「おまえは紫龍と春麗の子だ。だが――おまえに その姿を与えた者をおまえの父というのなら、それは俺だ」 「は?」 いったい この人は何を言っているのか――何を言い出したのか。 一度 大きく瞳を見開いてから、次のリアクションを思いつけずに、龍峰は 伝説の聖闘士の一人をぽかんと呆けたように見詰めることになったのである。 今 龍峰の目の前にあるのは、金色の髪と青い瞳。 燃えているのか凍っているのか判別のつかない不思議な眼差し。 決して自分の父親ではありえない姿を持った一人の男。 だが、その男は冗談を言ったつもりはないらしく――真顔で彼の言葉を続けた。 「おまえに その肉体と命を与えたのは紫龍と春麗だ。おまえが生まれた時、おまえは紫龍に瓜二つだった。歳の離れた一卵性双生児のようだと、よく星矢に からかわれていた」 「僕が父さんにそっくり?」 「癖のない黒髪、切れ長の黒い目、眉も鼻も唇も――ほんの赤ん坊なのに、表情さえ紫龍に似ていた。これほど似た父子もないと、皆が口を揃えて言った」 「……」 キグナス氷河の言葉が、龍峰には信じられなかったのである。 優しく厳しい父。 その静謐で強大な小宇宙に憧れ、尊敬はしていたが、龍峰は自分が父に似ていると思ったことは これまで一度もなかったから。 そんなことは信じられないと、今 この人に反駁する勇気は龍峰には持ち得ないものだったが。 キグナス氷河が、戸惑う龍峰の様子を見て、僅かに顎をしゃくる。 「おまえの誕生を皆が喜んだ。皆が おまえの命を祝福した。俺も一応。おまえほど その誕生を喜ばれた子供もいないだろう。瞬が特におまえを可愛がった。俺が妬くほど」 「え?」 『妬く』とはどういう意味なのか。 瞬に可愛がられている赤ん坊に、どういう心理が働けば、キグナス氷河が妬くことになるのか。 理解できない感情――むしろ理解してはならない感情? ――が そこにあるような気がして、龍峰は眉根を寄せたのである。 キグナス氷河は、しかし、龍峰の困惑になど気を留めた様子もなく、彼が喋りたいことだけを喋り続けた。 「俺が拗ねたら、瞬は困ったように笑った」 おかげで龍峰の眉間の皺が更に深くなる。 そんなことにも、彼は気付いていないようだったが。 「おまえの父と星矢、瞬と瞬の兄、そして俺。俺たち5人はずっと、終わることがあるとも思えない戦いを戦い続けていた。いっとき平和が訪れても、その平和は必ず新たな敵によって破られる。俺たちの戦いには意味がないのではないかと、幾度 無力感に襲われ、絶望しかけたか――。それでも俺たちは戦い続けた。俺たちが戦い続けることができたのは、希望があったからだ。いつか必ず真の平和の時が訪れ、誰もが愛する人と心穏やかに過ごせる時がくるのだという希望。――それは形のない希望だ。瞬は、おまえを抱き上げ、おまえの顔を見詰めながら 俺に言った。おまえは瞬が初めて出会った形のある希望、抱きしめることのできる希望だと」 キグナス氷河が用いる言葉は ひどく素っ気なく、ぞんざいだった。 自分が語っている事実や感情を、相手に わかりやすく伝えようとする親切心や気配りに欠けていた。 彼が語る言葉を文字にしたら、それは見事な金釘流になるのだろうと、龍峰は思ったのである。 だが、その時、彼の不親切を補うように、瞬の声が龍峰の耳に――あるいは脳に直接――響いてきた。 『僕たちは これまで、形のない希望を胸に抱き、その希望を信じて戦い続けてきた。氷河。龍峰は、僕が初めて出会った形のある希望だよ。この手で触れることができる希望、抱きしめることのできる希望――。愛しいのは当然でしょう?』 龍峰は、瞬のその言葉も声も憶えていなかった。 瞬に そんなことを言われた記憶はない。 それはどうやらキグナス氷河の記憶の中の声――のようだった。 「俺は正直、それほどのものかと思った。まだ確固たる意思も持たず、大人に守られていなければ生きることもできず、泣くことと眠ることしかできない無力な赤ん坊が瞬の希望だとは。そう……腹も立ったな」 「ど……どうして……」 まだ確固たる意思も持たず、大人に守られていなければ生きることもできず、泣くことと眠ることしかできない無力な赤ん坊に、なぜ彼が腹を立てる必要があるのか。 彼が語る事実は、龍峰にも かろうじて理解できた。 しかし、彼の感情の動きは全く理解できない。 彼の話を聞くほどに、龍峰の困惑は大きくなるばかり。 が、不親切なキグナス氷河は、どこまでも不親切な態度を貫くつもりのようだった。 「俺にとって――俺の希望は瞬だった。誰よりも強く優しく清らかな人。もし希望というものが形を持っているのなら、それは瞬の姿をしているはずだと、俺は思った。他に希望の形などない」 「……」 彼の思考と感情はわからない――ひどく わかりにくい。 だが、龍峰は、彼を“なにか すごい”人だと感じることはできたのである。 良い意味でも悪い意味でも、彼の尋常の男ではなかった。 彼が瞬に向ける思いは、全く論理的でなく、思い込みというより信仰めいて――まるで恋のようだった。 それは恋――なのだろうか? 「だから、おまえに今の姿を与えた者を おまえの父というのなら、それは俺だ。おまえを今のその姿に変えたのは俺だ。俺の心――希望は瞬の姿をしているはずだと信じる俺の強い思いが、おまえの姿形を変えたんだ」 「姿形を変えた――って、そんなことできるわけが……」 「信じられないなら、信じなくていい」 「……」 そんなことは、到底 信じられない。 だが、彼の感情や思い込みはともかく、彼の語る事実が事実なのだとしたら、他にどんな説明がつくというのか。 信じられないのに信じるしかない状況に、龍峰は追い込まれていた。 混乱を払いのけることができないまま、龍峰は彼に尋ねてみたのである。 「そ……それが本当のことだとして、それをしたのは あなたなんですか? 瞬さんではなく?」 尋常では 到底信じられないこと、ありえないことを彼自身が語っているにもかかわらず、キグナス氷河は、龍峰の質問を 理解力の足りない子供のそれと受け取ったらしい。 わかりの悪い子供に苛立つ教師のような目を、彼は龍峰に向けてきた。 「おまえに今の姿を与えた者が おまえの父だというのなら、そうだろうな。瞬が“希望”の姿を自分に似せようとするはずはない。もし瞬が希望の姿を自分の望む姿に変えようとしたのなら、おまえは俺に似ていたはずだ。だが、おまえは瞬に似ている。当然、おまえにその姿を与えたのは俺だということになる」 いったい それはどういう理屈なのか。 彼は、自分が瞬の希望だと信じているのか。 彼の言葉は支離滅裂で、彼自身は自信過剰。 龍峰には、そうとしか思えなかった。 しかし、彼は、自分が語る言葉が事実であり真実であると信じているようだった。 「俺の思いがおまえの姿を変えたんだ。だが、生物学的には、おまえは確かに紫龍と春麗の子だ。おまえは紫龍と春麗の血肉を受け継いでいる」 |