「あー……。で、おまえらの仲良しって、どういう種類の仲良しなんだよ?」
これもまた、訊きたくないし、知りたくもないこと。
星矢に問われた瞬王子が その頬を ぽっと赤らめる様を見て、星矢は絶望的な気分になってしまいました。
「だめだめだめ! 一輝がいい顔するはずないだろ! 一輝は、おまえのこと、我が最愛の弟なんて、人前で臆面もなく言ってのけるくらい筋金入りのブラコンなんだぞ! それが、よりにもよって、大っ嫌いなティラシアの馬鹿王と恋仲だなんて――。しかも、おまえらが二人でつるんで自分を騙してたなんてこと知ったら、一輝は これまで以上にティラシアを敵視するようになるに決まってるだろ!」
「だ……だって、兄さん、僕がいくら言っても、ティラシア国は宿敵だって決めつけて、氷河がどんなに優しいのかも知らないのに、わけもなく嫌って――」
「まあ、一輝の態度にも大いに問題はあるけどさー」

氷河国王の尽力で(?)せっかく一度は引っ込んでいた瞬王子の涙が、また その瞳を覆い始めます。
瞬王子の涙は どんな剣や拳よりも強力な武器で、大抵の人に有効。
もちろん星矢に対しても その武器は力を発揮し、涙ぐむ瞬王子の前で、星矢は たじたじになってしまいました。
そして、星矢は、瞬王子の言う通り、すべての元凶は一輝国王であるような気になってしまったのです。

なぜ一輝国王がティラシアの国王を毛嫌いしているのか、その理由を星矢は知りませんでしたが、一輝国王がこれほど頑なな態度を示さなかったなら、瞬王子と氷河国王は もしかしたら恋に落ちることもなく、仲のよい友だち同士でいたかもしれないのです。
会いたいのに会えない。
一輝国王が瞬王子と氷河国王に与えた障害が、二人の『会いたい』という気持ちを強く激しいものに変えたのだろうことに 疑念を挟む余地はありません。
障害があればあるほど、恋の炎は強く激しく燃え上がるもの。
それどころか、障害は、友情を恋情に変える力をさえ持っているのです。
少なくとも、一輝国王の頑なな態度は、清らかで心優しい平和主義者の瞬王子に『たとえ兄と二つの国の国民を騙すことになっても、氷河に会いたい』という気持ちを抱かせるほど見事に、瞬王子の恋に寄与していました。

「だから、今回のことも、人質を差し出せって言ったら、兄さんは変に勘繰るかもしれないから――なんとか僕をティラシアの王宮に送るしかないようにさせる方法はないかって二人で悩んでたら、紫龍があの方法を考えてくれたんだよ。『人質の方がまし』と思わせるような条件をつけて兄さんに迫ればいいって。紫龍が、うまく兄さんを説得してやるって言ってくれたの」
「紫龍……? ああ、あのティラシア王国からの使者か」
先程の女官の浮かれた様子といい、一輝国王を騙す方法を考えた紫龍といい、どうやらティラシア王国側の人間は皆、氷河国王と瞬王子の恋の味方のようでした。

だとすれば、瞬王子が『たとえ騙すことになっても会いたい』と思い、実際に騙した相手は、兄と二つの国の国民ではなく、カリステー国王と その国民のみということになります。
それで瞬王子の罪が半分になるというわけではありませんが、ティラシアの国民が皆 二人の恋のことを知っていて応援しているとなると、人を騙すことへの瞬王子の良心の痛みは半減したことでしょう。
しかも、二つの国の統一はアテナの意にも適っていること。
騙された人間の一人である星矢にも、二つの国が友好を結ぶことは 両国の益になることに思えました――瞬王子は、二つの国のために良いことをしたのだと思えるのです。

そう考えると、今回の侵略騒ぎにおける悪役は 一輝国王一人きりで、その たった一人の悪役を改心させるため、瞬王子はこれほど大掛かりな芝居を打ったのだという解釈が成り立ちます。
一輝国王一人のために、アテナが動き、ティラシア王国の民が動き、大国アテナイまでが協力してくれたのです。
たった一人の人間の心を変えるために。
これは一輝国王の人徳なのでしょうか。
いずれにしても 一輝国王は、多くの人に愛されている(?)極めて幸福な人間であるということができそうでした。
一輝国王が、それを幸福なことと思うかどうかは、全く別の問題ですけれどね。
『これほど多くの人間から愛情を受けることを、一輝国王が幸福なことと考えるとは思えない』 というのが、星矢の正直な気持ちでした。
なにしろ、一輝国王が愛しているのは―― 一輝国王が愛されたいのは、最愛の弟ただ一人だけなのですから。

そんな一輝国王の心も知らず、瞬王子は、一輝国王が派遣した人質奪還作戦の工作員に、
「だから、星矢。僕はティラシア王国で元気にしていますって、兄さんに伝えて」
なんてことを言ってくるのです。
「瞬〜っ!」
星矢は、綺麗で のどかなお花畑に 悲惨な悲鳴を響かせることになりました。
「一輝はさ、あんな条件つけてくる残忍な国王が治めてるティラシアで、おまえがつらい思いしてるんじゃねーか、ひどい目に合ってるんじゃねーかって心配して、おろおろしてんだよ。俺が、おまえはティラシアで元気で幸せいっぱいでいましたなんて言ったって、信じるわけねーだろ」
「なら、兄さんが直接ティラシアに来て、僕の様子を確かめてくれればいいの。たとえ兄さんが軍隊を引きつれてきたって、僕と氷河は友好的に迎えるよ」
「そんなの無理に決まってるだろ! 今、カリステーの国では、兵士も漁師もみんな船大工になってんだから」
「だったら、兄さんが一人でティラシアに遊びにきてくれればいい。二つの国を仲良くさせるのが、僕の夢だったんだ。初めて氷河に会った時からずっと――」
「それは よくわかったけどさー」
「あの時から、ずうっと僕たちは仲良しだったんだよ。でも、兄さんがあんなだから、僕たちは こそこそしなきゃならなくて、そのせいで氷河が危険な目に合って……。僕、もう、そんなのは嫌なの……!」

「瞬」
星矢と瞬王子のやりとりに ほとんど口を挟んでこない氷河国王は、随分と寡黙な男のようでした。
けれど、必要のない時には黙っていることのできる寡黙な男が 行動力のない男かというと、そんなことはありません。
氷河国王は、必要な時には 自分の為すべきことを完璧に為す男のようでした。
過去の恐ろしい事故のことを思い出し、涙で肩を震わせ始めた瞬王子の身体を、氷河国王がしっかりと抱きしめます。
氷河国王は、口数は少ないけれど、やるべき時はやる男――つまり、かなり手の早い男だったのです。
恋し合う二人の、麗しくも優しさと思い遣りに満ちた情熱的な抱擁。
その感動的な光景は、星矢には全く楽しいことではありませんでした。

「うわ、俺、こんなこと一輝に言えねー。言ったら、確実に一輝に殺される……!」
「なら、星矢もここにいればいいよ。兄さんには『元気でいます』って手紙を出せばいい。僕や星矢がティラシア国に行ったきり帰ってこなかったら、兄さんも少しは危機感を感じて、冷静になってくれるかもしれない」
「んなわけないだろ! 一輝は ますますアタマに来るだけだ!」

今回の騒ぎの元凶は一輝国王。
悪者も一輝国王一人だけ。
少なくとも、カリステー王国以外の場所では、そういう認識が定着しているようでした。
けれど、その事実を一輝国王に報告する勇気は、星矢には持ち得ないものでした。
一輝国王の怒りを買って殺されるのが恐いからではありません。
そうではなく――星矢は、一輝国王が気の毒でならなかったのです。
ちょっと頑固だっただけで最愛の弟に離反されることになってしまった一輝国王が。
かといって、このままティラシア王国の王宮に残り、知らんぷりを決め込むわけにもいきません。
星矢は やはり、カリステー王国に戻り、一輝国王に事実を報告しないわけにはいかなかったのです。
その決意を瞬王子に告げて、星矢が ティラシア王国の幸福な お花畑を立ち去ろうとした時でした。
「待て。俺も一緒に行く」
と、氷河国王が言い出したのは。

「氷河……!」
最愛の弟を奪われ激昂している兄の許に、兄から弟をうばった当人が出向く。
それが死を覚悟した言葉に聞こえたのでしょうか。
瞬王子が真っ青になって、氷河国王の顔を見上げ、見詰めます。
「なら、僕も一緒に――」
やるべき時はやる男は、そんな瞬王子のために笑顔を作りました。
「おまえはここに残れ。ここで俺の帰りを待っていろ。おまえの無事な姿を見たら おまえの兄は安心するだろうが、奴はそのまま おまえをカリステーの王宮に閉じ込めてしまいかねない。俺が行って、おまえの兄を説得してくる」

「あんたがカリステーに来るのは あんたの勝手だけどさ、あんたが一輝を説得なんて、んなの無理に決まってるだろ」
氷河国王の決意は無謀極まりないことのように、星矢には思えました。
けれど、星矢は まもなく、それが最善の方法だと考え直すことになったのです。
一輝国王も、瞬王子に涙で責められるよりは、氷河国王に八つ当たりの怒りをぶつけていられる方が みじめな思いをせずに済むでしょう。
そう言って心配顔の瞬王子を説得し、星矢は氷河国王と共にカリステー王国に帰ることにしたのでした。






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