もし被害者がチェイテ城に連れていかれたのだったとしても、当人が何も語らないのではどうすることもできない。 被害者の証言もなく、チェイテ城の中を見ないことには証拠も手に入らないだろう。 遠乗りのカタリン夫人の姿を盗み見ていても、わかるのは彼女の年齢だけ。 吸血鬼の――もしくは犯罪の――痕跡があるとしたら、それはチェイテ城中だけだろうと、気の毒な家族の家から帰る道すがら、見事なまでに不穏な空気のない村の中を歩きながら、瞬は――おそらく氷河も――思ったのである。 この村は、宿や市場のある中心部分に驚くほどの活気がある他は、ハンガリー国内外のどんな村とも大差ない、至極平凡な農村だった。 時間の流れが緩やかで、穏やかで、少し疲れている、ごく普通の ありきたりな村。 だが、チェイテ城の周囲だけは違っていた。 チェイテ城は、数キロ離れた場所ででも感じとれるほど強烈に、陰気な瘴気のようなものを発していた。 ハーデスの関与の有無はさておくとしても、一連の事件の現場がチェイテ城だということだけは、瞬にも氷河にも感じ取れていたのである。 二人の足は、自然にチェイテ城に向かっていた。 「チェイテ城に入らなければ、何も掴めそうにないね。アテナに紹介状でも用意してもらえばよかった」 「女神アテナから 吸血鬼への紹介状か? そんなものはなくても、城の中に入るのなんて簡単だ」 「忍び込むの?」 「城の周囲を怪しげに うろうろしていたら、あっちの方から城に招待してくれるだろう。やましいことがあるのなら」 チェイテ城が発している不気味な瘴気のせいか、氷河はカタリン夫人とチェイテ城には やましいことがあると確信しているらしい。 城に近付くほどに その瘴気の密度は濃厚になり、それにつれて、瞬は この件へのハーデス関与の可能性が薄れていくのを感じることになったのである。 チェイテ城が発する瘴気は、神や聖闘士の持つ小宇宙とは全く感触が違っていた。 チェイテ城――50年前、血の伯爵夫人が650人もの少女を惨殺した惨劇の城。 その呪われた城は、緑に覆われた小高い丘の上にあった。 馬車や馬の通る道だけが茶色の地肌をさらしていて、他は緑一色。 二つの村の堺にある丘の周辺に民家はない。 城壁は あるにはあったが、それは敵の侵入や攻撃を防ぐためのものではなく、単に領民に城のありかを示すためのものでしかなく、申し訳程度の高さしか有していなかった。 城壁の周囲から丘の麓までは小さな林になっている。 「で? 何をすれば怪しげに見えるの」 聖闘士になら容易に飛び越えられる石の壁。 高さより古さの方が気になる城壁の前に立ち、瞬は、城への招待を確信しているらしい氷河に尋ねてみたのである。 「そうだな。とりあえずキスでもしてみるか」 「んっ」 その提案に瞬が同意する前に、氷河の唇が瞬の唇に食いついてくる。 そのまま瞬の手と腰を掴んで、氷河は瞬の肩と背中を石の壁に押しつけた。 氷河の唇が すぐに瞬の首筋に下り、同時に氷河は その膝で瞬の脚を割ってきた。 「もう……氷河の言ってた 怪しいことってこういうことなの」 「風雅の趣味を解さない凡百の徒には、怪しいことと崇高なことの区別がつかないだろうから、これで十分だ。ご招待は、俺が昂ぶりすぎて引くに引けなくなる前か、すべてが終わってからにしてほしいがな。タイミングによっては、目も当てられないことになる」 目も当てられないことにはならないだろうことを、氷河は初めから見越していたのだろう。 瞬に手足を絡みつかせながら、氷河の身体は冷静そのものだった。 城下には のどかな村しかなく、戦時中でもないというのに、この城には厳しい見張りが立っていたらしい。 氷河の唇が瞬の胸に下りていく前に、氷河と瞬が欲していたチェイテ城への招待状が 二人の上に降ってきたところを見ると。 「貴様等、何をしている」 やってきたのは、氷河より頭3つ分は背の高い巨人と、その巨人の半分の背丈しか持っていない魔女と見紛う老婆。 氷河の肩越しに二人の姿を認めた瞬は、一瞬 本気で、自分は おとぎ話の世界に迷い込んでしまったのかと思ったのである。 「見てわからないか。これから人目のないところで 二人で愛し合おうとしているんだ。邪魔をするな」 氷河は、一度 瞬の耳許に唇で触れてから、後ろを振り返りもせずに巨人たちの相手を始めた。 「怪しい奴等め。ここはナダスティ家のチェイテ城の敷地の内だぞ。どうやって入った」 「どうやっても こうやってもない。城壁の中には入っていないし、丘の麓には 立ち入り禁止の看板もなかったぞ。普通に歩いて ここまで来れた」 氷河は事実しか言っていなかったのだが、全く怯えた響きのない その口ぶりが、巨人と魔女に不審の念を抱かせたらしい。 彼等の猜疑心のおかげで、氷河と瞬は首尾よくチェイテ城へのご招待に預かることができたのだった。 |