彼等の戦いは、最初は強要されたものだった。
“敵”との戦いに負ければ死ぬ。
死なないためには勝利するしかない。
勝利するためには、強くならなければならない。
彼等は、自分が生き延びるために 強さを増していった。

私は、運命の女神として、それらの美しい魂たちに特別の祝福を与えた。
運命の女神は、いくつもの――それこそ無数の運命を作り出せる。
どの運命を選び取るのかは、その人間の意思に委ねられるのだけれど。
私は、彼等が どの道を選ぶのかを、ただ見守っていることしかできないのだけれど。
それしか できないからこそ、私は、他の人間たちに対するより多く、いくつもの運命、いくつもの道を、彼等に示してやった。

人間の目と価値観で判断すれば、彼等は不幸で哀れな境遇に生まれ育った者たちだったろう。
彼等は、自分の肉体と心の他には、自分のものといえるものを何も持っていなかった。
多くの人間が執着する、家族、家、財、権力。
そういったものを何ひとつ、彼等は持っていなかった。
そんな彼等の前に、私は どれほど多くの運命を、選択肢を、可能性を指し示してやったことか。

『ここで、おまえたちは、戦いをやめて死ぬことができるのよ』
『今なら、聖闘士でいることをやめることができる』
『この苦しみからの逃げ道は、そこよ』
『その気になれば すぐに自由があなたのものになるわ』
『そして、どこか遠いところにいって、アテナの聖闘士ではない ただの一人の人間として生きることを始めるの』
『戦って、戦って、死んでいく。それが あなたたちの逃れられない運命? いいえ、そんなことはない』
『無駄なことはやめなさい。汚れた人間の世界から戦いのなくなる日が本当に訪れると、あなたたちは心から信じているの?』
『さあ、選びなさい。運命の女神テュケーからの贈り物』
『安らかな死に続く道』
『戦わずに生きていく運命』
『逃げてしまえば、楽になれるかもしれないわ』
『諦めれば、幸福になれるかもしれないのよ』

私は、彼等に幾度 そう囁きかけただろう。
私は 幾度も幾度も彼等に囁きかけ、幾度も幾度も無数の岐路を示してやった。
だというのに、あの者たちは、そのたびに生きることを選び、戦い続けることを選んだ――必ず選んだ。
彼等の命がけの ひたむきな努力に感謝もしてくれない者たちのために。
感謝どころか、その戦いの存在をすら知らない者たちのために。
いつかは消えてしまう世界のために。
戦いがなくなることは決してない人間世界のために。
より楽な道をいくらでも選ぶことができたのに。
あの者たちは、私が示してやった戦いのない道を決して選ぼうとはしなかった。

アテナは、私のしていることを知っていただろう。
けれど、彼女は私に何も言わなかった。
彼女は時々、私のすることに協力する素振りさえ見せた。
人間が人間自身の手で、人間自身の力で守り戦うことをしないのなら、そんな世界には 守る価値、加護を与える価値どころか、存在する価値もないと考える、冷徹な あの女神が。
彼女の聖闘士たちに戦いのない人生を選ばせてやりたいという気持ちが、もしかしたら彼女の中にはあったのかもしれない。
いいえ、きっとそう。
私同様、アテナも、あの美しい魂たちを 特別に愛していたのだ。

私がどれほど平穏に生きる道を示してやっても、その道を選ばず、戦う道を選ぶアテナの聖闘士たち。
アテナは彼等に何か戦いの代償を与える約束でもしているのかと疑い、私は一度 アテナに訊いてみたことがあった。
そんな約束はしていないというのが、アテナの答え。
何も約束されていないのに、彼等は 自らの意思で、人間世界の平和と安寧を守るために戦う運命を選んでいるのだというのが。

人間世界から争いが消えることはない。
アテナの聖闘士たちの戦いは、どんな成果も生まない。
彼等は、どんな報いも手に入れることはできない。
だというのに、彼等はなぜ戦うのか。
彼等は なぜ戦い続けるのか。
私には わからなかった。
ただ一度だけ――彼等が その答えをどう思っているのかを――もちろん、それは真実の答え、普遍的な答えとは限らない――窺い知る機会に接したことがある。

あれはいつのことだったか。
戦いと戦いの狭間の夜。
ほのかに桜色を帯びた透明な魂と、晴れた夏の空の色をした魂が寄り添って、交わした短い会話。






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