「氷河に好きだって告白されたーっ !? 」 「星矢、声が大きい!」 「えっ? あ、ああ、わりぃ。えーっ、でも、ほんとかよーっ !? 」 瞬に その大声を咎められ、星矢は慌てて声のボリュームを落とした。 ほんの2、3秒の間だけ。 瞬の報告の内容があまりに衝撃的で、静かに驚いてもいられなかったのだろう。 星矢の声のボリュームはすぐにまた(だが、一応 徐々に)、通常の会話のそれより大きなものになっていった。 不注意極まりない星矢の大声に呆れたように嘆息し、紫龍がラウンジのドアを開け 室内に入っていくのを ためらっている――。 エントランスホールとラウンジを結ぶ長い廊下の端で、星矢よりはデリカシーというものを持ち合わせている紫龍が苦笑しながら入室の是非を迷っている様を、氷河は無言で見詰めていた。 もう一つの未来で、あの場に立っていた自分の姿を思い返しながら。 もっとも、同じようにドアの前で入室をためらっていても、あの時の氷河と今の紫龍では、その胸中にある思いは全く違うものだったろうが。 今の紫龍は、瞬を 「まあ、氷河にとっては、おまえは命の恩人なんだし? 我が身を犠牲にして、自分を死の国から引き戻してくれた人を 他の奴と同じ気持ちで見ろっていう方が無理な話なんじゃねーの? おまえは単に仲間の命を救っただけだって思ってたとしても」 「僕は――」 「マーマもカミュも死んじまって、氷河には もうおまえしかいないわけなんだしさ」 星矢は、理屈ではなく直感で そう言っている。 白鳥座の聖闘士に『もうおまえしかいない』ことが どういうことなのか。 その意味するところを、星矢は直感で感じ取っている。 そして、星矢の直感が外れることは滅多にないのだ。 「おまえ、氷河のこと嫌いなのかよ」 「そんなわけないでしょ。でも、僕は そんなつもりで氷河を助けたわけじゃないし、こんなことになるなんて考えたこともなかったんだ……」 「そりゃそーだ」 もちろん、瞬は報恩を期待して白鳥座の聖闘士の命を救ったわけではない。 死にかけた仲間の姿を目の当たりにしたら、瞬は それが氷河でなくても――紫龍であっても星矢であっても、同じように命をかけて仲間を救おうとしただろう。 当然、“こんなことになる”のは、瞬には慮外のことであったに違いない。 だが、瞬が仲間のために為した行為は“こんなこと”を現出させてしまったのだ。 瞬には慮外のことでも、これは紛う方なき現実だった。 そんなことは、氷河にもわかっていた。 おそらく紫龍もわかっているだろう。 氷河が目論んだ通りに。 「氷河は面倒くさがりな上に融通がきかない奴だからさー。おまえに振られても、多分 絶対 おまえのこと諦めないぞ。おまえの代わりの誰かを探そうとかしないで、一生しつこく引きずるし、一生 おまえのことだけ見てる。これまで考えたこともなかったんなら、これから考えてやればいい。逃げたりしないで、ちゃんと考えてやれよな。氷河は本気でおまえを好きになったに決まってるんだから」 「氷河が冗談で そんなこと言い出すような人じゃないことはわかってるよ。氷河が本気で言ってくれてるってことは、ちゃんとわかってる」 「うん」 ドアに阻まれて、瞬の表情は見えない。 だが、だからこそ かえって明瞭に、氷河には感じ取ることができたのである。 『氷河は本気だ』と告げる瞬の声が 艶を帯び、僅かに上擦っていることを。 瞬は、白鳥座の聖闘士の好意を迷惑に思ってはいない。 それどころか、もしかしたら、自分に向けられる白鳥座の聖闘士の好意を慮外の幸運と感じている――ということが。 氷河は、冷ややかな笑みを 己れの目から消し去り、ドアの前で入室をためらっている紫龍に向かって歩き出した。 「紫龍、そんなところで何をしているんだ」 「あ、いや」 白鳥座の聖闘士の登場に気付いた紫龍は、仲間の前で微苦笑を浮かべた。 何も知らずに、楽しそうに。 むしろ、白鳥座の聖闘士を からかうように、ひやかすように。 そうして、彼は、ラウンジに先に入室する権利を氷河に譲った。 「瞬……」 そこに自分が恋を告白したばかりの相手がいることに初めて気付いた振りをして、氷河は、紫龍の横で 僅かに戸惑ってみせた。 「あ……」 そんな氷河を見て、瞬が ぽっと頬を上気させる。 それ以上 近付くことも、二人の間にある距離を広げることも、氷河はしなかった。 言葉も交わさず、視線を合わせることもなく、ただその意識だけを強く相手に向ける。 瞬は繊細で感じやすく、戦いの覚悟を決した時以外は 極めて臆病な人間でもある。 事を急いではならない。 二人の間の距離は、ゆっくり慎重に縮めていかなければならないのだ。 時間はあり、白鳥座の聖闘士の恋を邪魔するものはいない。 焦る必要のないことを、氷河は知っていた。 「氷河が瞬に告白したんだってよ。瞬って ほだされやすいから、あの二人がくっつくのは時間の問題だな」 星矢の耳打ちに紫龍が微笑するのを、氷河は気配で感じていた。 「まあ、色々と問題のある恋ではあるが、当人同士が好き合っているのなら、俺たちにできるのは、二人を温かく見守っていてやることくらいだな」 自分の恋を奪われたことも知らず、紫龍は その言葉通り、仲間の恋を見守る友人として穏やかに見守っているのだろう。 かつては彼の恋人だった人と、その恋人を彼から奪った男を。 氷河は、だが、そのことには何も感じなかった。 自分の企みが成功した喜びも、紫龍と瞬の恋を無いものにしたことへの罪悪感も。 ボタンを一つ かけ違えただけで、人の運命は大きく変わる。 それだけのことなのだ。 ボタンを かけ違えたのも人間。 かけ違えたボタンを正すのも人間。 それだけのことなのである。 瞬は白鳥座の聖闘士のものになるだろう。 自分に好意を抱いてくれている相手を拒むことは、瞬にはできない。 そして、瞬にとって白鳥座の聖闘士は、命をかけた戦いを共に戦ってきた大切な仲間。 その上、白鳥座の聖闘士が、力にも物にも執着せず、ただ 愛する者だけを必要とする男だということを、瞬は知っている。 瞬にとって白鳥座の聖闘士は、拒み傷付けることなど思いもよらない相手なのだ。 瞬は確実に、白鳥座の聖闘士の心にほだされるだろう。 誠心誠意をもって働きかけられたなら、瞬は必ず その心を動かされる。 否、既に瞬の心は白鳥座の聖闘士に傾いている。 そして、それが瞬の意思であり、望みであるなら、誰にも瞬の心を変えることはできないのだ。 |