「沙織さんの狙いはこれか……!」
事ここに至って初めて沙織の意図を理解した紫龍が、低い呻り声を洩らす。
瞬を同伴することによって、自分が相手をしなければならない男の数を半分に減らす――それが沙織の目的だったのだ。
「男共が見事に2派に別れたな。すげー」
星矢が感嘆の声をあげ、氷河は声を失い呆然自失、のち渋面。
「これは高貴な女王様タイプを好む男たちと、従順清純派を好む男たちに分かれたということか」
「下僕志願とご主人様志願かよ? 案外、巨乳好きと貧乳好きだったりして」
「それはどうかわからないが、瞬の方が沙織さんより気安く感じられるというのはあるだろうな」
「どっちも ただの大馬鹿者だ!」

怒りのあまり言葉を失っていた氷河の発声機能が やっと回復したらしい。
彼は、身も蓋もない分類をして、瞬と沙織を取り囲んでいる男たちを ののしった。
小粒ゆえに小回りの利く男たちの迅速さに どれほど腹が立っても、ここで邪悪退治を始めるわけにはいかないだけに、行き場をふさがれた氷河の怒りは 彼の胸の中で激しく燃え上がっているようだった。
氷河の憤怒の小宇宙は一触即発状態。
だというのに、そんな危険人物が同じホール内にいることに気付いた様子もなく、親しみやすい従順清純タイプを選んだ男性陣は、瞬に対して 極めて無遠慮。
彼等は、自らを滅ぼす爆弾のスイッチに自分で圧力をかけているようなものだった。

「沙織さんに妹さんがいるという話は聞いたことがないが――君は、沙織さんの従妹か何か?」
「僕は、沙織さん――グラード財団総帥のボディガードです」
「女の子が?」
「僕、男です」
ソファに掛けている瞬の周りに、笑いの さざめきができる。
彼等の反応の穏やかさが、瞬を奇妙な気分にさせていた。
反応の薄さそのものよりも、それが感情の抑制によるものなのか、覇気のなさによるものなのかの判断ができないことが、瞬の居心地を悪くしていた。
「可愛らしいボディガードだ」
「沙織さんに、そう言って我が身をガードしろと言われてきたのかな?」
「その用心は不要だよ。我々は皆、紳士だ」
そして、自分が男子だということを信じてもらえない事実より、その事実を信じない者たちの上品な微笑の方が、瞬の感覚を不快の方向に刺激した。

彼等は確かに良家の子弟なのだろう。
いわゆる庶民の男子とは、何かどこか 周囲の空気の感触が違う。
そもそも現代の日本国に、自らを紳士と評し、また 自身をそういう言葉で評することを自然と感じていられる人間がどれほどいるのか。
彼等は 選りすぐりの人材なのかもしれなかったが、同時にまた 瞬とは全く波長が合わない人種だった。

その異人種の中の一人が、今更ながらなことを瞬に尋ねてくる。
「冗談はさておき、君の名前は?」
紛う方なき事実を、嘘ならともかく冗談にされてしまい、瞬は唇を引き結んだ。
だが ここで、紫龍のように着衣を取り除いて男子の証明をするわけにもいかず、ましてや害意も敵意もない人たちを小宇宙で撃退するわけにもいかない。
瞬は、大きく息を吸い吐き出してから、ほとんど開き直った気分で、問われたことに答えたのである。

「瞬です」
「瞬。可愛い名前だね。苗字は城戸でいいの?」
「一応」
「学校は? どこの学校に通ってるの?」
「通っていません」
嘘をつきたくはないので、正直に答える。
しかし、求められた答えに補足説明を加えるほどの親切はしない。
瞬は そのスタンスで、自分が学校に通っていないことの事情説明はしなかった。
説明したところで、彼等がそれを理解できるわけもなく、また信じてもらえる可能性も極めて低いとなれば、むしろ詳細な説明をしない方が親切のような気もしたから。

どう見ても10代の瞬が学校に通っていないことを、おそらく彼等は奇異に思った。
が、沙織も義務教育中は私立の学校に形ばかりの籍を置き、その後はグラード財団総帥にふさわしい帝王学を身につけるための独自カリキュラムで知識と経験を積んできたことを知っているらしい彼等は、瞬が在校していない事情を勝手に想像し納得してくれたようだった。

「趣味は」
「格闘技です」
「似つかわしくない趣味だ。観戦に行ったりするのかな? 柔道? まさか、レスリングなんてことは――」
「実際に戦う方です」
「面白い」
もう少し派手に驚いてほしい――とさえ思う。
彼等の反応の薄さ 穏やかさは、瞬には異常にすら感じられた。

「じゃあ、身体を鍛えている男の方が好きなのかな。文化系より体育会系、ひ弱な男はお呼びではないと」
「そういうわけじゃありませんけど」
「それはよかった。我々は、健康維持以外の目的で特定のスポーツに熱中することはないから。せいぜいゴルフ、テニスまでだな」
「僕は弓道をやってるよ」
自己アピールをする者がいないこともないのだが、それも微妙に控え目。
財界の元大物が言っていた通り、彼等は豆というより良質のダイヤなのかもしれなかったが、しかし、あまりに粒が小さかった。

ともあれ、これはどうみても集団見合いというイベントだった。
昨今では婚活パーティとでも言うのだろうか。
沙織は この異様な男性陣をどうあしらっているのかと視線を巡らすと、彼女は ホールの一画にあるソファに腰をおろし、瞬同様十数人の男性に取り囲まれ、彼等に にこやかな微笑を向けていた。
瞬を中心にした輪と沙織を中心にできている輪との間には10メートルほどの距離があったのだが、微笑している沙織の目が全く笑っていないことは、瞬の目には容易に見てとれた。
紫龍が、沙織中心の輪の近くの壁際に立ち、うんざりした顔で その様子を眺めている。
氷河は、紫龍とは反対側の壁際に立ち、瞬を囲んでいる男性陣を睨みつけていた。
この場にいる一般人外で上機嫌なのは、星矢一人だけ。
彼は、異質な紳士たちの保護者たちに混じって、目を爛々と輝かせ、料理が置かれているテーブルに取りついていた。

星矢は論外として、これでは紫龍が沙織のボディガード、氷河が“沙織の連れ”のボディガードといった様相である。
仮にも聖闘士である自分にボディガードがついているような現況は 屈辱としかいいようがない――と、瞬は思わないわけにはいかなかった。
氷河が そのボディをガードしているのは、この状況に耐えられなくなった聖闘士によって 危害を加えられる可能性がないでもない善良な一般市民の方なのだと思うことで、瞬は何とか その屈辱に耐え続けたのだが。
そうしている間にも、この場から逃げ出したいという瞬の思いは、どんどん強くなっていった。

「失礼を承知で単刀直入に訊くけど、どういうタイプが好み?」
「……そうですね」
礼儀正しく上品で紳士的なのに、そして、おそらくは誠実な人たちでもあるのだろうに、どうしても波長が合わない。
瞬は、紳士的な彼等の緊張感を欠いた穏やかな眼差しが 針のむしろに感じられるようになり始めていた。
仲間が暴れだすのを阻止するために 異様な集団を睨んでいる氷河の きつい目の方がずっと、瞬の神経には優しく快く感じられるのだ。

「シベリアの鉱山の奥底でも――」
「え?」
「シベリアの鉱山の奥底でも――この詩の続きを そらんじられるような人」
なぜ そんな言葉が口を突いて出てきたのか。
それは瞬自身にもわかっていなかった。
ただ氷河の青い瞳を見ているうちに――自分はもう 命をかけた戦いを共にする仲間たちの側ででしか心を安らげることはできないのだという気がしてきて――我知らず その詩を呟いてしまっていたのだ。
不屈の闘志で 終わりの見えない戦いを戦い抜こうとする戦士たちを謳った詩を。

瞬を取り囲んでいた微笑の さざなみが、急に嵐の前兆の風に揺れる樹木の枝葉の ざわめきに変わる。
彼等は互いに顔を見合わせ、同士――同志ではないだろう――の出方を伺っているようだった。
「誰の詩だ?」
「シベリアの鉱山がどうこうということはロシアの詩人か?」
「ロシアの?」
「ボズネセンスキーの『百万本のばら』くらいなら知っているが」
「それは歌謡曲だろう」
瞬の予想通り、小粒で上品な紳士たちは、そんな詩に接したことがないようだった。
出題に答えられる人がいなければ、それを理由に この輪の中から抜け出すことができるかもしれない。
全員が不合格、自分(たち)は資格認定試験に落ちたのだと、彼等が自ら引き下がってくれれば、それにこしたことはない。
とはいえ――だが、瞬が本当に期待していたのは、実は そんな他動的な解決ではなかったのである。

救援を求める瞬の眼差しに、氷河は気付いてくれたようだった。
瞬と瞬の周囲の紳士たちを無言で睨みつけていた氷河が、壁際を離れ、瞬を中心とした輪の方に歩み寄ってくる。
そして、彼は、『この異質な男は何者だ』と訝る紳士たちの視線を完全に無視して、瞬を見詰め、ゆっくりと口を開いた。

「シベリアの鉱山の奥底でも、誇りを持って耐え忍べ。
 君の悲しく終わった努力と高い意志は決して滅びることはない。
 不幸な者たちの忠実な姉妹である希望は薄暗い洞穴の中にあっても、
 まばゆい光を呼び覚ますだろう。
 いずれ再び その時がくる。
 私の愛と友情は、陰鬱な鉄格子を突き抜けて 君の許に届く。
 君の苦役の牢獄の中に、私の自由の声が届くように。
 重い鎖が外れ 牢獄が崩れていく中、自由は、喜びに満ちて 戸口で君を迎えるだろう。
 そして、仲間たちが再び君に剣を渡すのだ――」

どう見ても紳士ではない男が――良家の子弟の目と所作を持っていない異質な男が――良家の子弟のために用意されたはずの花と 同じ風を捉えている。
勘のいい者なら、それで悟ることができていたかもしれない。
自分たちのために用意されたものと思っていた花が、そもそも自分たちとは異質なものだったのだということに。

「完璧ですね」
呼べば応えてくれる仲間がいることが嬉しい。
今日 この場で初めて出会った他人の振りをして、瞬は氷河の完璧な答えを賞賛した。
氷河もまた、今日 この場で初めて出会った他人を装って、瞬を取り囲んでいる男たちに見せるために、白々しい微笑を作る。
「あなたとは話が合うようだ。あちらで、戦いを運命づけられた戦士たちの悲哀と希望について語り合いませんか。二人きりで」
「喜んで」

氷河が差しのべてきた手に、自分の手を重ねて、瞬は掛けていたソファから立ち上がった。
これでやっと 針のむしろから解放されるという安堵の思いが、瞬の所作をゆったりと余裕のあるものにする。
それでも、瞬とは異質な紳士たちは、自分が摘もうと思っていた花を あっという間に一陣の風に さらわれてしまったように感じていただろう。
さすがに 他の男に摘まれた花に追いすがり取り戻そうとするような無様はできなかったらしく、彼等は誰一人、氷河と共にテラスに向かう瞬を追いかけてはこなかった。


「ありがとう。助かった」
「プーシキンだからよかったようなものの、これがハイネやリルケだったら、俺はお手上げだったぞ」
つい数分前まで 親の仇を見るような目をして 瞬を取り囲む紳士たちを睨んでいた氷河が、自身の周囲に険悪な空気を作るのをやめ、その上機嫌を隠し切れていない笑みを 瞬に向けてくる。
自分が“ただの大馬鹿者”と断じた男たちから瞬を奪い取ることで、彼は思い切り溜飲を下げることができたようだった。
「ふふ。氷河なら そらんじられるだろうと思ってた」
「俺たちの詩のようだから?」
瞬が、ごく短い時間 ためらってから、言葉ではなく微笑で 氷河の言に頷く。
瞬は、自ら望んで 戦いを運命づけられた戦士になったわけではない。
瞬にとっては、他者から強いられた運命。
だが、瞬が、そんな運命を肯定し受け入れずにはいられないのは、その運命に耐えることで得られたものが あまりに大きく価値あるものだったからだった。






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