「さらわれた若い娘たちが異常な速さで歳をとっているのは 確かに奇妙なことだけど、カタリン夫人が普通に歳をとっているのなら、一連の事件とカタリン夫人を即座に結びつけるのは安易すぎるかもしれないね。どっちにしても、ハーデス絡みの話ではないような気がするけど」
食事は美味だった。
入浴にも ふんだんに湯を使うことができた。
宿の施設やサービスは ハンガリーの片田舎にある宿としては行き届きすぎているほどで、そういった点に関しては、瞬はこの宿に どんな不満もなかったのである。
難点を言うなら、肝心の部屋が、瞬には今ひとつ馴染めないものだということくらい。
ハンガリー随一の名家ナダスティ家の城館を宿に作り変えたというだけあって、氷河と瞬が泊まることになった部屋は、一言で言うなら装飾過多。
壁も床も天井も、じっと見詰めていると目眩いを起こしてしまいそうな幾何学模様で埋め尽くされ、しかもその色が主に金、赤、白。
瞬たちが宿泊することになった部屋は、いったい こんな色と模様の洪水の中で くつろぐことのできる人間が存在するのかと疑いたくなるような部屋だったのだ。

「血の伯爵夫人の実家のバートリ家は精神疾患者が多かったそうだけど、ナダスティ家の方はどうだったのかな。どういう感性の持ち主が、こんな ごてごてとして落ち着かない部屋を作ろうなんて思ったんだろう……」
こんな狂人の心のような部屋で過ごすくらいなら野宿する方がずっとましだと、瞬は半ば本気で思っていた。
おそらく氷河も、この部屋の装飾自体には瞬と似たり寄ったりの感懐を抱いていたに違いない。
ただ彼は、その装飾過多の部屋にある天蓋付きの巨大な寝台にだけは 大いに興が乗ったらしく、その上に陣取って 梃子でもそこから動かない構えを見せていたが。

「いや、しかし、この寝台は ぜひ使い心地を試してみなくては」
含み笑いを含み切れていない氷河が、炯々けいけいと瞳を輝かせて、瞬の腕を引く。
その力に逆らわず、寝台を椅子代わりにしている氷河に抱きしめられることだけはしてやってから、瞬は氷河に意見してみたのだった。
「氷河……そういうことは、これからの計画を立ててからにしようよ」
氷河は、だが、瞬の意見には耳も傾けてくれなかった。
「今の最優先事項は、おまえの身を守ることだろう。これからの計画は、その次だ」
言いながら、氷河が、瞬の着衣を取り除こうとする。
「これがどうして僕の身を守ることになるの」
強硬に抵抗すると意地になる氷河を知っている瞬は、意識して穏やかな声で氷河に尋ねたのである。
そこで氷河に対して強く出なかったのが、瞬の敗因だったかもしれない。
次の瞬間には、瞬の身体は、寝台と氷河の胸の間に引き込まれて、脱出不可能な状態にさせられてしまっていた。

「吸血鬼は処女の血を求めるものだろう。おまえの身を守るために非処女の証明をしておかなくては」
「今更、その必要はないでしょう。だいいち、僕は男だよ。処女も何も――」
「おまえが俺のものだということを、ギリシャの吸血鬼は知っていても、ハンガリーの吸血鬼は知らないかもしれないだろう?」
理屈になっていない理屈を、氷河が瞬の耳許で囁く。
反論しようとした瞬の唇は、しかし、そうする前に氷河の唇にふさがれてしまっていた。
氷河は既にその気になっており、何が何でも自分の意思を通すつもりでいるらしい。
こうなると、吸血鬼が出ようと悪魔が来ようと、氷河を止められる者はいなかった。

「よく、こんな部屋で そんな気に……あ……んっ」
「この部屋が気に入らないなら、目を閉じていろ。そうすれば、ここは いつもの俺たちの寝台だ。いつも通り、好きなだけ乱れていい」
「僕は、好きで乱れているわけじゃ……あああっ」
瞬は いつも好きで乱れているわけではなかった。
そうなるように仕向けられて、仕方なく・・・・乱れているのだ。
氷河は、その点を誤解している。
瞬は、氷河の誤解を正すために、あらぬところを さまよっている氷河の手を払いのけようとしたのである。
が、逆に その手を氷河の手に掴みとられた瞬は、あろうことか氷河の手に操られる自分の手で自分の身体を愛撫することになってしまったのだった。

「やっ……いや、氷河、やめて。その手、離して」
「自分でやるより、俺の手と指の方がいいか?」
「そ……そんなの、当たりまえでしょう……!」
瞬は 恥ずかしくて目を開けることができずにいたのだが、瞬の その言葉を聞いた氷河が満面の笑みを浮かべたことは、わざわざ目を開けて確かめなくても、瞬にははっきり感じ取ることができた。
「俺は、おまえの望むことは何でも叶えてやりたい男だからな」
勝手なことを言って、氷河が、彼自身の手と指で瞬の願いを叶え始める。
「ああ……! ああ……ああ、だめ、氷河……っ!」
固く目を閉じると、氷河の言った通り、確かに そこはいつもの二人の寝台で、瞬はいつも通り 好きなだけ氷河に乱れさせられてしまっていた。
たかが非処女の証明に、これほど時間をかけ、これほど繰り返しらちを明かせなければならないのかと恋人に問い詰めたくなるほどに――その夜の氷河の愛撫は執拗で情熱的で、その上 くどかった。

そうして、自分のしたいことを し尽くして満足したらしい氷河が、
「とりあえず、明日、吸血鬼の被害者に会ってみよう」
と、瞬の耳許に“これからの計画”を囁いてきた頃には既に、瞬は 身体中の力を奪われ、口もきけない状態にさせられてしまっていたのである。






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