「そりゃ、確かに、俺には絵の価値なんて さっぱり わかんねーけどさー。でも、あの絵、そんなに いい絵なのか? 俺、どこがいいんだか、本気で まるっきりわかんねーんだけど。青いばっかで、全然面白くない」 城戸邸のエントランスホールの壁に飾られた青の風景画。 その絵に対する不満を星矢が口にするようになったのは、問題の絵が城戸邸にやってきてから3日が経った頃だった。 瞬は、その絵が城戸邸に やってきてから毎日、1日に何度も その絵の前に足を運んでいた。 そして、誰かに呼ばれるまで、絵の前から動かない。 星矢の概算で、この3日間で軽く6時間超。 瞬は、それだけの時間を青い風景画に捧げていた。 つまり、それだけの時間、星矢は 物言わぬ青い絵に いちばんの親友を奪われていたことになるわけで、彼の不満は至極当然のものだったろう。 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちといっても、紫龍や氷河は 瞬と違って星矢の与太話に いちいち反応を示してくれないのだ。 「確かに珍しいことだな。日本画も風景画も瞬の管轄外のはずだ」 星矢の不平に紫龍が反応を示してくれたのは、彼が星矢の不平を 単なる我儘とは思わなかったからだったろう。 1枚の絵の前で1日2時間以上を過ごすのは、紫龍の常識で考えても、十分に異様な事態だったのだ。 「モナリザの微笑を長く見ていると気が狂うなんて話もある。絵の持つ力が精神に影響を及ぼす可能性は微小とはいえないだろう」 「だろだろ。絶対よくないよな、あれ」 味方を一人ゲットした星矢が、気をよくして、今度は氷河に向き直る。 もちろん、瞬を青い絵から引き離す仕事に 氷河にも一役買ってもらうために、である。 氷河を、瞬の絵画鑑賞反対同盟に引き入れることは ごく容易なことだろうと、星矢は思っていた。 そして、仲間3人に、絵ばかり眺めているのはよくないと言われれば、瞬も 態度を改めるに違いないと、星矢は期待していたのである。 ところが。 「氷河、おまえ、あんな絵に瞬を取られて悔しくないのかよ」 星矢の計画はあっさりと頓挫した。 星矢の挑発に、氷河は乗ってこなかったのである。 「別に……。おまえみたいに やかましい奴に付き合わされて、生活をひっかきまわされているよりは、心静かに絵でも眺めている方が、よほど瞬の心の糧を養うことになるだろう。瞬が あの絵を好きだというのなら、俺には何を言う権利もない」 氷河のその答えを聞いて初めて、星矢は自分の計算違いに気付いた。 これは氷河には、瞬が天馬座の聖闘士と共にいることと、無機物である絵の前にいることとでは、どちらが不快ではないかという問題なのだ。 そして、氷河は、瞬を他の男(?)に取られるくらいなら、心を持たない絵にかまけていられた方が よほどまし――という考えでいるらしい。 つまり星矢は、氷河に、『物言わぬ絵よりは、おまえの方が障害物として有力である』と評価してもらったことになるのだが、当然のことながら 星矢は氷河の評価を嬉しく思うことはできなかったのである。 相手をしてくれる者もいないのに一人で騒いでいる空しい状況から、星矢は一刻も早く逃れ出たかったから。 天馬座の聖闘士が馬鹿な話をするたびに 困ったような顔で笑ってくれる仲間を、星矢は何としても取り戻したかったのだ。 「あの絵より、俺の方が害がないと思うぜ。俺は、瞬の友だちとして瞬の側にいるだけだけど、あの絵に対する瞬の執着振りは、それこそ恋みたいなもんじゃん。おまえの目下の恋敵は あの絵なんだよ。それに俺は、おまえの恋路を邪魔してなんかいないだろ。さっさと瞬に好きだって言わないのは、おまえが愚図なだけで、俺が邪魔してるせいじゃない」 「なんだと?」 氷河に半眼でじろりと睨みつけられた星矢は、その冷ややかな睥睨に 思わず両の肩をすくめることになったのである。 星矢は、もちろん、氷河の恋路を邪魔しているつもりはなかった。 だが、自分が瞬の周囲に 恋を語るには不向きな空気を 本音の本音を言うなら、星矢は、絵はもちろん 氷河にも瞬を取られたくはなかった。 それほどに、星矢にとって瞬は得難い友人だったから。 その自覚があるだけに、氷河に冷たい視線を投げつけられた星矢は、 「おまえの愚図を俺のせいにしないでほしいんだけどなー……」 と、ごく控え目に反論することしかできなかったのだった。 |