「最もオーソドックスなデートの構成は、メインイベントと その後の飲食の2本立てだ。親密度が増せば、その後 泊まりということになるが、それは今はまだ考えない方がいいだろう。最初のうちは、焦って がっついている様子は極力見せずにいた方がいい」 いかにも春の花といったピンク色の薄い花びらのバラが咲く花園で、自分はなぜこんなことを、この世で10指に入るほど気に入らない男にレクチャーしてやっているのかと、氷河は思ったのである。 その男の背後に、星矢と紫龍だけでなく瞬までが聴講生然として控え、真剣な目で氷河先生の講義に聞き入っているせいで、氷河はこの講義を休講にもできなかった。 「メインイベントは、普通は映画とか観劇とかテーマパークで過ごすとか――車があるならドライブをして場所移動という行為自体もメインイベントにすることができるな。その後、食事もしくはお茶をしながら、メインイベントについて語り合い、互いの親睦と理解を深める。メインイベントが、デートの誘いの名目になるわけだから、その選択を間違えると、そもそもデートの誘いに応じてもらえないし、応じてもらえたとしても、そのあとが続かない。ゆえに、メインイベントの選択は極めて慎重に行なわれなければならない。相手の趣味や好みを事前に綿密に調査して――」 「ちょっと待て。この私が相手の好みを調べる? いちいち調査? なぜ私がそんなことをしなければならないんだ。相手を私の好みに合わせさせればいいだけのことではないか」 氷河先生の講義内容が全く解せないという口調で、アフロディーテ君が許可も得ずに発言する。 途端にアフロディーテ君は、氷河先生に頭ごなしに怒鳴りつけられることになった。 「恋をしている男が思いあがるんじゃない! いいか、こういうことは惚れた方が負けなんだ! 貴様は、貴様の嫌いな醜い敗北者だ。誰かに惚れたらな、その相手の靴を舐めることも辞さない覚悟が必要なんだ。『耐えろ、耐えろ、耐え忍べ』と毎日自分に言いきかせて過ごすしかないんだ。相手の方を自分に合わせさせようなんて、そんな甘い考えでいたら、そもそも貴様はデートの誘いに応じてもらえないだろう。相手にデートしてもいいと思ってもらえなければ、デートというものはできない。貴様はそんなこともわからないのか!」 「む……デートというものは、それほどまでに厳しいものなのか」 「当たりまえだ! そして、いいか。デートというものは一度失敗したら二度目はないものだと思え。やり直しはきかない。たとえ義理で二度目のデートに応じてもらえたとしても、一度 悪い印象を持たれたら、それがいつまでもついてまわる。デートは毎回、一期一会、いや、これが一生一度のチャンスだという覚悟をもって臨まなければならない重大かつ深刻なイベントなんだ!」 「うむぅ……」 氷河の鬼気迫る迫力、その厳しい教えに、さすがの黄金聖闘士が言葉を失う。 アフロディーテは、たかが青銅聖闘士の鬼神さながらの気迫に、 「たとえば、映画ひとつをとってみても、ホラー映画の嫌いな相手をホラー映画に誘ったら、それだけで趣味も価値観も合わない相手と判断されて、即座に切り捨てられてしまうだろう。デートなんだから、恋愛映画ならいいというわけでもない。それが へたに出来すぎの恋愛を表現したものだったりすると、その映画のせいで貴様のデート相手が貴様に失望する可能性もある。恋愛そのもののあり方に疑問を持たれることもないとは言えない。ではヒューマンドラマがいいかというと、それはそれで人生を気楽に生きたいと考えている者には重たさを感じさせるものになるだろう。そもそも相手がアウトドア派の人間だったら、二人が過ごす時間に映画鑑賞を選ぶこと自体が大間違いなわけだ」 「――」 「食の好みの把握も重要だ。甘党か辛党か、酒はいけるか、いけないのか。食事の仕方一つで、人は人を永遠に疎ましく思うようになることもできるんだ。貴様だって、音を立ててスープを飲むような相手と 一生食事を共にしなければならなくなったら、それは拷問に等しいことだと感じるだろうが」 「――」 「そして、デートにおいて最も重要なことは、相手に合わせることも大事だが、相手の好みに合わせてばかりいても駄目だということだ。つまり、デートには、サプライズが必要なんだ。どんな些細なことでもいい。人と出会って、時間を共に過ごして、その時間に何か新しい発見がなければ、その時間は無益な時間だったということになる。好きな相手の好みを完璧に把握し、それに合わせることで、まず居心地の良さを提供する。その上で、相手にとって新鮮な驚きを、最低でも一つ味わわせる。そうすることによって、自分の好きな相手に、この人と一緒に また同じ時間を過ごしたいと思わせることが、デートの目的だ。その積み重ねが、やがては『この人と離れたくない』という強い気持ちを相手の心に根づかせることになるんだ」 「サプライズ……。メインイベント選びに四苦八苦したあげく、そんなものまで用意しなければならないのか? デートというものは随分と面倒なものなんだな」 「自分には無理だと思ったら、さっさと諦めることだ。そんな奴には本気の恋などできない」 氷河の突き離すように厳しい言葉に、アフロディーテはすっかり圧倒されていた。 「あのカミュの弟子だけあって 白鳥座の聖闘士は見事な似非クールと聞いていたが、それは仮面に過ぎなかったのか……」 春に咲く薔薇の香りの中で、アフロディーテが 敗北感に打ちひしがれた者のように呟いたのは、至極当然のことだったろう。 なにしろ、氷河の仲間たちが、これほど冷徹な氷河を見るのは、これが初めてだったのだから。 「何か、すごいね……。氷河って、いつも あんなことを考えながらデートしてるんだ。僕、全然知らなかったよ」 「俺もびっくりした……。だが、まあ、氷河はデートの大ベテラン、オーソリティと言ってもいいような奴だからな」 「そっかー。フレアさんとか絵梨衣さんとか、氷河、いつも女の人にもててたもんね」 「えっ !? 」 クールな氷河というものに初めて接して、星矢と紫龍は もちろん驚いていた。 普段の彼を よく知っているだけに、彼等の驚きは もしかしたらアフロディーテが感じたもの以上に大きなものだったかもしれない。 だが、今、彼等の顔が――否、全身が――冷たく凍りついたのは、氷河の意想外のクール振りのせいではなかった。 そうではなく――彼等を凍りつかせたものは、心の底から 氷河の精進と努力に感じ入っているらしい瞬の無邪気な感嘆の声だったのである。 「でも、いつも僕たちと遊んでばかりいると思ってたのに、氷河って、デートの時間をどこから捻出してるんだろ。僕たち、氷河の彼女さんの話って聞いたことないよね? 氷河って、秘密主義なのかな」 「俺も氷河の彼女の話は聞いたことないけどさ。瞬、おまえ――」 「え?」 真実を知るのが恐くて確かめられないこと――というものが、この世には確かに存在する。 花より団子より どんちゃん騒ぎが好きで、基本的に人生を おちゃらかして生きていたい星矢でも、今 その事実を瞬に確かめる勇気は持てるものではなかった。 「いや……何でもない……」 春の花らしいピンク色の薄い花びらでできた薔薇が咲く花園。 しかし、その花園にいる星矢と紫龍の胸の中では、不幸な男の呻き声のような音を響かせて、不吉なブリザードが吹きすさんでいた。 |