前にも言ったと思いますが、エリスは大変勤勉でフットワークが軽く、芸達者な女神です。
瞬王子の汚れの告白を聞くと、エリスは超特急でエティオピアのお城を抜け出し、今度はデルフォイの神託所の使いのコスプレをして ヒュペルボレイオスの王城に行き、
「氷河王子の心に決めた人というのはエティオピアの瞬王子です。氷河王子は、きっと瞬王子に誘惑されたに違いありません」
と、ヒュペルボレイオスの国王に注進しました。
その後すぐにエティオピアの王宮に取って返し、憂い顔の哲学者を装って、
「瞬王子の恋人は ヒュペルボレイオスの氷河王子です。瞬王子は、おそらく、氷河王子に良からぬ道に引き込まれたに違いありません」
と、エティオピア国王に言上しました。
そうしてから、エリスは、ヒュペルボレイオスの都に戻って、氷河王子と瞬王子が恋仲だというスクープ号外をばらまき、迅速にエティオピアの都に移動し、同じスクープ号外をばらまきました。

エリスは なぜそんなに何度もエティオピアとヒュペルボレイオスを行ったり来たりするのか。
なぜ、エティオピア国王に その事実を言上し エティオピアの都に号外をばらまき、それからヒュペルボレイオスに行って国王に言上、ヒュペルボレイオスの都に号外まきをしないのか。
そうすれば、エリスの移動はエティオピアからヒュペルボレイオスへの片道分だけで済むのに!
――なーんて言ってはいけませんよ。
フットワークが軽いというのは、そんなふうに無駄にも思える長い距離の移動を厭わないということなのです。
たくさん動いた方が、ダイエットにもなりますしね。

ともかく、エリスは、そんなふうに、大きな騒ぎを起こすために自分にできることは すべてしました。
まさに“人事を尽くして、天命を待つ”状態。
実際、エリスは待ったのです。
エティオピアとヒュペルボレイオスの国で大騒ぎが起き、やがて北と南の二つの大国が戦争に突入する その時を。

ところが、事はエリスの目論み通りには進みませんでした。
その理由は単純明快。
実は、エリスにわざわざ教えてもらうまでもなく、ヒュペルボレイオスとエティオピア両国の人々は、氷河王子と瞬王子の恋を 以前から知っていたのです。
より正確に言うと、氷河王子の叔父君であるヒュペルボレイオス現国王と氷河王子の侍従、そして瞬王子の兄君であるエティオピア現国王といった、氷河王子と瞬王子に ごく近しい者たち以外の人間はみんな、二人の恋に薄々気付いていたのです。
国際的な公式行事の場などで、恋し合う二人が交わし合う眼差しの熱っぽさは隠しようのないものでしたから。
二人の人間が交わし合う視線というものは、その二人の側にいる者たちほど気付きにくいもの。
二人から少し離れて、二人の様子を俯瞰できる者たちの方が はっきり見てとれるものなのです。

人は、それが初めて知る事柄であれば、ごく些細なことにも驚きますが、それが既に既知の情報であれば、どんな大事件にも驚くことはありません。
中世のヨーロッパで、『動いているのは天ではなく、人間が暮らす大地の方だ』と言われれば、人は皆 びっくり仰天しますが、21世紀の人間は 同じことを言われても驚いたりしません。
そういうものです。

そして、これも前に言ったと思いますが、当時は男子同士の恋は ごくごく普通、実に ありきたりなことだったのです。
王家の人間が結婚にこだわるのは、ひとえに後継者問題があるから。
ですが、王子様と王子様でなく、王子様とお姫様が結婚したからといって、その二人が 必ず後継ぎに恵まれるとは限りません。
当時のギリシャ世界では、国の後継ぎがいなくなってしまったら、名のある英雄を国に迎えて 王位を継いでもらうのが習わしでした。
そういう対応が珍しいことではなかったのです。
それ以前に、エティオピアとヒュペルボレイオスの現国王は 二人共 まだ若く、後継ぎ問題は さほど切羽詰ったものではありませんでした。

氷河王子と瞬王子の恋は、ですから、ヒュペルボレイオスの国王や氷河王子の侍従にとっても、エティオピアの国王にとっても、知ってみれば『なーんだ、そうだったのか』で済むような問題だったのです。
もっとも、エリスが憂い顔の哲学者を装って、エティオピアの王宮で、瞬王子と氷河王子の恋をエティオピア国王に告げた時、その場にいたエティオピア国王の従臣たちは、地上で最も清らかな瞬王子を溺愛している王様が 怒りを爆発させるのではないかと、少し肝を冷やしていたのですけれどね。
ですが、その懸念も杞憂でした。
エティオピア国王は、大切な弟君の恋を知っても、爆発することはなかったのです。
清らかな弟君を溺愛しているエティオピア国王でさえ そうなのですから、他の者たちの反応は推して知るべし。
大っぴらに口にせずにいただけで誰もが気付いていたことを 今更 暴き立てようとした何者かの不粋に、エティオピアとヒュペルボレイオスの国民たちは呆れ返っていました。






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