北の果てにある辺境の国からやってきた若い男が、ハーデスの愛人に懸想して、王宮内で騒ぎを起こした――という噂は、瞬く間に王城を出てシェオル国内に広まった。
ハーデスの登場以来、彼の布く恐怖政治下で ハーデスの力を恐れ怯えることしかできずにいたシェォルの臣下臣民に与えられた、初めてのスキャンダル。
国民は、声を大にして騒ぎ立てることはしなかった――できなかった――が、むしろ だからこそ その愉快な出来事は彼等を楽しませることになったのである。
ハーデスの愛人に岡惚れた外国人が、瞬恋しさのあまり王城に忍び込もうとしては見張りの兵に見付かり 追い払われているという続報が、シェオルの民を明るく沸き立たせていた。

とはいえ――建国6年目にして初めて持ち上がった明るく愉快な行事を楽しみつつも、一部の良識ある国民は、いくら王の愛人に恋狂ったとしても、噂の異国人が 王の力を恐れることなく城への侵入を試みているという続報は眉唾物だと考えていた。
が、それは 燃えるような恋に身を任せたことのない人間の、浅はかな常識的判断にすぎない。
氷河は実際に、瞬に会いたい一心で 幾度も王城内に忍び込もうとし、そのたび見張りの兵に見付かって、城外に追い払われていた。
ほとんど毎晩のように繰り返される茶番劇に、城の衛兵たちも氷河の姿を見付けるなり爆笑するありさまで、誰もが その事態を深刻に受けとめてはいなかった。
氷河の最終目標物である瞬と、ハーデスに瞬の身辺警護を命じられているヒュプノス以外は。

たび重なる侵入劇のせいで緊張感を欠いていた城の衛兵の目を逃れ、氷河が王城の奥にまで忍び入ることに成功したのは、彼がハーデスの愛人に岡惚れした日から20日ほどが過ぎた、ある深夜。
王城の奥にある正賓室で氷河の姿を見付けたのは、見張りの兵ではなく、不穏な気配を感じて城内を巡っていたヒュプノスだった。
「貴様、こんなところにまで……」
「瞬の部屋はどこだ。瞬に会いたい」
「阿呆」
ハーデスを除けば、最悪の人物に不法侵入の現場を見付けられてしまったというのに、そんな寝とぼけたことを言っている氷河に、ヒュプノスは呆れ果ててしまったのである。
だが、その資格のない者に王城内部への侵入を許してしまったとなると、これは放っておくことはできない。
娯楽に飢えている国民には それは笑い話でしかないかもしれないが、為政者・支配者の側に立つ者には、それは権威に傷をつけられ、民の侮りを誘いかねない重大な事件だった。






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