そんなふうに戦い続けて――アテナの聖闘士にとって最大の戦いである聖戦が終わり、平和の時がきた。
ついに訪れた平和の時。
僕は、氷河が何をしようとしているのかに気付いて――氷河が僕たちの恋を成就させようとしていることに気付いて、窮余の策を講じた。
僕は、氷河を忘れた振りをしたんだ。
氷河と過ごしてきた時間と記憶を失った僕は、氷河が好きになってくれた僕とは違うものになるだろうと思ったから。
僕は、氷河を知らない僕になった振りをした。
そして、氷河と共に記憶を積み重ね、愛を深めていくことのできない僕になろうとしたんだ。

僕の考えは図に当たった。
そう思っていたよ、最初のうちは。
氷河は僕を 以前の僕とは違う人間だと認めざるを得なくなって――実際、認めた。
その上で 僕が以前の僕に戻るよう、毎日 僕たちのこれまでの物語を僕に話してきかせるようになった。
それはもう一生懸命に。

そのたび僕は切なくて、悲しくて、苦しくて、ますます 氷河を好きになっていった。
でも 僕は氷河を死なせないために、そのたび忘れる振りを繰り返した。
氷河が僕に語ってくれる、僕たちのこれまで。
僕は それを毎日 忘れる振りをして、氷河は毎日 僕に語りかけてくれて――決して諦めずに、繰り返し繰り返し。
氷河が僕に語ってくれる僕たちの物語を聞きながら、僕は何度言いそうなったかしれない。
「知ってるから、忘れてないから、もう話さなくていいんだよ、氷河」
って。
「氷河にこんな徒労をさせる僕を早く嫌いになって」
って。

そして、人は いったい人の何を好きになるんだろう? と思った。
こんなひどいことを氷河に強いている僕を嫌いになって。
そう、心の中で幾度も氷河に叫び訴えながら、僕はどんどん氷河を好きになっていった。
以前にもまして、氷河を好きになっていった。
恋の成就っていうのがどんなものなのか、僕にはわからなかった――って言ったでしょう?
僕にはそれがわからなかった。
わからないまま、ただ氷河を好きだっていう気持ちだけが募っていった。

僕がすべてを忘れ、記憶を積み重ねて愛を育むことのできない人間になった振りを始めて1ヶ月くらいが過ぎた ある日。
いつものように僕たちのこれまでの物語を語ってくれた氷河が、僕に言ったの。
「それでも俺はおまえが好きだ」
って。
その時だった。
僕は氷河にこんなにひどいことをしてるのに、それでも氷河は僕を好きだと言ってくれる。
僕がこんなに好きになった人が、こんな僕を好きだと言ってくれる。
僕はなんて幸せな人間なんだろうって思ったんだ。
僕ほど恵まれた人間は きっとこの世界にいないって、僕は思った。

僕は――僕は自分を愚かな人間だとは思わない。
単純で おめでたい人間だとも思わない。
そうじゃなく――僕は、すごく貪欲な人間なんだと思う。
どんなことも――どんな些細なことでも、それを 僕は僕の幸せの種にしてしまう。
どんな小さなことででも、僕は満たされようとする。

僕の恋の成就は、氷河に抱きしめてもらうことでも、二人の恋を世界中の人に認め祝われることでもなかった。
僕が好きになった人の心を何の疑いもなく信じることができて、その人の心を信じられることを嬉しいと感じることだったんだ。
ただ それだけだった。
そう。
その時、僕の恋は成就してしまったんだ。






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