2月14日。いわゆる、聖バレンタインデー。 他の国でのことはさておくとして、日本では一般的に、女性が 好意を抱いている男性にチョコレートを贈る日ということになっている。 自分に期待されている役割を心得ている瞬は、3日前に、某チョコレート専門店に群れている一般の婦女子たちの中にさりげなく紛れ込み、誰にも怪しまれることなくチョコレートを購入済み。 当日、そのチョコレートを仲間たちに配った。 皆に、同じサイズ、同じメーカーのチョコレート。 それだけで、瞬の意図はわかる。 それは平等で公平で健全な友情の証であって、特定の相手に対する恋情を示すものではない。 それだけなら、毎年のことと、氷河は特に落胆もしなかっただろう。 バレンタインデーなどという菓子メーカーの商業的陰謀に乗せられた瞬に恋の告白をされても、さして嬉しくないに違いない。 自身に そう言い聞かせて、瞬の平等精神に消沈する自らの心を慰めるのが、氷河のこの日の習慣になっていたのだ。 しかし、今年は少々例年と様相が異なっていた。 皆に、同じサイズ、同じメーカーのチョコレート。 だが、今年は、そのチョコレートに、異なる種類の花の写真で飾られたカードが添えられていたのだ。 そのカードの花が問題だった。 星矢にはヒマワリ。 これはわかりやすい。 その天真爛漫と天衣無縫と勇み足で 仲間たちをトラブルに巻き込んでくれるトラブルメーカーである星矢には、太陽の花であるヒマワリは ふさわしい花だろう。 何といっても、星矢はアテナの聖闘士たちのムードメーカー。 英語で言うなら、icebreaker ――氷を砕く人。 それは、氷雪の聖闘士である氷河には持ち得ない特技(?)だった。 紫龍には、紫の桔梗。 名前の紫に重ねたところもあるのだろう。 花言葉は“誠実”。 突然 別人格が現われて 途轍もない暴論をまくしたてることはあるが――そういう時、彼はなぜか脱衣していることが多かった――通常モードに限れば、龍座の聖闘士には そういうイメージがなくもない。 完全に賛同する気にはならなかったが、そもそも花の写真一枚で一人の人間の全人格を表徴するなど不可能なことなのだ。 『これからもよろしく』と書かれた星矢と紫龍のカードと、そのカードの絵柄に選ばれた花には、氷河もそれなりに納得していた。 彼は、だから、 「おまえも 毎年大変だな」 と、仲間たちにチョコレートを配る瞬に ねぎらいの言葉をかけさえしたのだ。 問題は、そんな氷河に瞬が手渡してきたチョコレートに添えられたカード、そのカードを飾るものとして選ばれた花。 全人格を表徴するものではないにしろ、その人間の主だった特質やイメージを表わすものとして瞬が氷河のために選んだ花が、問題だったのである。 瞬が白鳥座の聖闘士のために選ぶ花は 十中八九 薔薇だろうと、氷河は勝手に決めつけていた。 それ以外に 氷河はどんな花にも関わりがなく、また、彼は よほどメジャーなものでないと ろくに花の名前も知らない男でもあったから。 仲間全員に平等かつ公平に配られるチョコレート。 だが、少なくとも自分には『愛』や『恋』や『情熱』が花言葉とされる花のカードが贈られるのだ。 そう思うことで、瞬に十把一からげの扱いをされることで消沈する己れの心を(今年も)慰めようと、氷河は考えていた――それ以上のことは期待していなかった――つまり、諦めていたのである。 ところが。 瞬が氷河のために選んだ花は、氷河が想定していた花ではなかった――薔薇ではなかった。 瞬が、氷河へのバレンタインカードの絵柄に選んだ花は、赤い薔薇でも白い薔薇でもなく――どういうわけか スイセンの花だったのである。 それは、花弁が白、副花冠が黄色のニホンスイセンでも、花弁と副花冠が共に黄色のラッパスイセンでもなかった。 が、中心に筒状の副花冠がある花の造りは どこから何をどう見てもスイセンそのもの。 「スイセン……?」 いったい なぜ、今 このシチュエーションで、スイセンなのか。 氷河には 訳がわからなかったのである。 「真っ白で綺麗な花でしょう? ペトレルっていう種類のスイセンなんだって」 瞬は邪気のない眼差しで そう説明してくれたのだが、氷河は その言葉を心穏やかに聞いていることはできなかった。 スイセンといえば、ナルシシズムの語源となった、かのナルキッソスの花である。 自己への陶酔と執着が 他者への排除に至る思考パターンを持つ男。 自分に恋をして死んだ男のなれの果て。 花言葉は、『自己愛』、『うぬぼれ』。 そんな花のカードを添えて、瞬は白鳥座の聖闘士にバレンタインチョコレートを手渡してきたのだ。 氷河は、瞬の意図を理解しかねた。 もちろん 氷河は、その場では、にこにこしながら仲間への友情の証を差し出してくる瞬に、 「ありがとう」 と礼を言って、差し出されたものを受け取るしかなかった。 だが、瞬からのバレンタインチョコレートと チョコレートに添えられたカードを受け取った その時から、彼の心の中では激しい混乱の嵐が吹き荒れることになったのである。 |