翌日は聖域に向かうことになっていた。
夢の中では――“あの世界”では――戦えなくなった瞬は敵に見向きもされなかったが、現実の世界はそうではない――今はそうではない。
聖域の外れに着陸したジェットヘリの外に出た途端、アテナの聖闘士たちは、“敵”という名を持つ数十人の男たちに囲まれた。
彼等はどうやらアテナの聖闘士たちが聖域の結界の中に入る前を狙って、瞬たちに攻撃を仕掛けてきたものらしい。

もしかしたら彼等は アテナの聖闘士たちとは異なる正義を信奉しているだけなのかもしれない。
何者かに、アテナと彼女の聖闘士たちに正義はないと信じ込まされているだけなのかもしれない。
自らの正義の実現のために戦ってはいるが、本当は戦いなど望んでいないのかもしれない。
彼等は、彼等の守りたいもののために戦っているだけなのかもしれない――。
その可能性を考えると、自分が為すべきことは戦いなどではないという思いが生まれ 戦意が鈍るのが常だったのに、その日の瞬は平生と違っていた。
地上の平和、安寧、自らの信じる正義、そして仲間とアテナ――守りたいものを守るために戦うこと、戦えることが嬉しくて、仲間と共にアテナのために戦えることが嬉しくて、戦えるということが素晴らしい幸福に思われて――迷い ためらうことを忘れ、瞬は その幸福に完全に心身を委ねてしまったのである。
守りたいものを守るために戦えないことに比べたら、たとえ人を傷付けることになっても 戦えることを幸せだと思わずにはいられず、瞬は 戦えることの幸せを噛みしめるように戦った――戦ってしまった。
つまり、敵を傷付け倒した。

戦えることの高揚感に、瞬は酔っていた。
そんな自分を抑え 押し隠そうとしても、瞬の高揚感に感応したチェーンは 生き生きと宙を舞い、確実に敵を倒していく。
「瞬、どうしたんだ。大丈夫か」
そして、そんな瞬を――いつもより気を逸らせている瞬を、氷河は奇異に思うことになったらしい。
周囲の敵を倒した氷河が、心配顔で瞬の側に駆け寄ってくる。
そんな氷河の背後に敵の影が現われ、その敵は明確に氷河への殺意を抱いていた。
それは、今の瞬には ひどく有難いことだった。
敵を倒すことに躊躇を感じる必要がなくなる。
チェーンは そんな瞬の心を素早く察し、氷河を傷付けようとしている敵に向かって鋭角的な弧を描き 勢いよく飛んでいった。
氷河の背後で、その敵が、短い声すら あげずに倒れていく。

「氷河こそ。人の心配より、自分の心配をして」
「面目ない。だが、俺の背後は、いつも俺の仲間たちが守ってくれているからな」
それは敵に隙を見せてしまったことへの言い訳なのか、言葉通りに仲間への絶対の信頼の表明なのか。
言い訳でも、言い訳でなくても、それは瞬には嬉しい言葉だった。
その言葉の通りに、氷河を守るために戦える自分が“この世界”には いるのだ。
“この世界”で、今、瞬は確かに幸福な人間だった。
――が。

敵をすべて倒し 周囲に静寂が戻ると、瞬の中には、いつものように――いつもより深い――人を傷付けてしまったことへの罪悪感が生まれてきてしまったのである。
いつもと違うのは、その罪悪感と同じほどに強く大きな幸福感と充足感が、同時に瞬の心身を支配していることだった。
飽きもせず懲りもせず芸もなく 聖域とアテナを襲ってくる敵たちに 苦いものを覚えているのか、一つの仕事を片付けた瞬の仲間たちが、肩をすくめながら その目許に苦笑めいた笑みを刻む。
そんな仲間たちの姿を側で見ていられることさえ 今は嬉しくて、瞬は目を細めた。
そして、そんな自分に気付き、瞬は 切なく瞼を伏せたのである。

戦えない世界では 戦えないことが悲しくてならなかったのに、戦える時には 戦うことを罪悪感を覚える。
結局、アテナの聖闘士が戦わずに済む世界が実現しない限り、自分は 戦いで人を傷付けることの罪悪感からも 戦えないことの悲しみからも逃れることはできないのだろう。
そう 瞬は思った。
それは、“この世界”も“あの世界”も変わらない。
“あの世界”も“この世界”も、“戦わずに済む世界”ではないということは同じなのだ。
だが、“あの世界”と“この世界”では決定的に違うことが 一つあった。






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