それから しばらくの間、俺は 俺の恋の順調な進展だけを、沙織さんに報告できていたんだ。
俺の報告を聞くたびに、沙織さんはとても楽しそうにしていた。
だが。
俺の『一生 結婚しない』宣言から、7週目。
16回目の定例報告。
様相一転、俺は沈鬱な面持ちで、沙織さんの前に立つことになった。
「どうしたの、その顔は。明日 地球が滅亡することを知らされた人間のような顔をしているわよ」
俺の絶望したような顔を見せられたら、さすがの沙織さんも、『不都合や不足、不満があるようなら、何でも言ってちょうだい。可能な限り対処するわ』とは言えなかったんだろう。
俺の地球が滅亡するのは明日ではなく――俺の地球は既に昨日 滅亡済みだったんだが。

「あの子に振られてしまったんだ。プロポーズを断られた……」
あの子と知り合ってからプロポーズまで一ヶ月と少し、俺のプロポーズは早すぎたんだろうか。
俺は急ぎすぎたのか?
だが、最初の頃の俺を避けるような素振りは まもなく消えて、この頃はずっと俺たちは いい感じだったんだ。
最近は、あの子も 俺の人となりを知ろうとしてくれているふうで、マーマのことや、マーマを失ってから俺がどんな思いで生きてきたのか、そんな俺の身の上話を切なそうに優しい目をして聞いてくれた。
俺が本当に心から あの子を好きでいることを、あの子も わかってくれていると思っていた。
だから俺は、一生誰にもしないと(6週間前に)決めていた禁忌を破って、あの子にプロポーズしたのに――。

「振られた? 『そのプロポーズはお受けできません』と、はっきり言われたの?」
沙織さんは この地上でいちばん、俺が あの子をどれほど好きでいるのかを知っている人だ。
俺が健康頑健な身体を持ち、経済的不安を抱えていないことも、彼女は知ってくれている。
だから、俺のプロポーズの不首尾を、彼女は俺の日本語の誤用、もしくは あの子の答えを俺が誤って解したのではないかと考えたようだった。
だが、そうじゃない。
俺は 面倒で まわりくどい言葉を用いてプロポーズしたわけじゃないし、あの子も生粋の日本人にしか わからないような婉曲的な言葉で、俺のプロポーズから逃げようとしたわけじゃない。

「俺を嫌いなわけではないが、そんなことが可能かどうか常識で考えろと言われた」
「常識で考えろ?」
「俺は そんなに非常識なことをしたか? 何が非常識だというんだ !? 日本は、“自由・平等・博愛”を声高に誇りながら、その実 人種差別が はなはだしいフランスや、“自由の国”を標榜しながら、経済的身分制度が確立しているアメリカなんかより、はるかに身分や階級の意識が希薄な国だと聞いていたのに……!」
「それは その通りよ。日本には皇室の構成員の他に特別な身分の人はいないし、富める者が尊大に振舞えば軽蔑され、貧しい者が卑屈にしていても軽蔑される お国柄。あなたの常識は間違っていないわ」
「だったら なぜ、あの子は俺のプロポーズを受け入れてくれないんだ! あの子を思う俺の心が真実のものだということは、あの子も わかっているはず。あの子だって 俺と好きだと――言葉で言ってくれたことはないが、そんなことは あの子の目を見るだけで わかるのに!」

この恋が実らないなんて考えたこともなかった俺は、とにかく この現実が信じられなくて――どうすればいいのか わからなくて――沙織さんの前に立っていることはおろか、視界に何かを映していることも苦痛だったから、早々に沙織さんの執務室を辞去した。
俺は今はただ、誰もいないところで、目を閉じ、耳をふさいでいたかった。






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