「しかし、未来というのは――こんなに綺麗な少女が こんな飾り気のない質素な服を着て、髪も結い上げずにいるのが普通なのか? 実に もったいない」 アテナの聖闘士たちの主観でも 客観的事実としても 恐ろしく長い沈黙のあと、公爵が ふいにそんなことを言い出したのは、もしかしたら最悪のことを考えずにいるための彼なりの逃避行動の一種だったのかもしれない。 それでもいいと、アテナの聖闘士たちは思ったのである。 それが苦しみによるものでも 悲しみによるものでも、人間の緊張感というものは長く持続しないようにできているもの。 持続してしまったら、その人間は確実に自分の心身に支障をきたす。 長い時間、悲しみや苦しみに支配されているように見える人間は、本気で真剣に悲しみ苦しんでいるわけではなく、脱力しているだけ。 自分が悲しみ苦しんでいたいから、そう装っているだけなのだ。 そういった者たちとは異なり、公爵は この試練を正しく苦しみ、その苦しみに耐えようとしているのだろう。 だからこそ、彼の苦しみには全く無関係に思える そんなことを、彼は話し出したのだ。 そして、もしかしたら、アテナの聖闘士たちを自分の試練に付き合わせるわけにはいかないと考えて。 星矢は、それで少し 公爵に好意を抱いたらしい。 もしかしたら初めて、星矢は公爵に他意のない笑みを向けた。 「18世紀の人間の目にも、女の子に見えるってよ。さすがだな、瞬」 こういう場面でなら、話題が それでも我慢できる。 おそらく 相当の無理をして そんな他愛のない会話に興じようとしているのだろう公爵の健気を 切なく感じつつ、瞬は――瞬も――公爵のために微笑を作った。 「女の子っていうより、子供に見えているんでしょう。きっと公爵の目には、星矢も僕も大差ないものとして映ってるんだよ」 「おまえとおんなじ? そりゃ、光栄っていうか、馬鹿にすんなっていうか――」 「馬鹿に……って、それ、どういう意味」 口をとがらせた瞬の様子が、拗ねた少女のそれにしか見えない。 その事実を告げるわけにはいかなかった星矢は、本気で返答に窮し、本気で返答に窮していることを瞬に悟らせないために、さっさと話題を変えることにした。 「俺たちが子供に見えてるのか 女の子に見えてるのかなんてことは どうでもいいけどさ。俺、ロシアの貴族様ってーと、長い髭を生やしてるもんだと思ってたぜ。ロシアのおっさんって、そういうイメージないか? 風刺画のロシア人って、みんな そうだよな。この にーちゃんは違うみたいだけど」 「星矢は目のつけどころがいい」 「へ」 苦し紛れに持ち出した話題を 思いがけず褒められてしまった星矢が、きょとんとして、天馬座の聖闘士を褒めてきた龍座の聖闘士を見やる。 無駄な雑学の蓄積量では聖闘士一と言われる紫龍は、仲間の疑念に応えるため、お得意の無駄知識の披露を開始した。 「ピョートル大帝はロシアの近代化と躍進への功績が取沙汰されることが多いが、国民の髭を切らせる政策を打ち出したのでも有名な皇帝だ」 「ヒゲを法律で禁じたのかよ?」 「ああ。貴族には髭を切ることを義務づけ、平民の髭には税金をかけたんだ。トルコ同様 ロシアでも、髭は男性性の象徴とされていたからな。相当の反発を受けたらしいぞ」 「へー、ほんとか?」 星矢が感心したように(?)、公爵を振り返り、尋ねる。 公爵は、だが、苦し紛れの星矢の話題逸らしに ついてきてくれていなかった――らしい。 彼は、心ここにあらずの そして、 「少女ではないのか」 と、誰にともなく尋ねてくる。 「にーちゃん、どうしたんだ」 「私は、美しい少女だと……」 「おい、にーちゃん……」 公爵は、どうやら、最初に出会った時からずっと 瞬を少女だと思い込んでいたらしい。 本当に、何の疑いもなくそうだと信じていたらしい。 こうなると笑えない。 笑えないが、笑うしかない。 だから、星矢は笑い、紫龍がそれに続き、瞬も結局は、この甚だしい侮辱を笑って許すしかなかったのである。 公爵と氷河だけが、それぞれに異なる表情で、笑うことをしていなかった。 |