「まあ、そういうわけで、氷河は絵梨衣とは何でもないんだよ。にーちゃん、絵梨衣が氷河に特別に気を遣ってるように見えたとかって言ってたけど、それは以前、絵梨衣が絵梨衣には何の責任もないことで氷河に迷惑をかけたことがあるからで、絵梨衣は別に氷河を好きなわけでもなんでもない」 散々 脇道に逸れ、無駄なことに時間を費やしてから、ついに戻ってきた本道。 だが、しかし、人生というものは、往々にして そんなものである。 本道を探すことが人生そのものと言っても、それは決して過言ではないのだ。 「断言してきたな」 星矢が示した本道に、横から紫龍が口を挟んでくる。 星矢は、一瞬の躊躇もなく、紫龍に向かって頷いた。 「断言するぜ。もしかしたら 少しは好意を抱いてた時期があったかもしれないけど、本物の女の子って見る目があるから、氷河のマザコンとか、甲斐性なしなこととか、確実に見抜くだろ。氷河は、女の子には全然もてない、典型的な顔だけ男だ。瞬くらい寛大で夢見がちな人間でないと、付き合っていられない男なんだよ、氷河は」 褒められていないことは確実なのだが、立場上、しかも このタイミングでは 異議を唱えることはできない。 不機嫌を極めた顔で、氷河は、星矢以上に脇道を徘徊し続けていた男を睨みつけていた。 本道に戻った星矢が、そんな氷河を放っぽって、ひたすら前に進み続ける。 「遠くに行くのは気の毒だけど、でも、それって、栄転つーか、出世なんだろ? 氷河よりは甲斐性もありそうだし、根性もありそうだし、絵梨衣ちゃん、ちょっと考えてみれば? 遠距離恋愛なんてのもオツなもんなんじゃねーの?」 星矢は、佐川ヤマト氏と絵梨衣の組み合わせを、そう悪くはないと思っているようだった。 星矢は、基本的に、懸命に努力する人間が好きなのだ。 たとえ、頑張る方向に多少の問題があっても。 が、氷河は、そんな星矢に諸手を挙げて賛同することはできなかったのである。 「何が甲斐性だ。ただのストーカーじゃないか」 「おまえのストーカー嫌いは知ってるけど、一輝のあれは兄弟愛なんだし」 「兄弟愛だろうが同胞愛だろうが、不愉快なものは不愉快なんだ」 「おまえが不愉快でも、この場合は関係ないだろ。今 問題なのは、絵梨衣ちゃんの気持ちだけだ」 「しかしだな。瞬を女の子と思い込んでストーキングしていて、瞬に心変わりしないなんて、見る目がなさすぎるだろう」 「おまえ、いったい何に腹立ててるんだよ。ほんと 捻くれてんなー。わけ わかんねーぜ」 瞬をストーキングの対象にする者は許せないが、自分にとって価値あるもの(=瞬)の価値を認めない者も許せない。 つまりは、そういうことのようだった。 氷河の我儘振りに、紫龍が呆れた顔になる。 「そんなことになったら、困るのは おまえの方だろう。おまえ的には、むしろ それは評価すべき点なんじゃないのか」 「その点は、確かに高く評価していいことのような気がするわ……」 氷河の我儘な言い草には、だが、意外な効用があったのである。 絵梨衣にとっては失礼この上ない氷河の言葉が、彼女に その事実を知らしめることになった。 その事実――すなわち、佐川ヤマト氏は、他にどれほど可愛い(女の)子がいても、絵梨衣以外の誰にも目を向けない、極めて一途な――違う言い方をするなら、浮気の心配がない――青年だという事実。 佐川ヤマト氏は、日々の仕事に励む宅配便の配達員に 毎日 笑顔とキャンディをくれた優しい女の子が、本当に好きなのだ――。 「今度いらっしゃるところはどこなんですか。そんなに遠いところなの?」 絵梨衣が心配顔でヤマト氏に そう尋ねたのは、ある意味では、氷河の我儘発言が彼女の心を動かしたからだったかもしれない。 「けっ……けっけっ……K区です」 それは おそらく、“星の子学園に荷物を運んできてくれる人”ではなく、ヤマト氏個人に向けられた絵梨衣の初めての言葉だったろう。 ヤマト氏が、盛大にどもりながら絵梨衣に答える。 ヤマト氏の転勤先は、そして、星矢に激しい疲労感と脱力感をもたらした。 「K区〜っ !? K区って、星の子学園のある区の隣りの区じゃん。なんだよ! もう二度と会えないかもしれないなんて大袈裟なこと言うから、俺、海外とか、国内でも北海道とか九州とか、都内でも離島とかに転勤なんだと思ってたのに! あほらしー。K区なんて、会おうと思えばいくらでも会えるとこじゃん」 ヤマト氏の転勤先は、星矢だけでなく絵梨衣をも(良い意味で)脱力させることになったようだった。 ほっと小さな息を洩らし、絵梨衣はヤマト氏に明るい安堵の笑みを向けた。 「ほんと、ちっとも遠くじゃない。それは近所って言うんですよ。いつでも星の子学園に遊びに来てください」 「あ……あ……会いに行ってもいいんでしょうか!」 ヤマト氏のどもりは一層ひどくなり、その声は おそらく緊張のせいで、ほとんど引っくり返っていた。 そこに、星矢が水を差すようなことを言う。 「それは やめといた方がいいと思うぜー。あそこのガキ共の遊び相手にさせられるだけだ」 「星矢ってば、佐川さんを応援してるの、妨害してるの」 言わずにおけばいいことを いちいちヤマト氏に知らせる星矢を たしなめるように、瞬が星矢の服の袖を引っ張る。 星矢は、しかし、自分の差し出口を反省する様子を見せなかった。 というより、星矢は、それを差し出口だとは思っていなかったのだ。 「俺は事実を教えて、忠告してやってるだけだよ。いわば親切心」 その親切心が 余計な口出しなのだと言おうとした瞬を、ヤマト氏の上ずった声が引き止める。 「平気です! 僕、子供は大好きです!」 ヤマト氏の一人称が『俺』から『僕』になる。 嘘をつくのがヘタすぎる男の健気な嘘に、星矢は思い切り苦笑いをすることになった。 「無理しちゃってまあ」 「無理してるのだとしても、だったら なおさら可愛いじゃない」 「おまえにかかると、氷河も可愛いオトコノコになるからなー」 ともあれ、佐川ヤマト氏は、絵梨衣との恋を成就するためになら、星の子学園の腕白坊主たちの機嫌を取ることも辞さない覚悟があるらしい。 ならば、それ以上 第三者が口を挟むようなことは何もない。 謎の写真に始まった一連の事件は 思わぬ決着を見ることになったが、その結末に不満を感じているのはストーカー嫌いの氷河だけ。 それは、とりあえず、ハッピーエンドと言っていい結末だったろう。 |