嘘がばれてしまったのですから、すぐにも火の国に逃げ帰るだろうと思っていた瞬王子は、氷河王子の予想に反して、故国に帰ると言い出す気配を見せませんでした。 「瞬殿は、おまえにどんなに素っ気なくされても、おまえのために何か力になりたいと言っている。おまえの姿を見ていられるところにいられるなら、下働きでも何でもするとまで言っている。本当に健気だ。まさに理想の妻」 カミュ国王は すっかり氷河王子と瞬王子の縁談に乗り気で、氷河王子の気も知らず、そんな嫌味を毎日 氷河王子に言ってきました。 瞬王子の狙いが 氷の国の王妃の座と知った氷河王子には、カミュ国王の仲人口は全くの逆効果だったのですけれど。 ともかく、氷河王子の侍従として氷河王子の側近くに仕えることができなくなった瞬王子は、それ以降、距離を置いたところから氷河王子を見詰めることを続けていました。 なにしろ可愛らしく 人当たりの やわらかい瞬王子には 氷の国の王宮の誰もが優しく親切に接します。 自分だけが瞬王子に優しくできないことが、氷河王子をひどく苛立たせることになりました。 そんな日々が続いていたので、その日も氷河王子は朝から いらいらしていたのです。 世界中の何もかもが自分を苛立たせるために存在しているような気がして、何を見ても、何を聞いても、氷河王子の気分は とげとげしくなるばかり。 こういう時は 花でも眺めているのがいいかもしれないと考えて、氷河王子は、お母様のお気に入りだった薔薇園に足を運びました。 なのに。 お母様の面影を残す薔薇の中で一人になって落ち着こうとしていた氷河王子は、そこに見知らぬ老婆の姿があることに気付き、自分の思惑を妨げられたことに、大層立腹することになったのです。 「何者だ !? 見かけない奴だな。火の国の間者か」 「おや。氷の国の王子だね。随分と機嫌が悪そうだけど、この私を火の国の間者とは、見る目のない王子様だ」 「間者でないなら、ここで何をしていた」 それでなくても いらいらしていたところに、仮にもこの国の王子に対して『見る目がない』とは、言いたいことを言ってくれるものです。 氷河王子は むっとして剣を抜き、その剣先を正体不明の老婆の鼻先に突きつけました。 老婆が、その剣を、文字通り鼻で笑います。 「なんて礼儀知らずの王子様だろう。呆れたものだ。そう、私は間者だよ。氷の国の王子は我儘で思い遣りの心を欠いた傲慢な王子と聞いていた。事実を確かめておかなければならないと思って、私は地上にやってきたんだ。いざという時に どの人間に命の花を使う権利があるかどうかを見極めておくのが私の務めだからね。噂は事実だったようだ。この礼儀知らずが!」 「命の花を使う権利だと? おまえは何者だ」 「わざわざ名乗る義務もないが、まあ、傲慢な王子が自分の軽率を後悔するように、特別に名乗ってやろう。私は掟の女神テミス」 「掟の女神テミスだと !? 」 氷河王子が その名を口にした途端! 何ということでしょう。 みすぼらしい老婆の姿をしていた掟の女神は 高貴な若い女神の姿に大変身。 そして、その変わりように驚いている氷河王子に、己れの軽率を反省する間も与えず、彼女は呪いをかけたのです。 「誰よりも美しく優しかった あの王妃の息子が こんな無礼者に育つとは。短気で短慮な氷の国の王子よ! そなたが 次に怒りに任せて口にした罵詈雑言が現実のものになるように!」 「な……何が掟の女神だ! テミスといえば、瞬と一緒になって 俺のマーマを見殺しにした女神じゃないか!」 本物の神様の姿を見るのは これが初めてでしたから、さすがの氷河王子も本当は 内心では ちょっとびくびくしていました。 でも仮にも一国の王子が 神とはいえ女性の前で萎縮している様なんて見せられません。 氷河王子は虚勢を張って、テミスに怒鳴り返しました。 それまで怒りに燃える瞳で氷河王子を見やっていた掟の女神が、その怒声を聞いた途端、ひどく悲しげな目になります。 「そなたは本当に、あの優しかった王妃の息子なの……」 掟の女神は、やりきれなさそうな口調で そう呟き、やがて 氷の国の王宮の薔薇園から その姿を消してしまいました。 |