弟の身を案じる一輝国王の気持ちは痛いほどわかりましたが、星矢は正直 自分の使命にあまり気が乗らなかったのです。 “心優しく、可憐で清楚”が売りでしたが、瞬王子は その優しい姿に似合わず、カリステー王国でも指折りの剣と拳の使い手で、そこいらにいる屈強な漁師の10人20人くらいなら一瞬で倒すことのできる実力の持ち主でした。 その上、すばしこくて機転もききますし、食欲で正気を失った食人鬼の一人や二人、難なく叩き伏せてしまえるだろうと、星矢は思っていたのです。 その瞬王子が逃げてこないところをみると、瞬王子はティラシア王国の王宮で一国の王子にふさわしい礼遇を受けているに違いありません。 一輝国王は単に 最愛の弟が自分の目の届くところにいない状況が嫌なだけなのではないかという疑いを打ち消すことができないだけに、ティラシア王国に向かう星矢の足と心は一向に弾みませんでした。 一輝国王の方が間違っていると思わざるを得ないだけに卑怯な行為を行なう気になれず、いっそティラシア王国の兵に捕縛されることを期待して、星矢は正々堂々と正門からティラシア王国の王宮に入っていったのです。 双子の国と言われているだけあって、カリステー王国のそれと似たような造りの王宮。 解放的なの不用心なのか、ティラシア王国の王宮には門兵の一人もおらず、星矢は誰に咎められることもなく王宮の中に入ることができました――できてしまいました。 王宮内には、警備の兵も女官も相当数いましたし、それなりの地位に就いているらしい偉そうな態度の文官や貴族の男女の姿もありました。 食人鬼の王が支配している国の王宮であるにもかかわらず、城の中は明るく活気に満ちています。 だというのに、星矢とすれ違う者たちは誰一人として、不法侵入者の星矢を怪しむ素振りを見せません。 いくら何でも これは不用心に過ぎるだろうと思いながら、星矢は試しに女官を一人 掴まえて、 「カリステー王国から来た王子はどこにいる?」 と すごんでみせたのです。 ところが彼女は 星矢を恐がりもせず、くすくすと楽しそうに笑って、 「東のお花畑に、陛下と一緒にいらっしゃいますよ」 と、警戒心の全くない笑顔で、瞬王子の居場所を星矢に教えてくれました。 そして、 「瞬様がいらしてから、うちの王様は毎日 ご機嫌」 と歌うように言いながら、どこかに行ってしまいました。 あとに残された星矢は、この展開に呆れてしまったのです。 彼女は敵国からの不法侵入者を、この城に勤める使い走りの子供か何かだと勘違いしたのでしょうか。 たとえ そうだったとしても、敵国の人質の居場所を見知らぬ人間に簡単に教えてしまうなんて、仮にも一国の国王の住む王宮に勤める者として防犯意識が希薄すぎます。 「東のお花畑ねぇ……」 もしかしたら お花畑は、王宮の東ではなく、王宮に勤める者たちの頭の中に備わっているのではないかと 本気で疑いながら、星矢が向かった東のお花畑。 女官が言っていた通り、そこに瞬王子はいました。 瞬王子は、お花畑を一望できるように造られたとおぼしきガゼボのベンチに金髪の男と並んで腰掛け、楽しそうに彼と談笑していました。 一輝国王の予想とは全く違って、お花畑の中で笑顔全開の瞬王子。 緊張したくても緊張できず、緩みまくった気持ちと足取りで、星矢は そんな二人の側に歩み寄っていったのです。 「星矢!」 ここにいるはずのない幼馴染みの姿に気付くと、瞬王子は 星矢の登場を怪しんだ様子もなく、掛けていたベンチから立ち上がって、力いっぱい星矢に手を振ってきました。 「そのうち、兄さんが誰かを使者に立ててくるだろうと思ってたけど、星矢が来てくれたの!」 星矢の来訪は、どうやら瞬王子には想定内のことだったらしく、瞬王子は驚いた様も見せず、ただただ嬉しそう。 くつろぎきっている瞬王子の前で気を引き締めることもできず、星矢は ぽかんと間の抜けた顔を作ることになったのです。 そんな星矢とは対照的に、瞬王子は、生気と活気と元気に満ち満ちていました。 「このお庭、とっても綺麗でしょう? 氷河が僕のために作ってくれた お庭なの。お花がいっぱいで、話に聞くエリシオンみたいでしょう?」 「おまえのために――って……」 この花畑が瞬王子のために作られたというのは、どう考えても嘘でした。 瞬王子がティラシアに来て、まだ10日足らず。 出会った その瞬間に氷河国王が瞬王子に好意を抱いたとしても、この庭は10日足らずで作れるような庭ではありません。 「氷河がおまえのために――って、即席で作った庭には見えないけど――」 「氷河がこの庭を作ってくれたのは6年前だよ。いつか僕を招待するためにって、願いを込めて作ってくれたんだって」 「6年前……」 瞬王子が談笑していた金髪の男。 それが噂のティラシアの食人鬼であるところの氷河国王のようでした。 彼は、招いた覚えのない来客をあまり歓迎してはいないらしく、つい先ほどまで瞬王子に向けていた笑顔を綺麗に消し去っていましたが、かといって 断りもなく他国の王宮に入り込んだ異国人を追い払おうとする気配も見せませんでした。 「氷河、前に話したことがあるでしょう。星矢だよ、僕の幼馴染みの」 「憶えている。カリステーで おまえといちばん仲のいい……。相当の使い手と聞いていたが、想像していたよりガキっぽい――いや、元気な お子様のようだな。これなら、まあ、気にすることは……」 氷河国王が不機嫌そうなのは、瞬王子との二人きりの語り合いを邪魔されたから。 そして、彼が不法侵入者を追い払おうとしないのは、彼が寛大な国王だからではなく、どうやら星矢の見た目が子供っぽいから――のようでした。 それで、星矢は非常に嫌な予感を覚えることになったのです。 10日前に初めて出会ったにしては親密すぎるように見える、二人の態度、交わし合う眼差し。 『前に話したことがある』その『前』というのは、この10日間の内にある時間のどれかではないのではないか――。 勘の悪い人間は、“相当の使い手”にはなれません。 星矢はもちろん、極めて勘のいい人間でした。 「おまえら、もしかして、アテナイが攻めてくる前からの知り合いだったのか?」 答えを聞くのが恐い――星矢は、本当は、そんなことを訊きたくありませんでしたし、その答えを知りたくもありませんでした。 もし二人が以前からの知り合いだったなら、一輝国王の苦悩と懸念は全く無意味なものだったということになります。 瞬王子は、故国の危機を利用して、“知り合い”の家に遊びにきた不心得者ということになってしまうのです。 星矢は、本当に、そんな真実など知りたくはなかったのですが、瞬王子は全く悪びれた様子もなく、力強く星矢に頷き返してきました。 もっとも、氷河国王と瞬王子の友情の(?)歴史は、星矢の想像より はるかに長いもののようでしたが。 瞬王子は、星矢に力強く頷いて、 「僕と氷河が初めて会ったのは、僕たちの両親が生きていた頃だよ」 と言ったのです。 瞬王子の その言葉が真実なら、二人の友情の(?)歴史は、少なく見積もっても10年の長きに及ぶことになります。 実際、その通りだったようでした。 |