「本日は、ハーデス様が地上に この国をうち建ててから5年が経過し、6年目を迎える記念の祝宴が催されます。主だった廷臣、貴族、軍人、外国の大使等も招かれていて、下々の者にも城の庭を開放、基本は無礼講でとのこと。ハーデス様主催の祝宴ですから、瞬様も必ず出席するようにとの、ハーデス様のご命令です。」
敬称をつけても、ヒュプノスが『瞬様』を侮っていることは明白。
彼に侮られることよりも、敬称をつけて持ち上げられることの方が、瞬は不快だったのである。
『瞬様』への軽侮の念を その言動に露骨に出すタナトスの方が、陰湿さが感じられない分、まだ ましに感じられる。
ヒュプノスは常に真意や感情を隠していて、そのせいで ひどく得体の知れない男だった。

外観も内部の調度類の印象も ひたすら荘厳を追及している この城において、唯一 明るさや軽快さを感じさせる この部屋。
ハーデスが『瞬様』のために特別に設えた部屋だとヒュプノスは言っていたが、所詮は正体の知れぬ権力者から一方的に押しつけられた場所。
白を基調とした広く清潔な室内の印象、凝った意匠の家具や調度、大きな窓からふんだんに射し込む陽光や快い風――それらすべてが、瞬には、ここが牢獄であることをごまかすための道具でしかないように思えてならなかった。

「この国では、貴族も兵士も――ハーデス以外の人間はすべてハーデスの奴隷でしょう。そうと気付かせぬために身分だの地位を与えているだけ。奴隷同士で無礼講も何もない」
取り澄ました顔でハーデスの命令を瞬に語っていたヒュプノスの顔が、瞬のその言葉を聞いて僅かに歪む。
しかし、彼はすぐに 平生の 一見柔和に見える表情で、彼が感じたのだろう不快を覆い隠してしまった。
「聡明も 歯に衣着せぬ正直も大変結構なことですが、度が過ぎると身を滅ぼすことになりかねませんので ご注意ください。瞬様がどう お考えになろうと、瞬様は、この国ではハーデス様以外ではただ一人の特別な方ですよ」
「……」
“ただ一人の特別な方”でない者に脅される“ただ一人の特別な方”。
それを奴隷と言わずに何と言うのか。
瞬は、ヒュプノスの言を真に受けるほど 鷹揚な楽天家ではなかった。

「無礼講の祝典だか何だか知らないけど、僕は そういう騒ぎは嫌いなの。どうしても出席しなきゃならないの」
「それはもちろん、ハーデス様のご命令ですから」
「建国5周年ということは、僕がハーデスに囚われてから5年が経ったということだよ。とても祝う気分にはなれない」
「ハーデス様の後継者として、瞬様がこの城に迎え入れられて5年ということです。これは祝うべきことですよ」
「……」

『ハーデスの後継者として』
それこそが、瞬が最も得心できないことだった。
ハーデスが――自分以外のすべての人間を等しく奴隷と見ているハーデスが、なぜ自分を特別な人間――否、特別な奴隷として遇するのかが。
「ハーデスが来るまで、僕は この都の下町で平凡に暮らしていた貧しい孤児だった。なのに、どうしてハーデスは彼の後継者とやらに僕を選んだの」
「どうしてと言われましても……。ハーデス様が旧王家を滅ぼし、この国を手中に収めたのは、瞬様を手に入れるためでしたから」
「嘘。万一 それが本当のことだったとしても――ハーデスがこの国に侵攻してきたのが僕を手に入れるためだったとしても、なぜ……なぜ僕なの」
「瞬様が、地上で最も清らかな魂を持つ人間だからです」
「そんなはずないでしょう。どうして本当のことを教えてくれないの……!」

この国、この世界に、人は それこそ無数にいる。
その中で誰が最も清らかな魂を持つ人間なのか。
それは神にしかわからないこと――もしかしたら、神にもわからないことである。
そもそも“魂が清らか”というのは、どういうことを言うのか。
どういう論拠と尺度をもって、ハーデスは『この魂は清らかである』と断じることができるのか。
それは、瞬には、強大な力を持つ独裁者が 非力な一人の子供から自由を取り上げる理由に なり得ないものだった。
まだ『おまえは弱者なのだから、強者に虐げられるのは当然のことだ』と言われた方が、納得もできるし、諦めもつく。
だがハーデスは、瞬を あくまでも特別な人間(特別な奴隷)として遇し続けるのだ。

「ともかく、瞬様が必要なのですよ。ハーデス様がこの世界の王となるために。いいえ、ハーデス様が真に望まれていることは、瞬様を地上世界の王にすることだけなのです」
「僕を地上世界の王にする?」
ハーデスの言うことは、あまりに荒唐無稽すぎて信じられない。
ハーデスが尋常の覇王でないことはわかっていたが、世界を支配するなどということは神にもできないこと。
まして、非力で みすぼらしい人間の子供に そんなことができるわけがない。
ハーデスが正気でそんなことを考えているとは、瞬には到底 信じられなかった。
黙り込んでしまった瞬に、ヒュプノスが念を押すようにハーデスの命令を繰り返してくる。

「とにかく、ハーデス様のご命令は確実に実行されなければなりません。深く考えることはない。ハーデス様は、ご自分の後継者である瞬様の美しい姿を皆に見せて自慢なさりたいのでしょう。  お召し物は白がいいだろうとのことです。なぜか人間たちは、白に正義や清浄、黒に邪悪のイメージを抱いているようですので。そして、なるべく簡素で飾りのない衣装で。その方が、瞬様の清らかさが際立ちますから」
「僕をハーデスの寵童や愛人の類なのではないかと勘繰っている者も多い。清廉潔白な賢王のイメージを保つために、僕が公の場に出るのは得策ではないと思うのだけど」
「下種な者には勝手に勘繰らせておけばいい。いずれ地上世界の王となる瞬様の姿を なるべく多くの人間の目に刻みつけておくことは、ハーデス様には非常に有益なことなのです」
「――」

この国にいる限り、ハーデスの命令に逆らうことはできない。
暑さや寒さに苦しめられることのない快適で広い宮殿も、肌触りのいい高価な絹の衣装も、山海の美味が並ぶ食卓も、世界の王の地位も何もいらないから、僕に自由を返して。
そのささやかな願いが叶えられる時は 永遠に訪れないように思われて、瞬は きつく唇を噛みしめた。

「俺たちだって、好き好んで貴様のようなガキのお守りをしているわけじゃないんだ。うじ虫のくせに文句をいうな!」
「タナトス!」
ハーデスの真意はわからず、ヒュプノスの柔和で冷徹な表情の裏にあるものは読み取れない。
ハーデスの命令を伝え終えたヒュプノスが瞬の部屋を辞する際、それまで ただ不愉快そうに仲間の仕事振りを眺めているだけだったタナトスが口にした不満。
その言葉こそが真実なのだろうと思い、僅かとはいえ、真実に触れることができた その一瞬、瞬の胸には むしろ安堵に似た思いが広がった。






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