「で、例の指輪は結局どちらのものになったの? 氷河? 一輝?」 彼女が早耳なのか、あるいは、エリスが自分の撒いた争いの種を得意がって、アテナにその事実を ご注進に及んだのか。 聖域に行っていたアテナが日本に帰国して自邸に落ち着くなり、落ち着かない様子で 彼女の聖闘士たちに そう尋ねてきたのは、エリスが瞬に無理矢理 黄金の指輪を押しつけて姿を消した日の翌々日の午後だった。 争いの女神からの贈り物など死んでも受け取りたくないというのが正直な気持ちだったのだが、それでも星矢は 沙織のその質問に顔を歪めることになったのである。 エリスの指輪を受け取る権利を持つ者は、瞬の仲間たち4人。 しかし、沙織の質問は、氷河と一輝の二者択一。 それは、機嫌よく笑って聞き流せるようなものではなかった。 「別に あんな指輪がほしいわけじゃないけどさ、俺と紫龍は最初から圏外扱いかよ!」 「あら、それは、だってやっぱり……。エリスの狙いも、氷河と一輝を争わせるところにあったようだし。聖域は盛り上がってるわよ。自己顕示欲の塊りのエリスが、聖域の皆に、自分が投じた争いの種のことを喧伝していったの。今のところ、聖域でのオッズは、一輝2に対して、氷河2.5。一輝の方が少々優勢ね」 「オッズって……賭けてんのかよ!」 口調が、つい非難のそれになる。 地上の平和と安寧を守るために存在する聖域という場所にいる者たちが、そんな賭け事に興じていていいものなのか。 それは悪質にすぎる悪乗りなのではないか。 決して悪乗りなる行為が嫌いなわけではなかったのだが、自分がその悪乗りのネタにされているとなれば話は別。 悪乗り好きの星矢にも、それは決して愉快なことではなかった。 沙織が、どこ吹く風とばかりに、星矢の非難を受け流す。 「このところ平和だったから、みんな暇を持て余してるのよ。ちなみに、星矢のオッズは20、紫龍は30よ」 沙織の質問が二者択一になるのも当然のこと。 聖域のブックメーカーは、エリスの起こした争いを、『天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士は ほぼ圏外、鳳凰座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の一騎打ち』と見ているらしかった。 「みんな、興味津々でいるわよ。あなたが肉親を選ぶのか、それとも 沙織には、エリスが起こした争い事に困っている気配が全くない。 むしろ彼女は ひどく楽しそうに、貴き女神にふさわしいとはいえない下卑た言葉を用いて、瞬に聖域のありさまを知らせてきた。 瞬が、両の肩をすぼめ、身体を小さく縮こまらせる。 「そんなこと言われたって――ぼ……僕、困ります……」 「困ることなんてないわ。問題の指輪を氷河と一輝のどちらかに渡せばいいだけのことよ。どちらに渡したところで、あなたの懐が痛むわけじゃないんだし、絶対に戦いに負けない聖闘士が一人出現することは、聖域にとっても悪いことじゃないもの。何の問題もないわ。この私が許します。渡されなかった方が文句を言ってきたら、私が黙らせてあげる」 だから どんな心配もせず、好きな方に指輪を渡せと、アテナは言う。 しかし、瞬が兄にも氷河にも指輪を渡せずにいるのは――もとい、仲間たちの誰にも指輪を渡せずにいるのは、幸運の指輪プレゼントへの応募者が多数いるからではなく、プレゼントへの応募者が皆無だからだったのだ。 「こんな指輪、いらないっていうんです。氷河も兄さんも、星矢も紫龍も。戦いには自分の力だけで臨むって――」 思い至って、彼女は その口許を僅かに ほころばせた。――もとい、彼女の口許は自然にほころんでいった。 「てっきり、熾烈な瞬の愛情争奪戦が繰り広げられているのだとばかり思っていたのだけど――まあ、そうなの。ええ、そういうのも あなたたちらしいわね」 沙織の笑顔は相変わらず楽しそうだったが、瞬の現況報告を聞いた前後で、彼女の楽しさの色は明確に変わっていた。 より楽しそうに、より明るく。 「それで、僕、できれば、この指輪の始末をアテナに――」 仲間たちの指輪受け取り拒否の事実を知らされても楽しそうにしているようなら、彼女はエリスの指輪を 聖域と聖闘士たちにとって重要必要なものと考えてはいないのだろう。 ならば、沙織はこの指輪の始末に力を貸してくれるかもしれない。 瞬は胸に期待を宿らせて、沙織に指輪の処理を依頼しようとしたのである。 残念ながら、瞬の依頼は、 「じゃあ、頑張るのは氷河と一輝じゃなくて、あなた自身ということになるわね。頑張って指輪を二人に押しつけてちょうだい。どちらが負け知らずの幸運な聖闘士になるのかが決まったら、すぐに私に教えてね。私、胴元をやっているから、賭け金の配分計算をしなくてはならないの」 という沙織の言葉によって、あっさり遮られてしまったが。 「あ……」 沙織が楽しそうにしているだけに、瞬は彼女に言おうとしていた言葉の先を口にすることができなくなってしまったのである。 アテナは、氷河と一輝のいずれかに幸運の指輪を渡すことでしか、このトラブルに決着をつけることはできないと考えているようだった。 自分の振舞いに どんな疑問も抱いていないように 賭博場の許締めを気取っている女神アテナに、星矢が呆れた顔になる。 「女神公認の公共賭博かよ。知恵と戦いの女神ともあろうものが! 開いた口がふさがらねーって、こういうことを言うんだなー」 「まあ、聖域は娯楽に乏しいからな。たまには こういうお祭り騒ぎがあってもいいのではないか?」 「いや、俺だって、お祭り騒ぎは嫌いじゃないけどさー。沙織さん、ここに一輝と氷河がいなくてよかったな。自分たちが賭け事のネタにされてることを知ったら、あの二人、烈火のごとく怒り狂うぞ」 「そんなの、知らせなければいいだけのことよ。知らぬが仏と言うでしょう。あなたたちも、我が身が可愛かったら、余計なことは言わないでいなさい」 「死んでも言うかよ! あの二人のヒスの巻き添えを食うのは ごめんだ」 星矢は 実にきっぱりと、彼の女神に沈黙の誓いを立てることをした。 ともかく、そういう経緯で、結局 話は振り出しに戻ってしまったのである。 瞬は、アテナにも星矢たちにも頼ることなく、自分の力だけでエリスの指輪を 氷河と一輝のいずれかに受け取らせなければならなくなってしまったのだった。 |