人様のそういう反応は、瞬にとっては見慣れたものだった。 小宇宙で何かが感じ取れるらしい聖闘士や 聖闘士に類する敵たちは別として、大抵の一般人が『瞬は女の子ではない』と言われると、そういう反応を示す。 ヤマト氏のそれに似た反応を示す人間を、瞬はこれまでに何十人何百人と見てきた。 ゆえに、ヤマト氏の反応は、ごく普通の、極めて ありきたりな、全く芸のない反応だった。瞬にとっては。 ――が。 これまでに何十回 何百回も見たことがあり、そういう反応を示されることに慣れているからといって、その反応に瞬が傷付かないわけではない。 もちろん、瞬は傷付いたのである。 大いに傷付いた。 ヤマト氏の『へっ』に十分すぎるほど傷付いていたおかげで、 「嘘をつくなら、もっと信じられる嘘をつけ。この子が女の子じゃなかったら、この世に女の子なんていなくなるだろう!」 というヤマト氏の怒声に改めて傷付く余地がないほど、瞬は傷付いていたのである。 ほとんど諦め顔で、ヤマト氏を責めることさえできずにいる瞬の代わりに、某天馬座の聖闘士が いきり立つ。 「瞬! ここまで言われて、おまえ、まさか黙ってるつもりじゃないだろうな! このにーちゃんに おまえが男だっていう証拠を見せてやれ!」 「しょ……証拠? 証拠って言ったって、どうすれば……」 「紫龍みたいに堂々と服を脱いでみせればいいだろ。それで、あっというまに問題解決だぜ!」 「そんなこと言ったって……」 確かに、それでヤマト氏の誤解は解けるだろう――彼の誤解だけは解ける。 しかし、そうすることによって問題が解決するかどうかということは、全くの別問題である。むしろ、その逆。 実際、星矢の提案は、その場に新たなトラブルを一つ生むことになった。 すなわち、星矢の提案は、 「星矢、貴様、瞬を露出狂にする気か! そんなことは俺が許さんぞ!」 「ほほう。氷河、おまえは、地上の平和と安寧を守るために 毎回 しぶしぶ衆目に肌をさらしている この俺を露出狂呼ばわりするつもりなのか」 という、いさかいを一つ生んだのである。 水掛け論になることが目に見えている氷河と紫龍の争いを、星矢は 極めて無責任かつ大胆に無視した。 「んじゃ、直接触ってもらうか?」 「いやです!」 「有無を確認してもらうだけで、大小の判定されるわけでもないんだから、いいじゃん、それくらい。おまえが男だってことを証明する方法が他にあるのかよ」 「そ……それは……でも、だって……」 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間同士の信頼と気安さゆえに、星矢の言には容赦がない。 他の方法を思いつくことのできなかった瞬が、息巻く星矢の前で、頬を真っ赤に染め、涙ぐみ始める。 命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちでさえ、そうなのだ。 可憐に涙ぐむ瞬の様子を見せられたヤマト氏の表情が ますます疑わしげなものになったのは致し方のないことだったかもしれない。 ヤマト氏の疑念が一層深まる様を見てとって、星矢が慌てて弁明に走る。 「ほんとだって! ガキの頃は毎日 一緒に風呂に入ってた俺が保証する。瞬は間違いなく男だ!」 「どうして、こんな可愛い子を男と偽ってまで、こんな二股野郎を庇おうとするんだ……!」 「氷河なんか庇うつもりはないけど、でも、事実は事実だからな」 「信じられるか、そんなことが」 「信じられない にーちゃんの気持ちは痛いほど わかるけどさー」 星矢とヤマト氏が言葉を重ねるたび、瞬の瞳に にじむ涙の量が増えていく。 瞬が男であることを証言する人間が皆 瞬や氷河の友人であることが、ヤマト氏にその事実を信じてもらえない主原因なのではないか――と言い出したのは、そんな瞬を見兼ねた紫龍だった。 各種裁判でも、証人が当事者の身内である場合は、その客観性に疑義があるとして、信用性が疑われる。 ここは 完全なる第三者の証言を求めてみてはどうかというのが、紫龍の提案だった。 こうなったら、できることは すべてしてみようと考えた星矢は、早速 紫龍の提案を実行に移した。 すなわち、城戸邸の十数名に及ぶ男女使用人、通いの庭師のおじさんから厨房のおばちゃんまで、総勢22名の善男善女に『瞬は男子である』と、佐川ヤマト氏の前で証言してもらったのである。 そうして。 14番目に証言台に立ったメイドに、笑いながら『男子の証明って難しいんですね』と言われた瞬の瞳から ついに涙がこぼれてしまうというアクシデントはあったものの、2時間超の時間をかけて、なんとか完全な第三者による証人尋問は完遂されたのだった。 「まあ、確かに瞬の裸を見たことのある奴はいないけど、これだけの数の人間が、嘘をついても何の得もないことで、瞬は男だって言ってるんだし、信じてくれよー」 「本当に、この子が男なのか。信じられない……」 2時間超の時間をかけた証人尋問は、たまたま城戸邸に来ていたグラード医療ラボの青銅聖闘士たちの主治医助手による、 「瞬くんは、肉体上、精神上、遺伝子上、すべての面において完全に男子です。性同一性障害の疑いもなく、クラインフェルター症候群の症状もありません。もちろん、アンドロゲン不応症でもありません。瞬くんは ただ、男子としては絶望的に可愛いだけですよ」 という証言が決定打になったようだった。 ついに瞬が男子であることを信じるに至った佐川ヤマト氏が、青銅聖闘士たちの前で がっくりと肩を落とす。 「こいつは、絵梨衣さんと他の女の子と二股をかけているんじゃなかったのか……」 その事実を事実と認めることは、ヤマト氏にとって、己れの失恋が確定すること。 彼の落胆は当然のことだったろう。 そんなヤマト氏とは対照的に、苦心惨憺したあげくに やっと自分の主張が認められた星矢は ご機嫌である。 彼は、満面の笑みをたたえて、 「あったりまえだ。氷河はガキの頃から瞬ひとすじだぜ!」 と、高らかに勝利宣言をした。 「は?」 星矢の勝利宣言が、自分の失恋を受け入れかけていたヤマト氏に新たな混乱を運んでくる。 「星矢。もしかしたら、瞬を女の子と誤解させたまま、氷河は瞬ひとすじだと知らせてやった方が混乱が少なくてよかったのではないか」 遅きに失した感のある紫龍の その指摘によって、得意の絶頂にあった星矢は急転直下の地獄落ち。 「そ……そっか。言われてみれば、そっちの方が 手っ取り早かったかも……」 この2時間超の苦労は何だったのかと落ち込み始めた星矢に、瞬から、 「そんなの、よくないよ! 事実に反する!」 という反論が提出されたが、瞬の反論は あまり有効有益なものではなかったろう。 この2時間、星矢が 躍起になって証明しようとしていたことは、ヤマト氏の恋にも ストーカー事件の解決にも役立たない 完全に無意味な事柄だったという事実は、瞬の性別のいかんにかかわらず、変えられるものではなかったから。 「ま……まあ、つまり、それが事実だ。氷河は卑劣な二股野郎じゃなくて、男の瞬ひとすじの、ただのヘンタイ野郎なんだ」 なんとか気を取り直した星矢が、多少は意味があると思えなくもない結論をヤマト氏に伝える。 「星矢、そんな言い方しないでよ……」 星矢が口にした結論に 涙ぐんで異議を申し立てる瞬は、どこから何をどう見ても女の子にしか見えない――少なくとも、男には見えない。 「わかったから、泣くなってば!」 だから、氷河の仲間たちは、 そういう事情があったため、瞬にどれほど泣かれようと、星矢たちは、ヤマト氏の誤解を責めたり笑ったりする気にはなれなかったのである。 |