君よ知るや南の国






「大昔に隠された謎の小箱? その中に宝の地図でも入っていたのかよ? 地中海って、確か、大昔は海賊の巣窟だったんだよな!」
星矢は、宝物自体より、謎の小箱と その中に入っているはずの宝の地図の持つ冒険の香りに心を惹かれているらしい。
歴史どころかギリシャ神話にも疎い星矢が、なぜか かつて地中海を席巻していた海賊のことは知っているあたり、星矢はいつまで経っても冒険心を忘れない子供のようだった。
残念ながら、星矢の宝島の冒険は見果てぬ夢に終わることになったが。

「勝手に話を作らないでちょうだい。古い小箱が見付かったのは事実だけど、それは大昔というほど昔のものではないし、中には地図なんか入っていなかったんだから。見付かったのは、からっぽの小箱よ」
「からっぽーっ !? 」
宝の地図が入っていなかったと聞いた途端に、星矢は謎の小箱への興味を失ってしまったらしい。
露骨に詰まらなさそうな顔になって、星矢は、アテナの掛けている玉座の脇に置かれた小箱に向かって口をとがらせた。
これでやっと まともな話ができるという表情で、アテナが瞬の方に向き直る。

「聖域のね、アテナ像の台座の中から出てきたのよ。台座の一部が崩れていて――台座を修繕しようとした石工が見付けたの」
そう言いながら、アテナは、単脚の台の上に置かれていた問題の小箱を瞬に手渡してきた。
銀色の小箱。
それは、瞬の片手に すっかり収まるほどの大きさのオルゴールだった。
音が出なくなっていたので、修理がてら ひと通り調べてみたが、特に変わったこともなく、音楽を奏でるようになって、修理に出していたスイスの工房から 昨日戻ってきたという。

「蓋の裏にケフェウス座の星座が穿うがたれていて――でも、今はケフェウス座は空位になっているでしょう。あなたに渡すのがいちばんいいかと思ったの」
「ケフェウス座? アルビオレ先生のものですか?」
「いいえ、おそらく、彼の2代前――少なくとも90年以上前のもの」
「90年前?」
「箱の底に1924年と刻まれているの。メーカーの製造年月日ではなく、おそらく持ち主が刻んだものね」
「1924年……」

1924年――第一次世界大戦が終わって数年後。
日本は大正末期。
それは、世界も聖域も 比較的 平和だった時期と言っていいだろう。
瞬はそう認識していた。
それで正しいのかと確認するためにアテナの顔を見上げた瞬に、彼の女神が縦にとも横にともなく首を振ってみせる。
「平和といっても、ハーデスとの聖戦がなかっただけで――ハーデスやポセイドンほどの有力な神でなくても、地上を狙う神々はいて、私の聖闘士たちの戦いは間断なく続いていたのだけれど」
その時、アテナは現在の彼女とは違う姿を持った少女――もしくは女性だったのだろう。
姿は変わっても当時のことは明瞭に憶えているらしく、アテナは その時代に生きた彼女の聖闘士たちを懐かしむように 切なく目を細めた。
当時のアテナの聖闘士たちは皆、その務めを終え、今は静かな眠りに就いている。

「何か重大な秘密が隠されているのだとしても、おそらく それは現況に何らかの影響を及ぼすようなことではないと思うわ。だから、急ぐことはないのだけど……瞬、あなた、謎解きをしてみて」
「謎解き?」
「アルビオレの2代前のケフェウス座の聖闘士は、意味なく こんなことをする聖闘士ではなかったわ。アルビオレ同様、聡明で公正で誠実で――私はアルビオレに直接 対面したことはなかったけれど、あなたの話を聞く限り、相当の美形――」
それまで謎の小箱になど1ミリたりとも興味がないような表情で 自分の目の前にあるものを ただ視界に映しているだけだった氷河が、突然むっとした顔になる。
そういうところにだけ敏感に反応する氷河に苦笑してから、アテナは、瞬のために説明句を追加した。

「あなたの話を聞く限り、アルビオレは氷河に雰囲気の似た美男子だったそうだけど、2代前のケフェウス座の聖闘士も、それは端正な面立ちの美青年で――」
「生きていたら、100を超える爺さんだ」
氷河の焼きもちと負けん気は、1世紀も昔に生きていた人間に対しても律儀に発動するらしい。
この律儀と勤勉さを戦場でも発揮できたなら、戦いのたびに彼が負う傷や打撲の数は相当数 減るだろうにと、アテナは溜め息混じりに思った。
「生きていたらね。彼は、メノイティオスとの戦いで命を落としたの。おそらく、まだ22、3だったわ」
「……」

100を超えるどころか、その4分の1にも満たない享年。
その短い時間に燃焼し尽くされた命。
アテナに恋敵(?)の死を知らされた氷河が黙り込む。
それから氷河は、
「すまん」
と、低く短い声を洩らした。
いったい氷河は誰に謝っているのか。
誰にも許すことができない代わりに、誰に責めることもできない氷河の軽率。
氷河を許すことのできる ただ一人の人の代わりを務めるほど傲慢な人間にもなれず、瞬は 困ったように瞼を伏せ、そのまま顔を伏せた。
視線のやりどころに迷い、アテナから手渡されたオルゴールに視線を落とす。

それは一辺が10センチほどの ほぼ正方形の面に、高さが7、8センチある銀色の箱だった。
蓋には 5枚の花びらから成る花の意匠の透かし彫りが刻まれ、箱の裏蓋には ケフェウス座を形作る7つの星が穿たれている。
中は オレンジ色のビロードで覆われており、小物入れとしても使える作りになっていた。
もっとも そこにあるのは空洞だけで、謎解きのヒントになるようなものは何もなかったが。
90年間、アテナ像の台座の下にあったというのなら、アルビオレも知らないもののはず。
謎めいてはいるが、それはアテナの言う通り――たとえば聖域や地上の平和に関わるような重大な秘密が隠されているものではないのだろう。

それでも なぜか心惹かれ 胸騒ぎさえ覚えるのは、それが 小宇宙と拳で敵を倒すことを生業とするアテナの聖闘士の持ち物にしては あまりに繊細で、あまりに慎ましすぎる風情をたたえたものだったからだったかもしれない。
1世紀も前に、地上の平和と安寧のために戦い死んでいった人の思いを知りたくて、瞬は アテナに託された謎の解明に挑んでみることにしたのだった。






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