「なぜ、スイセンなんだ! よりにもよってスイセン! 俺はナルシストなんかではないぞ!」
年に一度の大仕事(?)を終えた瞬が お茶の準備のためにラウンジを出ていくと、氷河は早速 室内に大声を響かせることになった。
それでなくても――星矢たちと同じチョコレートを贈られるだけでも――年に一度のバレンタインデーは氷河にとって屈辱の日なのである。
そこに重ねて、この仕打ち。
この事態を冷静に受けとめることは、氷河には できない相談というものだった。
それ以前に、瞬の意図が全く読めないという根本的な問題も、彼の前には横たわっていたが。

「少なくとも俺は、俺なんかよりずっと瞬の方が綺麗だと思っている。自分がいちばんだと うぬぼれたことはない!」
「そりゃそーだ。ああ、きっと あれだ。ほんとは薔薇のカードにするつもりだったのに、薔薇のカードがなかったんだ。んで、仕方なく別の花にしたんだろ。タンポポやチューリップよりは まだおまえっぽいじゃん」
星矢が氷河に告げた言葉は、ある意味、友情と思い遣りから出たものだった。
アテナの聖闘士としての使命感に燃え、夢を信じ、理想を追い、地上の平和と安寧のために真面目に(?)戦う、地上で最も清らかな魂の持ち主。
しかも、同性。
氷河にとって 瞬が非常に恋の告白のしにくい相手であることは 星矢にもわかっていたし、氷河が毎年この時季に 尋常でない心労と空しさに耐えていることも、星矢は承知していた。
氷河が恋する相手から、氷河と同じレベルのチョコレートを贈られることに 申し訳なさを感じてもいたし、信じる道をまっすぐに進む瞬に迷いを生じさせないために仲間という立場に甘んじている氷河に、星矢は心から同情してもいたのだ。

であればこそ、
「確かに、俺の顔は貴様等に比べれば、数段 出来がいい。それは、誰にも否定できない事実だ。だが、俺は、俺より数段劣るツラの持ち主である貴様等を見下したことはない。そんな俺が なぜナルシスト扱いされなければならないんだ!」
という氷河の発言は、星矢の気に障ったのである。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間の顔をつかまえて、『数段劣る』とは何事か。
告白自体に困難がある恋に苦しんでいる仲間に同情し 慰撫の言葉をかけてやった仲間の思い遣りに気付きもせず、言いたいことを言ってくれる氷河に 星矢が腹を立てたとしても、それは自然な感情の流れだったろう。
星矢は、言ってみれば、氷河に恩を仇で返されたのだ。
星矢は男の顔の出来になど 全く頓着していなかったのだが、それとこれとは話が別。
彼の気持ちは、仲間への慰撫とは逆方向に向かって走り始めた。

「ナルシストでなかったら、おまえは ただの自信過剰男だよな」
そして、走り出したら止まらないのが天馬座の聖闘士の身上だった。
「なに?」
「マザコンのナルシストかー。それって、サイテーじゃん」
「だから、俺はナルシストではないと――」
「そのカード、品切れだった薔薇の代わりとかいうんじゃなくて、案外、瞬からおまえへの忠告なのかもしれないぞ。マザコンも うぬぼれも大概にしろっていう」
「……」

星矢は、走り出してしまったから、そのスピードを上げただけだった。
スタートダッシュしたら、次は中間疾走、そしてラストスパート。
それは星矢にとっては ごく自然な流れであって、自然であるがゆえに、星矢は 自分の言動の意味を深く考えることをしない――というより、星矢は何も考えていなかった。
星矢は単に、勢いで、仲間を糾弾する言葉を重ねたにすぎなかったのだ。

それは氷河もわかっていた。
にもかかわらず、氷河が星矢への反駁の言葉を口にしなかったのは、こういう場合に重要なのは、『白鳥座の聖闘士が事実 マザコンでナルシストなのかどうかということ』ではなく、『自分はマザコンでもなければナルシストでもないと、白鳥座の聖闘士が思っていること』でもなく、『瞬の目に、白鳥座の聖闘士がマザコンのナルシストに見えているのかどうかということ』なのだということに、彼が気付いたからだった。
つまり、白鳥座の聖闘士はマザコンのナルシストではないと、白鳥座の聖闘士自身が主張することには どんな意味もないと、氷河が気付いたから。
そして、ポットとカップを載せたトレイを手にした瞬が、仲間たちのいるラウンジに戻ってきたからだった。

肝心なことは、瞬がどう思っているのか――なのである。
となれば、それは瞬自身に確かめるしかない。
氷河は、仲間たちの前にティーカップを置き終えた瞬に、さりげなく探りを入れてみることにした。
「薔薇のカードがなかったのか?」
「え?」
氷河に尋ねられた瞬は、まず、自分が何を訊かれているのかわからない――という顔になった。
テーブルの上に置かれているスイセンのカードに視線を投げることで、それが何についての問い掛けなのかを、氷河が瞬に知らせる。
自分が何について訊かれているのかを理解すると、瞬は次に、なぜそんなことを訊かれるのかわからないという顔になった。
しかし、すぐに、
「どこのお店にだって、この時季に薔薇のカードがないなんてことはないよ。恋の告白に添える花っていったら、やっぱり薔薇の花だもの」
と答えてくる。

「そ……そうだな」
頷く氷河の声は、空しい響きを帯びていた。
これが恋の告白のためのチョコレートでないことは、最初からわかっていたのである。
わかっていたことではあったが、それを当人によって明言されると、やはり氷河の気持ちは暗く沈まないわけにはいかなかった。
その上、瞬は 致し方ない事情で スイセンを薔薇の代わりにしたのではなく、意図してスイセンのカードを選び、それを白鳥座の聖闘士に贈ったのだという事実までが、瞬当人によって はっきりと明示されてしまったのだ。
氷河に喜色満面でいるように求めることには無理がある。
が、消沈する仲間の気持ちも知らず、瞬はどこまでも明るく、そして無邪気だった。

「雪みたいに真っ白な花でしょう? 薔薇は――白薔薇っていっても、どこかクリーム色がかっていて、ここまで純白じゃないよね。この花、本当に綺麗で――」
氷河に贈ったカードを手に取り、そのカードを飾っている花を、瞬が うっとりと見詰める。
そうしてから、瞬は、さすがは地上で最も清らかな魂の持ち主と“敵”すらも認めざるを得ないほど澄み切った瞳に白鳥座の聖闘士の姿を映し、
「綺麗な氷河にぴったり」
と言った。

それが とどめだったのである。
瞬は、自分のセレクトを この上なく的確かつ適切と信じ、心から満足しているようだったが、瞬に ナルシストの花がふさわしい男と思われているという事実を知らされた氷河の心は 既に、満足も不満足もない次元に吹き飛ばされてしまっていた。 
某水瓶座の黄金聖闘士にオーロラ・エクスキューションを食らった時の百倍も大きな衝撃に、氷河は完全に打ちのめされてしまっていたのである。






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