「俺はおまえが誰よりも好きなのに――この地球上に生きて存在する誰よりも おまえが好きなのに、そして、おまえに いつも幸せに笑っていてほしいと願っているのに――俺たちに秘密を持ってまで叶ってほしいと願う おまえの夢がどんなものなのかが、俺には わからん。俺は、おまえの恋人になるどころか、仲間としても出来の悪すぎる男なんだろうか……」
氷河が寂しい目をして 自嘲気味に 瞬に弱音を吐くことになったのは、瞬の夢に辿り着き、その夢を叶えてやりたいという思いを断念した、まさにその日。
あと数日でホワイトデーがやってくるという初春の午後のことだった。

「え?」
氷河の その弱音を聞いた途端、瞬が 頬を真っ赤に染めて――頬だけでなく、耳や首筋まで真っ赤に染めて、もじもじし始める。
氷河に先立ってレディース・バイキングを諦めていた星矢、瞬からのチョコレートは受け取っておきながら さりげなく自分を蚊帳の外に置いていた紫龍は、突然 熱湯にぶち込まれたタコかカニのように真っ赤になってしまった瞬の様子を大いに怪しむことになったのである。
「瞬、どうかしたのか? おまえ、茹でダコみたいに真っ赤になってるぞ」
「星矢。ここは せめて、紅葉したカエデのようにとか、熟したリンゴのようにとか、もう少し ましな例えを使ったらどうだ」
「でも、タコみてーじゃん」
「だから、タコはよせと言っているんだ!」

およそ どうでもいい比喩表現の是非で盛り上がっている星矢と紫龍に――氷河以外の仲間に――瞬が、今にも消え入りそうな声で 出し抜けに、
「今、僕の夢が叶った」
と告げる。
「へっ」
たった今、瞬の身に どんな嬉しい出来事が降ってきたのか。
そもそも それはどんなもので、いつ降ってきたのか。
肝心のことが皆目 わからないまま、星矢と紫龍は、ほぼ茹でダコ状態で 息をするのも苦しそうにしている瞬の顔を見おろすことになったのだった。

どうかしたのかと尋ねても、ひたすら真っ赤に茹であがったタコのように もじもじしているばかりの瞬。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間たちに秘密を持つことになっても叶ってほしい瞬の夢が、氷河に『好き』と言ってもらうことだったという驚愕の事実に 瞬の仲間たちが気付いたのは、瞬が茹でダコになってから優に15分以上の時間が過ぎてからだった。

「まあ、彼氏ができた夢とは、仲間にも言いにくいことだな。さすがに、そのパターンは俺も考えていなかった」
苦笑しながら そう言った紫龍に、茹でダコ状態は そのままに、半ば以上 顔を伏せた瞬が答えて曰く、
「そんなんじゃなくて……夢の中で、氷河に好きだって言ってもらえたら、すごく嬉しくて、僕、氷河が好きだったのかなあ……って思ったの。自分が誰かを好きでいるのって、すごく嬉しいことでしょう」
「夢が先なのかよ……!」

どうやら瞬は、その夢を見たから 自分は氷河を好きでいるのではないかと考え始めたのであって、それ以前は 氷河に対する好意を自覚していなかったらしい。
それは主客転倒の極みといっていい現象だったが、氷河は、『今現在 瞬が俺を好きでいてくれるのなら、それだけが大事』というスタンスらしく、その点に関しては いかなる問題も感じていないようだった。
嬉しすぎて表情を作る作業が 感情に追いつかないのか、氷河は ほぼ無表情で 感動に打ち震えている。
氷河にとっての最大の幸運は、彼が この地球上に生きて存在する誰よりも好きな人が、氷河の歓喜の小宇宙を読み取ることのできる聖闘士だったことだったろう。
であればこそ、その場は大団円の予感に満ち満ちた 極めて幸せな空間になっていたのである。
もし瞬が小宇宙の色も大きさも感じ取ることのできない一般人だったなら、氷河の感動の無表情は、好意を抱き合う二人の間に大きな障害となって立ちふさがっていたに違いない。
幸運にも 小宇宙の響きと強さを感じ取ることのできる聖闘士だった瞬は、ホワイトデーを待たずに これ以上を望むべくもないプレゼントを手にして、そのピンク色の小宇宙の精彩を倍増させていた。

それが睡眠時に見た夢であっても、覚醒時に思い描いた夢であっても、叶ってほしい夢が叶うこと、叶えたい夢が叶うことは、誰にとっても嬉しいことだろう。
白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士は、今 その夢が叶ったのだ。
二人の未来にあるものは ただ幸福のみだったろう。
彼等が、ここで終わる映画や小説の登場人物だったなら。
だが、そうではなかったから、“ついに叶った瞬の嬉しい夢”は二人に新たな試練を運んでくることになったのである。






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