聖域に戻った瞬は、仲間たちに、氷河との出会い、彼と交わした言葉を話してみたのである。
瞬のものではない強大な小宇宙を感じたことは認めつつも、瞬の仲間たちは 瞬の話を信じてはくれなかった。
より正確に言うと、あの強大な小宇宙の持ち主が吸血鬼であることを、信じてくれなかった。

「おまえ、女の子みたいな顔してるから、からかわれたんだよ。そいつは、何か奇抜なこと言って、おまえの気を引こうとしたんだ」
「そんなはず……小宇宙を燃やせる人なら、僕が女の子じゃないことくらい、それこそ 小宇宙でわかるはずでしょう」
「ならば、可愛いオトコノコをからかおうとしたんだろう。いくら何でも、吸血鬼という設定は荒唐無稽すぎる。その氷河とかいう男も、おまえが そんな作り話を信じるとは思ってはいなかったのではないか」
仲間たちは笑って そう言い、何はともあれ 敵に危害を加えられることがなくてよかったと、瞬の無事を喜んでくれた。

「でも、ほんとに……」
氷河との出会いは夢だったのだろうか。
それとも、氷河は現に存在していて、彼が吸血鬼だという話だけが嘘だったのか。
あるいは、すべてが本当にあったことで、氷河の話も事実だったのか。
僅か1、2時間の間の出来事。
あっという間に、敵の前から消えてしまった氷河の姿。
その印象が強烈だっただけに かえって、夢を見ていただけのような気がしないでもない。
だとしても、それは忘れ難い夢である。
孤独で厭世的で、優しく悲しい吸血鬼の面影を、瞬は忘れることができなかった。
忘れられないまま、中途半端な気持ちで、瞬は それからの日々を過ごすことになったのである。


もしかしたら氷河の真実がわかるかもしれないという希望が 瞬の許に舞い込んできたのは、瞬が氷河に出会った(はずの)日から5日ほどが過ぎた ある日。
その日、本来はアテナとは対立し合う神なのだが ティターン神族に出しゃばられることを快く思っていないオリュンポス神族の一柱である某神が、アテナと聖域の当座の敵であるティターン神の潜伏地を、アテナに知らせてきたのだった。

密告者の思惑はさておき、世界の滅亡を企んでいる邪神の一党は倒さなければならない。
瞬と瞬の仲間たちは、アテナの命令を受け、急遽 敵の本拠地に乗り込んでいったのである。
そこで氷河に会えるかもしれないと、瞬は心ひそかに期待し、同時に不安も感じていた。
瞬は、氷河には会いたかったが、彼と戦うことはしたくなかったから。
期待に反して――あるいは 期待通り、瞬はそこで氷河と戦うことはできなかったのであるが。

アテナの聖闘士たちが乗り込んでいった時、世界の滅亡を企むティターン神の本拠地は 既に もぬけの殻だったのだ。
誰かが――強大な力を持った何者かが、アテナの聖闘士たちの到着に先んじて、そこに打ち集っていた者たちを すべて倒してしまったらしい。
アテナの聖闘士たちが踏み込んだ時、そこにあったのは、熾烈を極めたらしい戦いの跡と、砕かれて使いものにならなくなった武器や闘衣の残骸のみ。
どこかに氷河の(生きている)姿が――最悪の場合は、彼の亡骸が――あるのではないかと、瞬は その古城の中を懸命に探しまわったのだが、そこには 戦いの末に生まれるはずの敗者の死屍は一体も見付からなかった。
ただ一つだけ――見覚えのある鈍色の闘衣が――氷河が その身にまとっていた闘衣が――無傷で、ある小部屋の隅に打ち捨てられていただけで。

氷河はどうしたのか。
小宇宙を備えた戦士であると同時に吸血鬼でもある彼は、どうにかして生き延びてくれたのか。
それとも、塵になって消えてしまったのか――。
アテナの聖闘士が その力を振るうことはなかったが、ひとまず 地上世界に迫りつつあった脅威は消え去ってくれたというのに、瞬の心は少しも晴れなかった。






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