも、自然の平等を 優しい気持ちで『素敵』と言ってしまうフレアの心と、自然に支えられて やっと生きているシュンの心の間には 大きな乖離があるように、ヒョウガには感じられたのである。 シュンの話を聞き、その生活を想像しシュンに同情するフレアと、実際に貧しさや孤独の中に己が身を置いているシュンとでは、やはり“事実”の重みが違うのだと。 「あなたは自然に感謝したことがある?」 「それは、そこにあるものでしょう」 「そうだね。だから、自然が そこにあってくれることがどんなに素晴らしいことなのか、考えて。あなたは、たったひとりきり、あなたが毎日を暮らす部屋は狭く冷たく寂しい。あなたには何もない。あるのは自然の光だけ。何もないから憧れるんだ。自然の光、誰かに愛されること――。死んでしまった方が楽だって思うのに、希望を捨ててしまいたくはない。きっといつか素敵なことが起こる。そう信じていたい。ねえ、ミミの気持ちがわかる? わかるでしょう? ミミは幸せになりたいんだよ。幸せになりたいと願うってことは、ミミは今は幸せじゃないんだ。でも、ミミは 幸せに焦がれている。あのアリアはそういう歌なの。ただの自己紹介の歌じゃない。ミミは幸せになりたいの。幸せになりたい。さあ、歌って。あなたはミミだよ。幸せになりたいミミなの」 “先生”に『歌え』と言われて、フレアは ミミのアリアを歌い出した。 その歌は、初演の時より はるかに、二度目に聞いた時より更に、素晴らしいものだった――“声”ではなく“歌”が素晴らしかった。 フレアは賢く、豊かな感受性にも恵まれている人間なのだ。 決して、不幸不遇な人の気持ちを理解できないわけではない。 ただ知らないだけ。 現実世界で幸福すぎる彼女は、何事かへの憧れを歌っても、その歌は上滑りだった。 自分が人に愛されことを当然と感じているフレアは、愛への憧れを歌っても そらぞらしいだけだった。 フレアは、自分が幸福だから、他人もそうだと思っている。 そんな彼女の幸福を守るため、彼女の周囲の者たちは 彼女に他人の不幸を見せようとしない。 そんな彼女は、当然のことながら、他人への同情心も持っていない。 知らないのだから仕方がないのだ。 誰も、そんなことを彼女に知らせたいとは思わないだろう。 だが、シュンは、それをしていた。 フレアの“新しい先生”は、歌唱法の教師ではなく、不幸のある現実、そこに生きる人の心を教える教師だったのだ。 子供のように素朴な あの歌声の主、ヒョウガが心惹かれてやまない声の主は。 自分が『いい』と思ったミミは、この声の主の教示によって感情に深みを増したミミだったのだと知らされて、この声の主に会いたいと願うヒョウガの思いは なおさら強くなった。 むしろ、会わなければならないと思ったのである。 ヒョウガは、シュンが どんな人間なのかを知りたかった。 シュンの声は、2階のボックス席のどこかから聞こえてくる。 音を立てぬよう注意して廊下に出て、ヒョウガは舞台の裏手から 2階に続く階段を駆けあがった。 フレアのアリアが終わる。 そう考えて、ヒョウガはその場で息を殺し、シュンの登場を待ったのである。 待って――15分以上待ったのだが、シュンは廊下に出てこなかった。 業を煮やしたヒョウガは、最後には すべてのボックス席の中を覗いてみたのだが、彼は そのどこにもシュンの姿を見い出すことはできなかった。 幽霊のように――夜のオペラ座から、シュンの姿は消えてしまっていたのである。 |