氷河が それを爆発音ではなく地鳴りだと思ったのは、音の大きさに比して揺れが全くなかったから。
だが、音自体は爆音としか言いようのないものだった
「この船は爆発物の類を積んでました?」
浮かべていた笑顔を消し去った瞬が、瞬にしては険しい声で船長に尋ねる。
「まさか。この船が運んでいるのは原油ですよ。当然、火気厳禁です」
船長の答えは至極尤も。
「海賊は21人という情報が間違っていたのかもしれない……。氷河、来て」
船長には聞こえないように低く小さな声で言う瞬と共に、氷河はブリッジを下り、捕縛した海賊たちを転がしておいた甲板に戻った。

船尾から甲板に黒い煙が立ち上っている。
猿ぐつわをかまされた海賊たちは、その煙に怯えていた。
一応、このタンカーが何を運んでいるのか、原油タンカーで煙が立ち上ることが どれほど危険な兆しなのかということくらいは、海賊たちにもわかっているらしい。
船は停まらずに航行を続けている。
先程の爆発で船底に穴が開いたらしく、そこから不気味な黒い液体が、黒く太い線を描いて海に流れ出ていた。

「最悪」
銃を手にした海賊と向き合った時にさえ笑顔を浮かべていた瞬が、その可愛らしい顔を初めて険しく緊張させ、低く呻く。
確かに これは最悪の事態だった。
船の乗組員と海賊たち、内部監査3課の課員の命を考慮しなければ、いっそ原油に引火して爆発を起こし 狭い範囲内で原油が燃え尽きてくれた方が、海に及ぼす影響――もちろん悪影響である――は少ないかもしれない。
いずれにしても、これはもはや3課の課員二人には手の負えない事態である。
相手は既に 人間ではなく、自然になってしまったのだ。
自分たちにできることは せいぜい財団に連絡を取り、海に中和剤を撒く手配をすることくらいだろう。
氷河が そう思った時。
瞬は、氷河に幾度目かの指示を出してきた。

「流動点を計算してる暇はないけど、マイナス100度で大抵の原油は凍らせられる。氷河、あそこの流出口を凍らせて」
「なに?」
「凍らせて。急いで。このタンカーの原油が全部流れ出したら、この辺り100キロ四方の海洋資源は向こう100年は死滅する。ううん、海には海流がある。100キロ四方じゃ済まない。各国に賠償すればいいっていう問題じゃなくなる」
40万トンの原油が海に流出したら、何が起きるのかは氷河にも わかった。
プランクトンが死に、魚が死に、海草や珊瑚の類も死に、それらをエサとしていた鳥も死に、原油が浜に流れ着けば、その沿岸に暮らす人間の生活も破綻しかねない。
更に地球上の海がすべて繋がっていることを考えれば、影響は全世界に広がると言っていい。
それはわかる。
しかし、瞬が下した命令の意味は、氷河にはわからなかった。

「こ……凍らせる――とは」
「だから、氷の栓を作るんだよ。マイナス100度が無理なら、海水の方を凍らせて。とりあえず半径20キロ四方でいい。それなら、マイナス2、3度でいけるから。ただし、海水の方を凍らせる場合には、氷の厚さが1メートル以上になるようにして」
「おまえ、何を言ってるんだ!」
「早くしてっ! 1秒遅れるごとに、失われる命の数は加速度的に増えていくの!」
マイナス100度とは どれほどの温度なのか、氷河には見当もつかなかった。
だが、瞬がそうしろと言っているのだ。
「くそーっ!」
氷河はほとんど やけになって、全身全霊の力を タンカーの黒い水の流出口に集中させたのである。






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