もっとも残酷な季節






4月。
季節は、当然 春だった。
春なのだが、聖域に桜の木はない。
必然的に、花見という楽しく愉快なイベントもない。
そして、花がないところには団子もない。
星矢が、見るからに緊張感のない――むしろ 詰まらなそうな様子で聖域散策に出ていったのは、ゆえに、うららかな春の気候に浮かれたからではなく、団子のない春に気が抜けていたからだったろう。
そして、
「花の散る潔さでは オリーブも桜と大差ないし、アーモンドの花とかは桜にそっくりだし――桜の代わりになる木を探して、お花見でもしてあげようか」
『ちょっと散歩に行ってくる』と言ってアテナ神殿を出て行った星矢を見送って室内に戻ってきた瞬が 氷河と紫龍にそう提案したのは、せっかくの春に元気のない星矢の身を案じてのことだったろう。

が、残念ながら、仲間の身を案じる瞬の提案は、瞬の別の仲間によって一蹴されてしまったのである。
花見なぞしてあげる・・・・・必要はない。たかが花見ができないくらいのことで気が抜けているような阿呆を甘やかすな。だいいち、星矢が本当に欲しいのは、花ではなく団子だろう。このギリシャで花見団子を手に入れるのは まず無理な話だ」
「お団子くらいなら、お米さえあれば、僕、なんとか作れると思うけど……」
「だから、あの阿呆のために そこまでしてやる必要はないと言っているんだ!」

氷河の機嫌が悪いのは、もちろん、馬鹿げた理由で気落ちしている星矢を 瞬が甘やかすのが気に入らないからだった。
そして、それ以上に――実は、楽しく愉快なイベントであるところの花見ができないからだったのである。
つまり、氷河は、星矢の消沈と同じ理由で不機嫌だったのだ。
日本には桜の名所が腐るほどある。
星矢好みの“花より団子”とは別に、去年の今頃、氷河は瞬と二人で、新宿御苑の寒桜、浜離宮の八重桜、六義園のしだれ桜と、ごく短い桜の季節を思い切り堪能しまくっていた。
だというのに今年、よりにもよって桜の時季に、某聖域の某々女神は『たまにはギリシャで違う祭りに接してみるのもいいでしょう』と言って、ヒュアキンティア祭の見物に行くことを彼女の聖闘士たちに提案してきたのだ。

ヒュアキンティア祭――つまり、ほもの三角関係の祭である。
ほもの三角関係のもつれで死んだ男が、ヒアシンスの花として復活したことを祝う祭り。
言ってみればキリスト教の復活祭のようなものなのだが、そんなものに 氷河は全く興味がなかった。
そんな男の復活を祝っている時間があったら、瞬と二人で桜の下を歩き、咲き誇る桜の美しさや散り行く桜の潔さに感動して瞳を輝かせている瞬を見ている方が よほど有意義だと、彼は思っていた。

もちろん、花は桜だけではないし、ギリシャにはギリシャの春に咲く花がある。
瞬と共に花見に出掛けていくことはギリシャでも可能なのだが、聖域は遊興のためにやってくる場所ではないという意識が瞬の中にはあるらしく、聖域滞在中の瞬はそういうことには あまり乗り気になってくれないのだ。
そんな瞬が、花より団子の星矢のために花見を催してやろうと提案してくる。
氷河に この事態にむかつかず上機嫌でいろと言う方が無理な話というものだった。

「でも、いつも元気な星矢の元気がないと、僕たちも調子が出ないっていうか、調子が狂うっていうか――。黄金聖闘士たちも交えて、一度 お花見をすれば、星矢も少しは元気になってくれるんじゃないかと思うんだけど……」
仲間思いの瞬の提案を、だが、氷河は あくまでもどこまでも断固として退けた。
「おまえは何を言っているんだ! 黄金聖闘士たちを交えて花見なんて、とんでもない話だ。そんなことをしてみろ。奴等は絶対に酒を持ち出すぞ。奴等は 花より団子の星矢よりたちの悪い大トラだ。酔っ払いだらけになって、雅も趣もなく見苦しく騒ぎまくるに決まっている。おまえは そんなに酔っ払いの相手をしたいのか!」
「酔っ払いの相手? 僕、それはいやだな……」
酒――というより、酒の匂いが苦手な瞬が、氷河の言葉を聞いて眉根を寄せる。

『星矢のために お花見をしてあげよう』などという馬鹿な計画を、これで瞬も思いとどまってくれるだろう。
そう考えて、少し氷河の気が晴れかけた時だった。
「瞬! 瞬、いるかーっ!」
ここが、静謐と神聖が保たれるべき女神アテナの御座所であることなど意に介したふうもない大声を響かせて、元気のないはずの星矢が、彼の仲間たちのいる部屋に勢いよく飛び込んできたのは。






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