輝く場所






「最後のスター?」
「ええ、最後のスター」
そう言って アテナの聖闘士たちに笑顔で頷いた少女の姿をした人物は、聖域の全聖闘士を統べる女神アテナではなく、グラード財団の若き総帥 城戸沙織だったろう。
アテナの聖闘士たちには、すぐにそれが わかった。
女神アテナでいる時と グラード財団総帥でいる時の彼女の顔は 明確に違うのだ。
威厳と慈愛の女神が グラード財団総帥として彼女の聖闘士たちの前に立つ時、彼女の表情はいつも 悪気と いたずら心でいっぱいだった。

「ちゃんと アリシア・レジナという名前はあるのだけど、みんな、彼女のことをスターと呼んでいるわ」
「スター? てことは、そのアリシアちゃんは、ハリウッドに彗星のごとく現れた期待の新星か何かなのか?」
星矢が映画女優の名など知っているわけはない。
沙織もそれは承知していただろうが、それでも星矢の推察(?)を聞いた彼女は 少し渋い顔になった。
『アリシアちゃん』は、なにしろ、今年34歳。
オスカー候補にあがったこともある 芸歴15年の、日本でも それなりに名の知られた中堅女優だったのだ。
「スターは先日34歳の誕生日を迎えたはずよ」
星矢の誤解を正してから、沙織は改めて彼女の聖闘士たちに向き直った。

「インターネット――特にSNSの普及のせいで、これまでなら外部に洩れることのなかった著名人の裏方の色々な情報が瞬時に世界中に出回って、その評判を左右するようになったでしょう。本来は大衆の憧れの対象だった俳優の場合、特に それが顕著。監督やプロデューサーに使いにくいと思われたり、スポンサーにイメージが悪いと思われてしまったら、どれほどネームバリューがあっても、演技力があっても使ってもらえない。そのせいかどうか、最近の女優男優は やたらと お行儀がよくなって、こじんまりとまとまった優等生を演じるようになってしまったの。昔のJ・ディーンやE・テイラー、B・ストライサンドみたいな我儘な大スターというのがいなくなってしまったのね。ところが、彼女は、父親がIT関連産業で財を成した米国でも指折りの大富豪の娘で、その気になったら 自分で資金を出して映画の企画を立てることもできる立場にある人物。当然、誰に遠慮することなく我儘のし放題。それで、彼女は往年の 我儘ハリウッドスターの気概を持つ最後の女優と言われているのよ」

「最後のスターって、そういう意味なのかよ」
では、どう考えても、『最後のスター』という呼び名は称賛の言葉ではない。
多少の羨望は混じっているのかもしれないが、揶揄の言葉ということになる。
「そんなのが、日本に来ているのか」
一瞬で、アリシアちゃんへの好意――とまではいかなくても、悪感情ではないもの――を失った星矢が 自分の立場を思い出し、我儘なスターの来日がアテナの聖闘士に どう関わりがあるのかを探るような視線を 沙織に向ける。
女神アテナなら ともかく グラード財団総帥に隙を見せると ろくなことにならない――という事実を 経験上 嫌になるほど知っている星矢は、そして、そのまま口をつぐんだ。
代わって、紫龍が口を開く。

「アリシア・レジナというと、確か、数年前に公開された『チェンチの娘』の主演をしていた女優――と記憶していますが……。キャッチコピーが『天使の顔をした殺人鬼』だったかな。不幸な境遇に耐える健気な少女の役をやっていたはずだ。作品を観ていないので、評価は保留にしておきますが」
「老師に お聞きしたことがあるの? そう、そのアリシア・レジナよ」
紫龍は、相変わらず無駄な知識を ふんだんに備えている。
だが、この場においては、彼の無駄な知識は 良い方向に作用することになった。
星矢の『アリシアちゃん』発言に少々 機嫌を損ねているようだった沙織が、紫龍の適切な無駄知識のおかげで 幾分機嫌を上向かせる。

「彼女が今度、プーシキンの『スペードの女王』をモチーフにした映画の主演を務めることになったの。配給はグラード・エンターティメント・アメリカで、その映画のロケのために、スターは昨日 来日したのよ。日本には10日ほど滞在する予定。それで――」
「『スペードの女王』はロシアの社交界が舞台の、基本的に室内場面だけの作品だぞ。なぜ日本でのロケが必要なんだ」
女優は知らなくても、ロシアの国民詩人の作品は知っているらしい氷河が、畏れ多くも女神アテナにしてグラード財団総帥の話の腰を折る。
『スター』という呼び名の由来を聞いた時点で、彼がアリシアに好意を抱かなかったことは明白。
沙織に問う彼の口調は、ほとんど非難の響きだけでできていた。

一般的に 人間というものは、自分の我儘は棚に上げ、他人の我儘を嫌うものである。
沙織が氷河を“一般的な人間”の範疇に含んでいるのかどうかは定かではないが、スターに対する氷河の嫌悪の念を不当なものとは思わなかったらしく、彼女は氷河の質問に気を悪くした様子は見せなかった。
「スペードの女王の心象風景の描写に 能の表現を取り入れてみてはどうかと、スターが提案したんですって」
「能の表現?」
氷河が、沙織の言葉を復唱して彼女に確認を入れる。
極限まで抑制された動きと謡で感情を表現する能と、抑制などという行為の存在も知らぬげに我儘を通す女優が、どうしても結びつかない。
我儘女優から そんな提案が出る状況が、氷河には得心がいかなかったようだった。
しかし、沙織は、氷河に頷き返した。

「ええ。一応、それが表向きの理由。決して嘘ではないのよ。でも、本当の理由は――以前 来日した時に食べた あんみつの味を思い出したスターが、あれを食べなきゃスペードの女王は演じられないと言い出したせいらしいわ」
「ハリウッドスターがあんみつかよ!」
能と我儘女優の不釣り合いは わからなくても、ハリウッド女優とあんみつの不釣り合いは理解できたらしい星矢が、呆れたような声をラウンジに響かせる。
「スターは、あんみつこそが最高の日本料理だと言っているそうよ」
沙織は楽しそうな苦笑を浮かべて、星矢に首肯してみせた。
「映画の興行やソフト等の収入に関しては、日本は米国に次ぐ大きな市場だし、宣伝も兼ねてということで、監督もスターの提案に乗ったらしいわ」
「米国に次ぐ市場? 日本人って、そんなに映画を観てんのか? 意外ー」
「映画館への動員数なら 中国の方が多いのだけど、日本は そもそもチケット代が高いし、著作権の管理がきちんとしているから、総合収入ではそういうことになるわね」
「へー、そうなんだー」

せっかく説明してやったのに 感心しているのは言葉だけ、実は そんなことにはまるで興味がないことが明白にわかる星矢の声音。
にもかかわらず、沙織は機嫌を損ねた素振りも見せない。
それは、つまり、沙織が来日中のハリウッド女優の話を持ち出した目的の達成に、星矢の関心の有無は関係がないということ。
沙織の今回のターゲットは星矢ではないということだった。
星矢以外の誰かを巻き込むために、沙織は その話題を持ち出したのだ。

「で、彼女が甘味屋巡りをする際と、能の舞台や表現の手法の説明を受ける際の通訳を兼ねたアテンダントをグラードの方で紹介したのだけれど、なにしろ相手は我儘いっぱいの最後のスターでしょ。彼の見栄えがよくないのが お気に召さなかったらしくて、すっかりお冠になってしまったの。あげく、演じるのが嫌だと言い出して、スタッフは今、困り果てているのよ」
「それは大変ですね」
会ったこともないスタッフに心から同情したように、瞬が相槌を打つ。
「ええ。本当に大変なのよ」
瞬に そう答える沙織の視線は、しかし、なぜか瞬ではなく氷河に向けられていた。
その視線に気付いた氷河は 僅かにたじろぎ、眉をひそめることになったのである。
氷河が沙織に、
「大変だから何なんだ。それが俺にどう関係あるというんだ」
と問い返した時、彼は既に 沙織が自分に何を求めているのかを察していただろう。
案の定の答えが、沙織から軽やかに返ってくる。






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