闇の中にも完全な救いはない。 完全な安らぎはない。 完璧な贖罪は、なおのこと存在しない。 もしかしたら 自分は氷河を求めるあまり、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのかもしれない。 だとしたら――だとしても――事実を確かめなければならないと瞬が思ったのは、結局のところは、瞬が弱い人間になりきれなかったからだったのかもしれない。 不幸に身を任せ、すべてに絶望し、人生を投げ遣りに生き続けるには、瞬の精神は健全すぎ、強すぎた。 仲間たちと共に戦ってきた 幾つもの戦いの経験によって、身体だけでなく心まで、瞬は鍛えられすぎていたのだ。 氷河を見ないために――自分の罪を見ないために逃げ込んでいた闇の中の外に出て、光ある世界で事実を確かめようと瞬が思ったのは、漠然とした不安が消え、『たとえ あれが氷河であっても、氷河でなくても、自分は既に過ちを犯した』という明瞭な意識を持つことになったせいだったかもしれない。 闇のカーテンに覆われた闇だけでできている世界に閉じこもっていると、やがて自分は 光を見ることもできない人間になってしまうかもしれない。 何もかもを見ることができなくなってしまうかもしれない。 そんな人間には なりたくなかったから、瞬は、自身の心と身体を もう一度 光にさらしてみようと決意したのである。 アテナの力によって氷河の姿を見ることはできなくても、星矢や紫龍に、氷河は今どうしているのかと問うことはできる――氷河の今を知ることはできる。 昨夜 アンドロメダ座の聖闘士を狂気に囚われた獣のように抱きしめ貪った人が誰だったのか――氷河だったのか、そうではなかったのかを確かめることはできるのだ。 そうして事実を確かめてから、自分がどう行動すべきなのかを決めればいい――決めることができる。 そう考えて、瞬は その心を逃げ込ませていた闇を振り払い、その身体を閉じ込めていた部屋を出て、数日振りに陽光の下に立ったのである。 そうして、瞬が、星矢と紫龍の姿を求めて、教皇殿から双魚宮につながる石段を下り切った時だった。 ふいに、思いがけなく、氷河の名が瞬の耳に飛び込んできたのは。 「キグナスは気の毒だったな」 「フェニックスのことがあってから、腑抜けのようなありさまだったし、聖闘士が あれでは生きていても仕方がない」 「むしろ、こうなって、キグナスは楽になれたのではないか。生きていることが、人間にとって いつもいいことだと限るまい」 それは、そこに瞬がいることに気付いていない雑兵たちの他愛のない、そして無責任な噂話だった。 だが、彼等の話の内容は、瞬には到底 聞き流すことのできないものだったのである。 いったい 彼等は何を言っているのだろう――? 「何のこと……。まるで氷河が死んだみたいに……」 瞬は そう思っただけのつもりだったのだが、もしかしたら その思いは声になってしまっていたのかもしれない。 そこにアンドロメダ座の聖闘士が立っていることに気付いた雑兵たちが、にわかに表情を強張らせ、次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように どこかに逃げ去っていく。 「何のこと……。まるで氷河が死んだみたいに……」 瞬は もう一度、今度は確かに声に出して、その言葉を呟いた。 アンドロメダ座の聖闘士が氷河を見ずにいたうちに、彼の身に何が起こったというのか。 氷河が死んだなどということがあり得るだろうか。 では、昨夜 瞬の許に来て、瞬を抱きしめていった あの人は誰だったのか。 あれは何だったのか。 彼は、氷河ではない誰かだったのか。 それとも あれは氷河の幽霊だったとでもいうのか。 だから、あれほど側にいたというのに――身体の中に彼を迎え入れることまでしたのに――自分は、彼を氷河だと確信することができなかったのか――。 だとしたら。 だとしたら――。 |