「いちばんあり得るのは、戦いがなくなって平和な世の中が実現した夢なのではないか」
まず、そう言ったのは紫龍だった。
無欲な瞬が、おそらく たった一つだけ その胸中に秘めている大欲。
瞬は その夢を叶えるためにアテナの聖闘士としての戦いを戦い続けているといっていい。
その夢が叶ったら、瞬は それこそ『もう死んでもいい』と思うほど喜ぶだろう。
だが――。

「瞬は、その夢は、皆の力で実現するのでなければ意味はないと考えているのではないか? それは、夢の中で叶うことが最も悲しい夢でもある。目覚めて、それが夢だったとわかった時、瞬の前にあるのは、平和な世界に到達するまでの果てがないほど長い道、厳しい現実なんだぞ。俺なら、落胆の溜め息しか出てこないな。少なくとも、あんなに喜んだりはしない」
氷河のコメントは、彼の仲間たち(イコール、瞬の仲間たち)にも 極めて妥当な見方に思われた。
瞬は理想家であり夢想家でもあるが、決して 現実を見ないタイプの理想家夢想家ではない。
夢の世界にいる時はともかく、目覚めてからも そんな夢に浮かれ続けていられるほど無邪気な子供ではないのだ。

「じゃあ、やっぱり、瞬らしく ささやか系の夢だったのかなあ……。うん、でも、その方がいいな。平和な世界なんて ラッピングもできないから、チョコのお返しにもできねーし」
星矢は、できれば 瞬の“嬉しい夢”の謎を解くことで、同時に、バレンタインチョコのお返し問題を解決することも目論んでいるようだった。
『平和な世界は ラッピングできない』という一事で、星矢が その可能性を否定する。
そうしてから、星矢は 自分が思いついた答えを口にした。
「ここは やっぱ、あれじゃね? 一輝が帰ってくる夢」

星矢が そう言った途端に、氷河の顔が不愉快そうに歪む。
氷河の歪んだ顔は、星矢が続けて言った、
「一輝なら かろうじてラッピングできるぜ?」
の一言によって、心底 嫌そうな顔に 更に一段とグレードアップした。
正直すぎる白鳥座の聖闘士の反応に、紫龍が少々苦い笑いを洩らす。
「それは確かに瞬には とても嬉しい夢だろうが、俺たちに隠さなければならないような夢でもないだろう。瞬は週に一度は『にーさん、どこで何してるのかなー』とか何とか呟いているし、隠しても、それが俺たちに すぐに察することのできる夢だということは わかっているはずだ。実際、星矢でもすぐに思いついたわけだしな。それは隠しても無意味な夢だ」
「俺でも――ってのは、どういう意味だよ!」

紫龍の随分な言い草に、星矢が派手にむくれる。
機嫌を損ねた星矢の詰問に動じることなく、紫龍は、
「言葉通りの意味だ」
と、あっさり答えてみせた。
負けん気の強い星矢は、紫龍の辛辣な評価に腹を立て、何が何でも自分が瞬の“嬉しい夢”を言い当ててみせると、意地になったらしい。
そうして示した 次なる一案が、
「んじゃ、タンポポの花が咲いた夢」
だったところを見ると、もしかしたら今日の星矢は 少々調子が悪いのかもしれなかった。

「タンポポは もう咲いているし、もし咲いていなくても、待っていれば いずれ咲く。秘密にするほどのことか」
馬鹿にしたように そう言って、星矢の答えを一蹴した氷河が、次に挙げたのは、
「誰かに『男らしい』と褒めてもらった夢というのはどうだ」
という可能性。
これは、自分の考えを馬鹿にされた星矢が、その お返しとばかりに却下してのけた。
「その件は、瞬はもう吹っ切れてるみたいだぜ。『猛々しいだけが男らしさじゃない』って、どっかのマンガ家が書いてたのを見て、その通りだって考え直したんだと。おまえ、瞬から聞いてなかったのかよ?」
「なにっ」
白鳥座の聖闘士が知らないことを自分は知っている。
そう言わんばかりに得意げな顔になった星矢を、氷河は眉を吊り上げて睨みつけることになった。

「では、アンドロメダ島が復活した夢というのはどうだ? アンドロメダ島は瞬の故郷のようなものだろう」
紫龍が慌てて自分の考えを口にしたのは、険悪な空気を生み始めた氷河と星矢を なだめ落ち着かせるためだったろう。
それが紫龍の気配りだということに気付いているのか いないのか、氷河は紫龍の言葉に首を横に振った。
「瞬は、俺たちのいるところが自分の故郷だと言っていたぞ。瞬のことだ。俺に心配をかけないために、多少の強がりは混じっていたかもしれないが」
そう言ってから、氷河が ちらりと星矢の顔を窺う。
その件は知らなかったらしい星矢が、
「そっかー……」
と しんみりした様子で頷くのを見て、氷河は自分の優越性を確信し、大いに満足したようだった。
もともと星矢と氷河の間の険悪な空気を消したいがために口にした考えだったので、氷河に その考えにNGを出されても、紫龍も特段 残念そうな顔は見せない。

「ならば、瞬がこれまでに倒してきた敵が生き返った夢とか……」
紫龍が再度、あまり自信がなさそうに告げた可能性も、
「そんな夢、叶ったら恐いじゃん」
言下に星矢に棄却される。
星矢のそのコメントは 至極尤もなものだっただろう。
それは、平和な世界が実現した夢同様、目覚めてからも喜び続けていられる夢ではない。

「うーん……」
瞬の仲間たちは、いかんともし難い手詰まり感に支配され始めていた。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちに秘密を持ってまで 叶ってほしいと切望する瞬の夢。
一般的には、夢や希望、理想や目的を同じくすることが、“仲間”が“仲間”であるための最も重要な要件だろう。
実際 彼等は これまで、自分たちを そういう仲間だと信じていた。
にもかかわらず 瞬の夢一つ察することができずにいる現状は、彼等にとって極めて不本意なものだったのである。

「もっと現実的にいこうぜ。ケーキバイキングでケーキ100個完食した夢とかさ」
星矢が そんなことを言い出したのは、瞬の夢一つ察することのできない不本意な事態と手詰まり感を吹き飛ばしてしまいたいと考えてのことだったに違いない。
深い考えもなく、完全に思いつきから出た その案は、もちろん これまたすぐに棄却された。
「星矢、おまえ、自分の夢を語っていないか?」
「サッカーのワールドカップで優勝して、MVP に選ばれる夢とかもいいよなー」
「だから、おまえの夢はどうでもいいんだ!」
「だったら――あ、そうだ。瞬、前にケーキ屋さんになりたいって言ってたことあったぞ。そんで、可愛くて美味しいケーキ作りたいって。クッキーも焼いたことないくせに」
「それは瞬らしくて可愛い夢だが、どうだろうな。今の瞬は、自分の将来の夢より、地上の平和の方がプライオリティが高いだろう」
「いっそ芸能界デビューしたって夢はどうだ?」
「星矢! 貴様、真面目に考える気があるのか!」

真面目に考えても わからない悔しさを退けるために、何でもいいから“数撃ちゃ当たる”方式を採用していた星矢が、氷河の非難を受けて 口をとがらせる。
しばし考え込む素振りを見せてから、星矢が口にした次なる瞬の夢候補は よりにもよって、
「んじゃ、夢は大きく、地上世界の支配者になる夢」
というものだった。
いくら何でも大きすぎ、それ以上に瞬の性格・価値観にそぐわない夢に、氷河と紫龍が揃って その顔を歪ませる。

「おい、それのどこが真面目で現実的な夢なんだ」
「え? 現実的じゃないか? 現実的だろ、すごく」
「……」
素で反問してくる星矢に、それでなくても歪んでいた氷河と紫龍の顔は、更に引きつった。
それは ハーデスのことさえなかったら冗談で済ませられる夢だったかもしれないが、瞬は、地上世界の粛清を目論む神だったことのある身。
星矢のその言葉は、真面目なのかどうかは さておくとして、『現実的ではない』と言い切ることの難しいものではあったのだ。
幸い、星矢は、“真面目に”そんなことを言い出したのではないらしかったが。

「本気にすんなよ。冗談だって」
右の手を ひらひら振りながら そう言って、星矢が 今度こそ少し真面目な顔になり、短い溜め息をつく。
「改めて考えてみるとさ、瞬が喜びそうなことって、地上の平和の他は、タンポポとか、ポテチとか、皆が元気でいればいいとか、ささやかで 普通に叶うことばっかりだよな。普通の人間はさ、宝くじで5億円当てたいとか、出世したいとか、家を持ちたいとか、もうちょっと遠大な、少なくとも今日明日に簡単に叶ったりしないような夢を持ってるもんじゃないか?」
「一概に そうだと言うことはできないが、確かに瞬は、地上の平和の実現という大きな夢の他は、ほぼ欲がない人間といっていいかもしれないな」
そんな人間の“夢”に、瞬に比べれば人並みの欲を持つ人間が どうすれば辿り着けるのか。
星矢は、そのための努力を放棄したい気分になりつつあったのだろう。
彼は、本来の目的から 思い切り脇に逸れた話題を その場に持ち込んできた。

「紫龍、おまえの夢ってどんなんだよ?」
「俺? 俺は……そうだな。どんな厳しい気候でも確実に実る農産物を作り出すことができたらいいと思っている」
「氷河はマーマ復活かよ?」
「阿呆。俺はもう、そんな夢を見るほど子供じゃない」
「オトナな氷河の見る夢は、じゃあ、あれだ。瞬とナニする夢」
「貴様、俺に殴り倒されたいのか! 下種の勘繰りをするな!」
「えっ、違うのか?」

星矢は もしかしたら、“瞬の夢 = 地上世界の支配者”説を唱えた時の100倍も真面目に、氷河の夢はそれだと信じていたのかもしれない。
真顔で問い返してくる星矢に、氷河は 一瞬、半ば以上“真面目に” その小宇宙を極限まで燃やすことになった。
その小宇宙を すぐに――だが、かなりの無理をして――静め、ごほんと わざとらしい咳払いをする。
「当たりまえだ。瞬への俺の思いは、崇高にして純粋。つらいことや悲しいことが起きずに、瞬がいつも笑顔でいてくれることが、俺の何よりの望みだ」
この上なく“真面目に”答えたつもりだった氷河に、星矢が この上なく不真面目に同情した様子を示してみせる。

「物は言いよう――つーか、虚飾も そこまで極めれば立派っつーか、何つーか……。それが完全に嘘だとまでは言わねーけどさ、瞬は ここにはいないんだし、俺たちの前でまで 無理すんなって」
「無理などしておらん」
「全身から 無理が にじみ出てるぞ」
「ええい、やかましいわっ!」
氷河が怒声を張り上げ、氷河に怒鳴られた星矢が 大仰に両の肩をすくめる。
氷河も星矢も――おそらく紫龍も――その時には もう、瞬の“嬉しい夢”に自力で辿り着くことを諦めてしまっていた。






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