ともかく、それから城戸邸では、詩で白黒をつけることが流行り始めたのである。
流行り始めたといっても、それは大抵は星矢と瞬の間で行われ、かつ星矢の全敗。
瞬が 詩という武器で退ける星矢の要求は、『3時のおやつ用に用意されている あんぽ柿を厨房のおばちゃんに気付かれぬようにチェーンで盗み出して2時間ほど早く食べられるようにしてほしい』、『日々少しずつ散っていく木の葉にいらいらするから、ネビュラストリームで すべてを強制的にどこかに吹き飛ばしてほしい』等、退けられて当然の要求ばかりだったのだが。

苦戦はしても敗北には慣れていない星矢が、連戦連敗を喫している自分に耐えられなくなったのか、瞬への逆襲を試みてきたのは、あの婚活パーティから半月ほどが経った ある日の午後。
今シーズンの新じゃがポテトチップスの全メーカー商品制覇に挑戦した星矢が、その偉業を成し遂げた直後のことだった。

「だから、星矢。僕は、自分が散らかしたものは自分で片付けるべきだって言ってるだけなの。子供じゃないんだから、お片付けくらい、ちゃんとして。テーブルの上だけならともかく 床までポテトチップスの空き袋で埋め尽くすなんて、お掃除の人だって呆れちゃうよ」
もしかしたら星矢が 瞬にそう言われるようなことをしたのは、連戦連敗の汚名を返上し、起死回生の逆転勝利を我がものにするためだったのかもしれない。
仲間の成し遂げた偉業の証拠に顔をしかめ、仲間に“お片付け”を要求する瞬に少しもひるむことなく、それどころか唇の端を歪めて にっと笑い、星矢は、
「片付けてほしかったら、俺がこれから言う詩の続きをそらんじてみろ」
と挑んできたのだから。

「えっ」
これまで問題を出してばかりだった瞬は、星矢のその言葉に ひどく驚くことになったのである。
『星矢と詩』『星矢に詩』『星矢が詩』――それは瞬には あまりに異様で意外に感じられる組み合わせだったから。
「星矢、ほんとに詩集を読んだりしたの?」
「俺はこれから文武両道聖闘士を目指すことにしたんだ」
「それはとてもいいことだと思うけど……誰の詩?」
「誰の詩かは知らねーけど、知ってるのが常識の有名な詩だぜ」

星矢は、かなり難解で、知っているのが“非常識”レベルの詩で 仲間に挑もうとしているらしく、自らの勝利を確信して自信満々である。
そうして。
我知らず全身を緊張させて身構えた瞬に、星矢が提示してきた難問は、
「どんぐりころころ」
というものだった。
「は?」
お池に はまったどんぐりが、突然現われたドジョウに『こんにちは』と挨拶されても ここまで間の抜けた声を出すことはないだろう声を、瞬はあげてしまったのである。
星矢は 本気でそれを“難問”だと思っているのか。
瞬には星矢の真意が掴めなかった。

「『どんぐりころころ』だよ、『どんぐりころころ』。ほら、続けてみろって」
既に勝利を己が手に掴んだと信じきっているような得意顔で、星矢は答えを求めてくる。
星矢の意図を読めないまま、瞬は とりあえず星矢の問題に答えてみたのだった。
「どんぶりこ」
途端に星矢は、素頓狂な声をラウンジ内に響かせ、再度 瞬を驚かせてくれた。

「えーっ。何で知ってんだよ! ふつー、『どんぐりこ』って覚えてるだろ!」
「……」
どうやら星矢の狙いは、瞬に『知りません』と言わせることではなく、瞬から誤った答えを引き出すことだったらしい。
星矢の非難(?)の雄叫びに、瞬は どっと疲れてしまったのだった。

「そんなの、星矢だけだよ」
「俺だけじゃないって! 星の子学園のガキ共にテストしてみたら、全員 間違えて覚えてたんだ!」
「子供たちにテストまでしたの? あきれた」
仮にもアテナの聖闘士が、そして、アテナの聖闘士の中でも“当たって砕けろの正面突破”を宗とする天馬座の聖闘士が、まさか こんな姑息な奸計を巡らすことがあろうとは。
星矢の企みに呆れて、瞬は わざと厳しい顔を作った。
「そんな詰まらない計略を考えている暇があったら、さっさと ここを片付けて」
「ちぇーっ」

リベンジを狙って返り討ちに合ったていの星矢が、しぶしぶ床に散らばっているポテトチップスの空袋を拾いあげ始める。
己れの勝利を確信していたせいで、星矢は意識して 必要以上に大胆に広くゴミを散らかしていたらしい。
もっとも星矢は、今は 自身の軽率と楽観を深く後悔しているようだったが。
「もう、ほんとに星矢ったら」
いつもの癖で星矢の“お片付け”を手伝ってしまいそうになる自分を抑えるために、瞬はラウンジのセンターテーブルを離れ、ベランダ側の椅子に掛けている氷河の方に我が身を逃がしたのである。
そして、瞬は、そこで またしても思いがけない氷河の呟きを聞くことになった。
つまり、
「『どんぐりこ』じゃなかったのか」
という、白鳥座の聖闘士の呟きを。

『春望』に続き『どんぐりころころ』まで。
さすがに瞬は、(星矢の非常識に対するそれとは別の意味合いで)氷河に呆れてしまったのである。
「氷河って、プーシキンを そらんじられるのに、どうして『どんぐりころころ』を知らないの」
そんなことを言われても知らないものは知らないのだ――と開き直ることは、氷河にはできなかった。
瞬が知っていることは自分も知っていたかったし、瞬が好きなもの、瞬が心惹かれるには、自分も心を動かされたい。
そういう自分でありたいというのが、氷河の望みだったので。
氷河が詩の勉強・・を開始したのは、その日の夜からだった。






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