氷河が瞬の中から身を引き、その肩の上に抱え上げていた瞬の膝をゆっくりと寝台の上に下ろす。 瞬は、最近、心臓の鼓動の速さが通常のそれに戻っても、交合部分の痙攣が なかなか静まらなくなっていた。 そんな自分を氷河に知られることが 恥ずかしくてならない。 見られぬように脚を閉じたいのだが、だるくて自分では自分の四肢を動かせないのだ。 氷河は気付いているだろう。 恥ずかしいが、隠しようがない。 他の場面では 瞬の大抵の我儘をきいてくれるのだが、寝台の上でだけは、氷河は頑として自分の意思を通すことが多かった。 普段 氷河が瞬の意思ばかりを優先させてくれるのは、この時に我を通すための代償とでも考えているかのように。 その件について氷河に尋ねると、氷河からは、『夜のことを おまえに任せたら、おまえは遠慮ばかりして何も始まらないだろう』と、納得できるような できないような答えが返ってくるのが常だった。 なんとか身体を動かせるようになると、瞬は身体の向きを変え、氷河の胸に寄りかかるようにして、その身体を彼に預けた。 氷河の手が瞬の背中や腰を撫でてくる。 緩やかではあるが、それもまた愛撫であることに変わりはなく、瞬は時々、微妙な緩急をつけた氷河の手や指に ただ触れられているだけで喘ぎ声を洩らしそうになることもあった。 「僕、わからない。絶対の善を求める完全無欠の神なんかを信じたら、苦しむのは自分自身でしょう。なのに、なぜ彼は そんな神を信じようとするの」 今夜も氷河の手や指は、瞬の首や背中の上を さまよっている。 うっとりと目を閉じてしまいそうになる自分を叱咤して(?)、瞬は氷河の胸の中で呟いたのである。 愛撫の手を止めずに、だが 存外に真面目な声で、氷河は瞬の疑念に答えてくれた。 「人間は、ありもしない絶対を求めるんだ。おまえは求めたことがないのか。絶対の善、絶対の愛、絶対の神――」 「僕は……僕は、アテナが好きで、尊敬しているし 信じてもいるけど、それは絶対のものではないと思う。色んな指示を出されるたび、一応 その判断や命令が正しいかを考えるもの。僕たちの女神様は、時々 悪ふざけで言ってるんじゃないかって思うような、馬鹿げたことを言ったりもするし」 「――おまえは、神には 最も扱いにくい種類の人間だろうな。神を名乗る者たちには、自分を盲目的に信じる者の方が都合がいいだろう」 「そうなのかな? 神様たちだって、自分では何も考えない盲信の徒っていうのは扱いに困りそうな気がするけど。そういうのって、赤ん坊をたくさん任されているようなものじゃない」 瞬は 至極真面目にそう言ったのだが、ふいに瞬の背中の中央の窪みを辿っていた氷河の指が その動きを止める。 怪訝に思った瞬が上体を起こし 氷河の瞳を上目使いに見あげると、氷河は その顔を苦しそうに歪めていた。 「ああ、すまん。アテナが88人の赤ん坊に囲まれている図を想像してしまった」 「え……」 「そうなったら、我等が女神は 確実に怒りで爆発するな」 「氷河ってば、変な想像しないでよ!」 氷河が苦しそうなのは、笑い声をあげるのを我慢していたせいだったらしい。 瞬は呆れて、その身体と頬を元の位置に戻した。 「あ、でも……」 「ん?」 氷河の指が、また その活動を始める。 「自分が神に近付いてるんじゃないかって思うことはあるよ」 「戦っている時か? 敵対する者の生殺与奪の権を我が手に握っていると感じる時――」 「まさか。そんなんじゃなくて……こんなふうに氷河と抱き合って、気持ちよくて、自分を失っている時。あの一瞬、僕は身体も意思も感情もない、小さな一つの光になって、どこかに向かっているような気がするんだ」 それは氷河には想定外の答えだったらしい。 一瞬 瞳を見開き、自分の胸の上にある瞬の顔を覗き込んでから、氷河は楽しそうに笑った。 「ははは。それでは、人間は誰でも毎日神の許に馳せ参じていることになる」 「それはどうかな」 「ん?」 「あの感覚、誰もが経験できるものじゃないんだって。アクロコリントスのアフロディーテ神殿から来た女性たちが言ってた」 「あそこの巫女たちは、おまえに ろくでもないことばかり教えるな。よほど下手な男に当たってしまったら そうかもしれないが」 「心も身体も完全に委ねられるくらい好きになれる人に 「おまえ、俺を喜ばせようとしているのか」 そう問い返してくる氷河は、既に喜んでいる。 瞬の腿に辿り着いた彼の手と指の動きが軽快になり熱を増したことで、瞬にはそれがわかった。 「そういうわけじゃないけど……。僕は、あの感覚を生きているうちに できるだけ多く経験したいって思うだけ」 「お望みのまま、努めよう。おまえと一つになると、俺も 神の国とやらに迎え入れられたような気分になれるからな」 「もう……。氷河は言い方が いちいち嫌らしいの」 「嫌らしくても好きなんだろう」 『何が !? 』と、瞬は氷河を厳しく問い質そうとしたのだが、瞬が その言葉を口にする前に、氷河は二人の身体を半回転させ、瞬に息つく間も与えず、恋人の中に侵入してきていた。 その一瞬、瞬は本当に、息をすることを忘れたのである。 「あああああっ!」 瞬が なんとか息をする方法を思い出した時には、既に 氷河は抜き差しを始めていた。 ずっと中にいてくれればいいのにと 瞬は思うのだが、氷河には氷河の都合があるらしい。 奥に進もうとする時には 熱狂して氷河を迎えてくれる そこが、出ていこうとする時には 氷河に全力で絡みつき、彼をそこに引きとめておこうとして すがりついてくる。 その感覚が えも言われない。 氷河は 意識して そんなことをしているわけではない瞬には、氷河の言う『えも言われぬ感覚』など理解のしようもなかった。 が、氷河が喜んでくれているのなら それで文句もなかったし、おそらく氷河が その感覚を味わっている時が、瞬自身が 神に近付いていく“感じ”に翻弄されている時なので、瞬は彼に文句を言える立場にはなかった。 「あっ……あっ……あああ……っ!」 あの男の神は、そんな“感じ”に支配されることも罪だと言うのだろう。 温かく快い罪。 一つの小さな光になっていく自分を感じながら、罪とは 幸せを極めた状態のことを言うのかもしれないと、瞬は思った。 |