「あー……そういや、瞬の奴、そんなこと言ってたなー」
「うむ。あまりに瞬らしい発言だったから、気にも留めなかった」
「そ……そんなことのために、俺は あの馬鹿げた墓場攻撃にさらされ続けていたのか……っ!」
星矢と紫龍の盗み見盗み聞きは、純粋な好奇心――もとい、二人の仲間を案じる気持ちに突き動かされてのものだったが、一輝のそれは、馬鹿げた墓場攻撃を止めるよう 瞬が氷河を説得叱責してくれるだろうことを期待してのものだった。

兄思いの瞬のこと、瞬は きっと厳しく氷河を糾弾してくれるに違いない。
場合によっては泣き落としという荒業に出ることもあるかもしれない。
そして、瞬に馬鹿げた墓場攻撃を責められたなら、氷河は恐れ入って その言動を改めるしかなくなるだろう――。
一輝は、そういう展開を期待して、小山を成しているガクアジサイの陰から可憐な乙女よろしく盗み見盗み聞きに いそしんでいたのである。
そのはずだったのだが――。

一輝はまず、最愛の弟の途轍もなく おぞましい誤解に、その小宇宙と戦闘力の90パーセントを奪われた。
次いで、氷河の墓場攻撃の動機のくだらなさのために、更に その小宇宙と戦闘力の9パーセントを奪われた。
彼が今 何とか自らの命を保っていられるのは、残りの1パーセントの小宇宙――氷河を馬鹿げた墓場攻撃に走らせる原因になった兄を思う弟の言葉によって かろうじて消えずに済んだ残りの1パーセントの小宇宙――のおかげだった。

瞬の誤解は、他の誰よりも氷河にとって幸運なものだったろう。
もちろん、その とんでもない誤解のせいで 氷河自身も傷を負うことにはなった。
だが、その誤解は、本来なら 最愛の弟をたぶらかされて怒り心頭に発するはずの一輝から、彼の戦闘力のほとんどを消滅せしめてくれたのだ。
瞬の誤解によって 氷河は、本来なら十中八九 瞬の兄によって奪われていただろう命を失わずに済んだのだ。
そして、一輝も――最愛の弟のとんでもない誤解によって 復活が困難なほどのダメージを受けたとはいえ、少なくとも彼は 氷河の馬鹿げた墓場攻撃にさらされることは、それ以降なくなったのである。


人の世には、すべての人に認められ受け入れられる正義が存在しないように、100パーセント楽しく嬉しく喜ばしい要素だけでできている出来事も起きない――100パーセント苦しく嘆かわしく悲しい要素だけでできている出来事も起きない。
苦しみと楽しみの二つの要素でできている人生の出来事のどちらの面を見るかで、人の生き方は変わってくる。
悲しみと喜びのどちらの面を見るかで、その人の人生が幸福なものになるか不幸なものになるかが決定する。
そして、アテナの聖闘士たちは 基本的に、苦より楽、悲より喜の方に その眼差しを向ける者たちだった。
であればこそ、彼等は希望の闘士なのである。

最愛の弟を ろくでなしに奪われた一輝もまた、そんなアテナの聖闘士の一人だった。
アテナの聖闘士は、苦より楽を見る。悲より喜を見る。そして、不幸になる道より幸福に至る道を選ぶ――のだ。
今に限って言うなら、それは一輝にとって 実に やるせないことだったが。






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