日暮れには まだかなりの時間があるというのにエティオピアの浜に人影がないのは、いずれ この浜に海魔ケイトスが現われエティオピアの未来の女王が生け贄に捧げられることになっているからなのだろう。 シュンの兄は、自分が弟のお膳立てで海魔ケイトスを倒す英雄になることを不本意に思っているようだったが、それが健気で可愛い弟の切なる望みであり、またシュンのように優しい目をした恋人の命を救うためとあれば、彼は見事に 自分に割り振られた役目を果たすに違いない。 すべてのことがシュンの計画通りに進み、やがて この浜にも以前の活気が戻ってくるだろうことを、ヒョウガは全く疑わなかった。 だが、今は静かな浜。 その浜辺に佇むシュンの後ろ姿が小さく寂しげに見えるのは、偽のアンドロメダ姫救出劇の不首尾を案じているからではなく、おそらく シュン自身が 愛する者たちのためとはいえ、愛する者たちの前から姿を消さなければならないことを寂しく思っているからなのだろう。 シュンは、自分は父にも母にも愛してもらったと言っていた。 もちろん 従姉の姫にも兄にも愛されていたのだろう。 シュンにはそれだけの価値と魅力がある。 いつも元気で はねっかえりで前向きで、大胆にして緻密、豪胆。 そんなシュンに これほど寂しげな肩を作らせる人々の代わりを 自分は務めることができるのだろうかと、ヒョウガは自身に問いかけてみたのである。 『それができなければ、おまえはシュンを手に入れることができないんだぞ』と、答えになっていない答えが ヒョウガ自身の中から返ってくる。 できるかどうかではなく、おまえはそれをしなければならないのだ――と。 ヒョウガは一度きつく唇を引き結んでから、泣いているようなシュンの肩の側に歩み寄っていった。 「どんな褒美でも与えると約束しただろう。約束は守れ。俺が約束した相手は、おまえだ。俺は、褒美は、おまえの兄ではなく、おまえからもらう」 「ヒョウガ……」 シュンは そこに命がけの旅の相棒だった男の姿を見い出しても、嬉しそうな様子は見せてくれなかった。 ただ、呪われた海岸で海魔ケイトスより奇妙なものを見付けてしまった子供のように不思議そうな目をヒョウガに向けてきただけで。 やがて、力なく その 「僕は、もうただの――」 「俺は、おまえが欲しい」 「な……なに言ってるの」 「おまえは俺に約束した。エティオピアの王位とエスメラルダ姫以外のものなら、何でも俺にくれると」 「そ……それは確かに そう言ったけど、で……でも、ヒョウガは 僕をもらってどうするの」 戸惑いに瞳を揺らしているようなシュンが、素朴な疑問をヒョウガに投げかけてくる。 戦いや祭政の場では遠謀深慮を巡らすことのできるシュンが、今は、運悪く漁師の網に たった一人だけで掛かってしまい自分の運命に困惑している小さな魚のようだった。 「それは考えていなかった」 問われたことに、ヒョウガは正直に答えた。 ヒョウガはシュンを褒美として手に入れて、その後 それをどうするかを全く考えていなかった。 考えるまでもないことと思っていた。 「とりあえず、抱きしめてみるかな。こんなに好きになった人を抱きしめたら、どんな気持ちになるのかを確かめてみたい」 「あ……あの……」 本音を言えば、ヒョウガは、深窓育ちのシュンが何も知らないことを危惧していたのだが、シュンは、肉親や友人が互いを抱きしめ合うこと以外の抱きしめ方があるらしいくらいのことは知っていてくれたようだった。 「それ……1回くらいなら、僕も確かめてみたい……かも」 シュンらしくなく もじもじしながら、上目使いにヒョウガの顔を ちらちら見上げ、シュンが答えてくる。 シュンの言う“それ”が、“とりあえず、抱きしめてみる”なのか“好きになった人を抱きしめたら、どんな気持ちになるのか”なのかを1秒でも早く知りたかったヒョウガは、電光石火の早業でシュンをその場に押し倒した。 「ええっ !? 」 まさかヒョウガが これほど早急に、しかも こんな場所で、そういう行為に及ぶとは考えてもいなかったらしく、突然 屋外でヒョウガにのしかかられてしまったシュンは目を丸くして、ヒョウガに抵抗することさえ思いつけずにいるようだった。 その隙を逃さず、ヒョウガはさっさと自分の仕事に取りかかったのである。 「あ……え……あ……そんな……」 あの旅の間、シュンが大胆かつ豪胆だったのは、それが兄やエスメラルダ姫のために――つまり、自分以外の人間のために――成し遂げなければならないことだという意識が シュンの中にあったからだったらしい。 自分のためとなると、シュンは、弱気で控え目で臆病な人間になってしまうらしく――今 ヒョウガの下にいるシュンは、初めて隠れんぼのルールを教えられ、いよいよ その遊戯を開始しようとしている子供のように 気後れし、怯えてさえいるようだった。 「や……やっぱり、やだ! やめて、お願い」 「おまえ、いつもの威勢のよさはどこへいったんだ」 「そ……そんなこと言ったって、だって、やだ、ヒョウガ、恐い」 「そんな顔をするのは逆効果だ。可愛くて仕方なくなる」 シュンの中に一生消し去ることができなくなるような恐怖心や傷を残すわけにはいかないので、もちろんヒョウガは細心の注意を払い、シュンへの愛撫も できる限り優しくした。 こんな言葉を律儀に幾度も囁いている俺は本当に俺なのかと、自分で自分に呆れるほど、『大丈夫』『恐くない』『優しくする』『愛している』等の陳腐な言葉をシュンの上に降り注ぎ、シュンの不安を取り除くことにも尽力した。 そして、その努力は報われたのである。 シュンが最後には大胆に その身体を開き、ヒョウガを受け入れ、二人がつながっている状態に陶然とし、あるいは間断なく歓喜の声をあげ、ヒョウガに絡みつき締めつけてきさえしたのは、ヒョウガの直接の愛撫の力もさることながら、ヒョウガが惜しみなく連発した『愛している』の力が大きかったようだった。 |