約10メートルの距離をおけば、人は ぎりぎり耐えることができる(らしい)。 だが、それでは、瞬と遊ぶことはおろか、同じテーブルで食事をとることも おやつを食べることもできない。 それは星矢にとって不便至極なことだったが、星矢以外の人間にも実に不都合なことだった。 その事態に最も腹を立てたのは 意外や辰巳徳丸氏で、彼は 星矢が不始末をしでかしても至近距離で叱責できないことを 大いに不満に思っているようだった。 もちろん 瞬も、いつも一緒にいた星矢が自分の側にいないことに違和感や物足りなさを覚えないわけにはいかなかったのである。 星矢が とり散らかしたものを すぐに片付けられないことも、瞬には結構なストレス。 瞬に遊んでもらえなくなった星矢が、仲間外れにされた子供の目をして瞬を遠くから見詰める視線は、瞬の胸を締めつけることにもなった。 そんなふうにして過ごした1週間。 ついに星矢の身についた特性が仲間たちの役に立つ日がきた。 つまり、星矢が金木犀の木の精に厄介な おまじないをかけられてから1週間後の その日、城戸邸に敵の襲撃があったのである。 城戸邸を襲撃してきた敵の数は、およそ80。 そして、彼等は、誰一人 星矢に近付こうとはしなかった。 「ということは、弱卒ばかりということだ。これは わかりやすくていいな」 初めて明らかにされた星矢の災難の効用に、紫龍などは のんきに感心していたが、星矢自身は そうはいかなかった。 「ちょ……誰か、俺とも戦ってくれよ!」 敵に無視されるのは、戦士としては かなりの屈辱である。 その上、仲間たちは戦ってるのに、自分だけが ぽつんと戦いの輪から外れ、その中に入れてもらえないのだ。 最大のいじめは 相手の存在を無視することと俗に言うが、普通 いじめという行為は同じ集団に属するメンバーの中で行われる行為である。 だというのに、まさか 敵にいじめられることになろうとは。 星矢は、戦いの輪の外で、ひとり呆然とすることになってしまったのである。 今回の敵は、弱いながらも小宇宙を燃やすことはできるようで、その拳はアテナの聖闘士だけでなく、城戸邸敷地内の各施設にも向けられていた。 彼等は、玄関から『お邪魔します』と挨拶をして アテナの許に案内を乞うよりも、建物全体を破壊してしまった方が てっとり早いと考えていたのかもしれない。 城戸邸の大きさを考えると、その方が非効率であるし、そもそも その時、城戸沙織こと女神アテナは邸内に不在だった。 敵に相手をしてもらえない星矢は、戦いの輪の外で今日の敵の計画性の無さに呆れていたのだが、彼は やがて敵の杜撰な計画に情けなさを感じてばかりもいられなくなった。 アテナの聖闘士である星矢には攻撃を仕掛けてこない敵たちの中の数名が、どうせならアテナの聖闘士の本拠地である城戸邸のすべてを破壊しようと考えたのか、その拳を庭の木々にまで向け始めたのだ。 対象の中には、星矢を仲間外れの罰から解放する力を持つ あの金木犀の木もあった。 「その木に手を出すなーっ !! 」 彼の命を絶たれてしまったら、星矢の人生が万事休す。 星矢は、我が身を挺して金木犀の木を敵の拳から庇った。 ――弱い敵の拳である。 敵たちの拳は星矢に 衝撃といえるほどの衝撃をもたらすこともできなかった。 しかし、いくら弱いといっても、彼等の拳は逃げることのない金木犀の木を倒すことはできていただろう。 星矢が、その木と敵の間に立ちはだからなかったら。 それが金木犀の木の精にもわかったのか。 この1週間、なだめても すかしても姿を見せてくれなかった あの老人が、戦いの最中だというのに、ついに星矢の前に姿を現わしてくれたのである。 「 彼は そう言って 星矢の胸の前に手をかざし、何やら口の中で怪しげな呪文を唱えた。 途端に、金木犀の木に拳を放った あの敵が、星矢に襲いかかってくる。 それが いったい何を意味するのか。 星矢は、もちろん、すぐに気付いたのである。 そして、星矢は、 「ありがとう、じーちゃん!」 金木犀に礼を言い、嬉々として 残り少なくなった敵たちの方に向かって突進していった。 有難いことに(?)、敵は逃げなかった。 おかげで、星矢は、その時点で自分の足で立っていた残りの敵10数人を心ゆくまで ぶっ飛ばすことができたのだった。 星矢の奮戦は、だが、前座イベントにすぎなかった。 その日のメインイベントは、バトルが終わってから始まったと言っていいだろう。 チェーンを収めた瞬に、星矢が恐る恐る近付いていく。 10メートル、5メートル、2メートル――。 「瞬……だ……大丈夫か?」 「うん」 瞬が笑顔で頷くのを見て、星矢は、残りの2メートルの距離を 瞬に飛びつくことで消し去った。 「よかったー! 瞬ーっ!」 もっとも、星矢の感動の抱擁は すぐに、 「瞬から離れろ、この馬鹿者ーっ !! 」 という氷河の怒声に水を差され、瞬に絡みついていた星矢の腕は、白鳥座の聖闘士に乱暴に引きはがされてしまったが。 「なんだよ。まだ告白の一つもしてねーくせに、氷河に何の権利があるんだよ」 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間の窮地脱出を喜ぶ気配も見せない氷河の無情な振舞いに ぶつぶつ文句を言いつつも、星矢の顔は喜色満面、恵比須顔。 どうこう言っても、星矢はアテナの聖闘士たちのムードメーカーである。 1週間振りに見る星矢の笑顔は、紫龍や瞬たちの許にも 安堵の笑みを運んできた。 「敵さんも退散してくれたし、まあ、これで一件落着、めでたしめでたしだな」 「城戸邸が、あちこち ちょっと壊れちゃったけどね」 「この家が壊されるのなんて、日常茶飯事じゃん。平気平気。俺たちが力を合わせて立ち向かえば、どんな試練も乗り越えられるぜ!」 星矢にとっては、自分たちが暮らす住居に開いた3つ4つの穴より、仲間と共にいられることの方が はるかに大事。 星矢は、つい先刻までの彼とは打って変わって――むしろ、以前の彼に戻って――彼らしい前向きさを取り戻していた。 そんな星矢を見ていられることが嬉しくて、瞬は――紫龍も、そして星矢も――気付かなかったのである。 敵の拳の脅威から守り抜かれた金木犀の木の下で、氷河が、 「近付く人間を分別できる力。俺なら もっとうまく使うぞ」 と、低く呟いたことに。 |