「紫龍……。おまえ、瞬より可愛い女の子に会ったことあるか?」
虚ろな声で星矢が紫龍に そう尋ねたのは、氷河が仲間たちの前から颯爽と立ち去って5分ほどの時間が経過した頃。
墓穴の縁にしがみついて周囲を見回せるレベルにまで何とか立ち直ることができたらしい星矢を、再び穴の底に蹴り倒すのは忍びなかったのか、星矢の質問に対する紫龍の答えは極めて曖昧――というより、それは、あえて星矢の質問の意図に気付いていない振りをした者のそれだった。

「“綺麗”とか“可愛い”とかいう類のことの評価判断は、多分に主観的な指標に基づいて為されるものだろう。AさんよりBさんの方が可愛いと思う者もいれば、BさんよりAさんの方が可愛いと感じる者もいるわけで──」
星矢は、だが、仲間の同情などほしくはなかったらしい。
彼が知りたいのは、現実の真実の姿であるようだった。
「だから、おまえの主観でいいって。おまえは、瞬より可愛いって思える女の子に会ったことがあるのかよ」
「それはまあ――ない……かな」

紫龍が その答えを返すために2分以上の時間を費やしたのは、そう答えることで自分は これまでに出会った多くの女性を侮辱することになるのではないかと、それを案じたからだった。
紫龍らしく慎重に、彼は自分の正直な答えのあとに、
「だが、人は、可愛いものを必ず好きになるわけではないだろう」
の一言を付け加えたのだが、それは星矢への慰めにも励ましにもならなかったらしい。
紫龍の正直な答えを聞くと、星矢は首をがくりと前方に垂らし、
「瞬より可愛い子かー……」
と呻くように低く呟いた。
そうしてから星矢は、チョモランマ山頂在住の仲間の顔を改めて まじまじと見詰め、長い長い溜め息を洩らしたのである。

「そんなの、俺、テレビやスクリーンの中でも見たことねーぞ。おまえって、ほんっと、男のくせに傍迷惑な奴だな」
「そんなこと言われても……。それに、僕、別に可愛くなんかないよ。僕は、どっちかというと“男らしい”の部類だと思うけど」
「思うだけなら、おまえの勝手だよな」
「……」
失意のどん底にある人間は、他者への思い遣りの心も忘れがちになるもの。
自分が不幸でいることが、あらゆる罪の免罪符になると考えてしまうものである。
今の星矢が、まさにそれ・・だった。

『思うだけなら勝手』とはいったいどういう意味なのか。
瞬は星矢に問い質したかったのだが、星矢の消沈ぶりが あまりにはなはだしく、目も当てられないほどだったので、結局瞬はそうすることができなかったのだった。






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