明日も一緒に






瞬がオフホワイトのハーフコートを着ているところから判断すると、時季はごく最近。
今年の冬。おそらく、ここ1、2週間のうち。
時刻は夕方。
隣りに立つ氷河はワイシャツ一枚のみで 上着らしきものは着ていないが、これは氷河個人の都合による季節感の無さと判断していいだろう。
守衛に城戸邸の門を開けさせ、邸内に入っていく二人。
正面玄関に向かい歩き出した二人が、笑いながら 何やら 楽しげに お喋りをしている後ろ姿。
そして、玄関のドアを開けて、建物の中に入っていく二人。
計3枚の2ショット写真。
それが、自分の許に届けられた封筒の中に入っていたすべてだと、絵梨衣は言った。

城戸邸の客間のセンターテーブルに並べられた3枚の写真と、星の子学園の住所 及び絵梨衣の名が記された、何の変哲もない白い封筒。
いったい なぜこんなものが自分の目の前に置かれることになったのかが、瞬には皆目わからなかった。
「何なんですか、これ」
絵梨衣は絵梨衣で、こんなものを送りつけられたことに戸惑い、迷い、こうして城戸邸まで相談に来たのだろうに、そんな芸のない言葉しか出てこない自分を、瞬は少しばかり情けなく思ったのである。
だが、瞬としても、他に言いようがなかったのだ。
誰が、何のために、城戸邸に起居する二人の青銅聖闘士の写真を、星の子学園の絵梨衣の許に送りつけたのか。そんなことをして、いったい誰が、どんな益を得るというのか――が。

「私にも、全然 意味がわからないの。昨日、突然 私宛に送られてきて――」
「郵送で? 写真だけですか?」
「写真だけよ。メッセージの類はなし。郵送されてきたものでもないの。星の子学園の郵便受けに誰かが直接投函したみたいなんだけど、誰が入れたものなのかはわからずじまい。怪しい人物や見知らぬ人物の目撃情報もなし」
「それは妙ですよね」
絵梨衣の住まう家であり、彼女の職場といってもいい星の子学園の全容を思い浮かべて、瞬は首をかしげた。

星の子学園は、様々な事情があって 親や親族と暮らすことのできない子供たちの児童養護施設である。
入所しているのは、1歳以上18歳未満の幼児 及び少年。
当然、そこには それなりの安全対策が施されているのだ。
学園の敷地は高さ2メートル弱のフェンスで囲まれており、門と建物の間には サッカーのミニゲームができる程度の遊戯場がある。
そして、そこでは、余程の荒天でもない限り、日中は複数の子供たちが遊んでいる。
郵送受けは門ではなく建物の玄関脇にあり、フェンスの内側には部外者は滅多に入ってこない。
もし入ってくる者がいたら、彼(彼女)に子供たちが気付かないことはない。
郵便の配達員ならフリーパスで敷地内に入ることができるし、毎日のことなので子供たちも特に意識することはないかもしれないが、問題の封筒は郵便物ではなかった。
謎の白い封筒には、切手も貼られていなければ、スタンプも押されていなかったのだ。

「子供たちは、知らない人の姿なんか見ていないって言うし、誰が持ってきたのかも わからないし、何より こんなことをする意味がわからないのよ。氷河さんと瞬さんが城戸邸に入る場面を私に見せて、いったい何になるの?」
絵梨衣の言うことは至極尤も。
それは、米国大統領がホワイトハウスに出入りしているという情報と大差ないほど 当りまえの情報で、わざわざ知らせてもらう必要のないことなのだ。

「切手も消印もリターンアドレスもないのでは調べようもないな。封筒もごくありきたりのものだし、まさか指紋採取もできまい。送付物から事情を察することができないとなると、いつ 誰なら この写真を撮ることができるのかという状況から推察していくしかないが――瞬。これはいつ撮られたものなのかわかるか」
氷河と瞬の二人が写っている写真のことであるにもかかわらず、紫龍が瞬にだけ そう尋ねたのは、基本的にカレンダーや時計に頓着しないたちの氷河に訊いても、ろくな答えは得られないと考えてのことだったろう。
氷河と違って カレンダーや時計を日々の生活に活用している瞬が、仲間に問われたことに答えてくる。

「これは多分……僕と氷河が 銀座の香九庵に源氏香の聞香もんこうの会に行った日の写真だよ。5日前。氷河が皮のジャケットを着ていって、聞香するのに非常識だって追い返されそうになった日」
「香水の匂いをぷんぷんさせて行くよりは ましだろう。まあ、おかげで、一般人の振りをしてジャケットを着ている必要がなくなって助かったが」
「だからって、イベントが終わって外に出てからも上着を着ないのはどうかと思うけど――」
その日、真冬の東京でワイシャツ一枚しか身に着けていない男と連れだって街を歩く羽目になった瞬は、いたく きまりの悪い思いをさせられたのである。
瞬が写真の撮られた日のことを明確に憶えていたのは、一般人の振りをしてくれなかった氷河のせいで味わうことになった きまりの悪さを忘れてしまえずにいたせいだった。

「随分 みやびなデートをしてるのね。聞香って、お香を嗅いで、その種類を当てることでしょう?」
悪いことを思い出させてしまったと思ったのか、絵梨衣が話題を微妙に脇に逸らす。
瞬は、軽く肩をすくめて首を横に振った。
「ちっとも雅じゃないですよ。沙織さんの代理で、お使いに出されたんです。ビジネスの一端。なんでも、今度グラードの国際文化交流部門で、お香の新ブランドを立ち上げて 欧米に売り込む計画があるんだとかで、勉強してくるように言われたんです」
「なんで俺たちが そんなものを勉強しなければならないのかと、俺は一応 沙織さんに文句を言ったんだがな」
不満顔でそう言う氷河に、瞬が困ったように苦笑する。
氷河が疑問に思っていることの明確な答えを、実は瞬も知らなかったのだ――薄々 察してはいたが。

「なあ、俺、思うんだけどさー」
誰がどんな意図をもって送りつけてきたのか わからない謎の写真。
瞬は気持ちが悪くて触れることもできずにいた その写真を、恐れる様子もなく手に取って睨むように見ていた星矢が おもむろに顔をあげる。
そして、彼は、諦めたように、だが、妙に張り切っているようにも見える様子で、仲間たちに彼の推理を披露してきた。
「もしかして、これ、心霊写真なんじゃないか? どっかに幽霊が映ってるんだよ」
星矢が諦めたようだったのは、自分の力では その写真に写っているはずの幽霊を見付け出せなかったから。
妙に張り切っているように見えたのは、星矢が その手のオカルトを決して嫌いではないから――むしろ、好きだから――だったろう。

おそらく その場にいる誰とも違う方向に推理の翼をはばたかせていた星矢に、彼の仲間たちと絵梨衣は一瞬 虚を衝かれた顔になった。
「そうだったとしても、なぜそれを絵梨衣に送りつける必要があるんだ」
どう考えても、いかなる根拠もなく思いつきでそんなことを言い出した星矢に、紫龍が問う。
星矢の発言に根拠はないという紫龍の推察は、だが誤りだった。
それは全くの当てずっぽうではなく、趣味丸出しの発言でもなく――星矢は、星矢なりの根拠があって、その発言に及んでいたのだ。

「そりゃ、当然 エリス絡みだろ。幽霊聖闘士の顔がどこかに映ってるとかなんじゃないか? 氷河の写真に写ってるんだとしたら、南十字星座のクライストあたりかな」
「星矢!」
「くだらん話はやめろ!」
絵梨衣の顔が曇る前に、瞬と氷河が、星矢の根拠のある推察を険しい声で遮る。
瞬と氷河に制されて、星矢は口をつぐんだ――否、不満そうに口をとがらせた。
氷河と瞬は無神経な人間を咎めるような目を仲間に向けてくるが、それは、星矢にしてみれば、“もう済んだこと”で、“絵梨衣には何の責任もないこと”だと思うから、気軽に言及できることだったのだ。

絵梨衣が僅かに瞼を伏せたのは、星矢のそういう考えと 瞬と氷河の気遣いの両方がわかるからだったろう。
そんな絵梨衣と仲間たちに一瞥をくれてから、紫龍が、彼らしいのか彼らしくないのか 淡々とした口調で、星矢の視点を“気遣い”で排除することの危険を指摘してくる。
「楽しい話ではないことを承知で あえて言うが――。心霊写真でないにしても、その線を考慮せずに この写真の謎を解くのは難しいかもしれないぞ。絵梨衣と俺たち青銅聖闘士を結びつけた、そもそものきっかけは、その件なんだし。エリスの幽霊聖闘士がまた甦ったということはないか」
「それなら幽霊聖闘士たちの小宇宙が感じられるはずでしょう。僕、そんなの感じたことないよ」
気遣いすぎることが、かえって絵梨衣を傷付ける可能性もある。
それはわかっていたのだが、瞬は彼女を気遣わずにはいられなかった。
自分には責任のないことだと理屈ではわかっていても、神に身体をのっとられ、傷付けたくない人たちを傷付けてしまったことの苦しさと後悔は、そう簡単に消し去ることのできるものではないのだ。

「この写真、とりあえず僕たちに預からせてください。沙織さんに分析を頼んでみます」
結局 その日の話し合いは、絵梨衣から 問題の写真を預かり 沙織に分析を依頼することのみを決めて、散会になったのである。
瞬から事情を聞いた沙織は、3枚の写真を速やかにグラードの画像解析部門にまわし 調査を行なってくれた。
その結果、青銅聖闘士たちに もたされたものは、該当の写真に 実在しないものは何一つ写っていないこと――それが心霊写真ではないという解析結果。
そして、『今時のカメラで ここまでヘタな写真を撮ることのできる人物は、ある種の才能に恵まれた相当の大物ですよ』という、どう考えても褒め言葉ではない画像解析者からのコメントだった。






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