仲間たちの間で、瞬の評価は、“小宇宙は強大だが、実際の戦闘能力は、小宇宙の強大さに比べれば かなり劣るもの”で、ほぼ定着していた。
暗黒聖闘士たちとの戦い、白銀聖闘士との戦い、十二宮戦、アスガルド戦、ポセイドン戦――それだけの戦いを重ねても、瞬が本気で戦うことは数えるほどしかなく――数えるほどもなく――しかも その戦いの場に仲間たちが居合わせたことは一度もなかったから。
しかし、冥界との戦いは、そうはいかなかった。
“今のまま”を終わらせるしかない戦いが、ついに 瞬の許にやってきてしまったのだ。

神話の時代から繰り返されてきた、冥府の王ハーデスと 人間界の守護者である女神アテナとの聖戦。
瞬から“今のまま”でいるという幸福を奪うことになった最初の戦いは、遠大な聖戦の火蓋を切ることになる戦いだった。
といっても、その戦いが 聖域にとっても、冥界にとっても、想定外の――起こるはずのない戦いだったことは間違いない。
冥界軍は、アテナとの直接対決以外の戦いには、人間である冥闘士たちに当たらせ、それで片が付くなら それで片を付けたい――と考えていたはずだったから。
冥府の王は、聖闘士との戦いに出馬させるのは冥界三巨頭まで――という心積もりでいたらしかった。
実際、それは出会いがしらの事故のようなものだったろう。
よりにもよって聖域の ど真ん中で、氷河と瞬は そこで会うはずのない者たちに会ってしまったのだ。

アテナの聖闘士が聖域内で会うはずのない者たち。
彼等は、金色と銀色の髪と瞳――人間には持ち得ない色の瞳を持っていた――彼等は人間ではなかった。

アテナの結界に守られた聖域内に彼等が現われたのは――氷河と瞬が、聖域内で彼等の姿を見ることになったのは――彼等が実体ではないからのようだった。
彼等は、ここにはいない。
にもかかわらず(だからこそ?)彼等の力は強大だったのである。
これまでに数々の死闘を経験し、その戦いの中で 黄金聖闘士や 邪神とはいえ神の意を汲んだ闘士たちを倒してきた氷河が 一撃で倒されてしまうほどに。

その戦いは、最初から氷河には不利なものだった。
人間には持ち得ない色の瞳を持つ金銀の敵が実体ではなかったから、氷河の攻撃は彼等に いかなる力を及ぼすこともできなかったのだ。
彼等はアテナの聖闘士たちに攻撃を加えることができるというのに。
彼等の攻撃は、つまり、物理的なものではなく精神的なもの、人間が生きている三次元世界を超えた場所から飛来する力だった。

「氷河っ!」
身についてしまった習性で、敵の存在に気付いた瞬間、瞬と敵の間に立ちはだかり、瞬を庇おうとした氷河が、どこにいるのかもわからない敵の攻撃を受け、瞬の目の前で 呻き声もあげずに崩れ落ちる。
まさか聖域内で 敵に攻撃を仕掛けられることがあるなどとは考えもせず油断していた自分の愚かさに、瞬はすぐに気付いた。
すぐに 氷河の身を守るために、チェーンで氷河の周囲に アンドロメダネビュラの布陣を敷いたのだが、その防御が有効なのかどうかすら、瞬にはわからなかった。
金銀の敵が繰り出してくる攻撃は、瞬がこれまでに出会った敵たちの攻撃とは、内容も威力も趣も、すべてが違っていた――すべてが異質だった。
何よりもまず、彼等はこの場にいない。
チェーンではなく小宇宙で対抗しなければ、敵に勝つことはおろか、氷河を守ることさえできない。
今 瞬にわかることはそれだけだった。

「聖域に潜り込ませた者たちの様子を 高みの見物してやろうとしていただけなのに、まさか人間ごときに気付かれるとは――。おかげで無駄な力を使ってしまった。さて、うじ虫のことなど放っておくべきか、とどめを刺してやるのが親切か」
「見たところ、アテナの聖闘士の中で最も位階の低い青銅聖闘士のようだが、ただの人間ではないようだ。何か妙な力を感じる。特に チェーンを操っている方、あの者の小宇宙は尋常のものではないぞ。何か特別な――不思議な力に守られている」
「うじ虫の小宇宙に、尋常でない小宇宙も不思議な力もあるものか」
彼等の声――思念――は、彼等の姿――実体ではなく幻想の姿――が見えている場所とは異なる場所から響いてきた。
瞬の目に見える彼等の唇は、瞬の耳に聞こえてくる言葉を発する通りの動きを示しているというのに。
そして、どこなのかわからない場所から、氷河を倒したものと同じ力――攻撃が、瞬に襲いかかってくる。
しかし、それは瞬に達することなく――否、達したのだが、達した瞬間、その力は消滅してしまった。

「小宇宙の力で撥ね返した……? いや、消してしまったのか? これが聖闘士の小宇宙だと? まさか人間ごときに そんなことができるはずは――」
どこかわからない場所で、金と銀の敵が 瞬の無傷に驚いている。
その驚きは、瞬のものでもあった――瞬も、同じ驚きに囚われていた。
瞬は今、確かに本気で小宇宙を燃やし、本気で臨戦態勢に入っていた。
氷河を守るために、瞬は力を惜しんではいられなかったのだ。
だが、自分の小宇宙が敵の攻撃を無効にしたのだとは、瞬にはどうしても思うことができなかったのである。
自分の小宇宙が、外部から加えられる攻撃を撥ね返し 敵に攻撃を加えることはできるが、敵の攻撃を無力化するようなものではないことを、瞬は知っていたから。

「馬鹿な。アテナの結界内とはいえ、俺の攻撃が無効とは――」
「言っただろう。あの者は ただの人間ではない。何かに守られている」
「何かとは、アテナの力ではないのか」
「それとは違う何かだ」
「違う何かとは何だ!」
銀色の敵は、かなり短気な男らしい。
彼は、彼の仲間――もしかしたら兄弟?――の 不確実な物言いに 相当苛立っているように見えた。

「ああ、ちょうど、聖域に潜り込んだ冥闘士たちが来たようだ。あやつ等に任せておけ。獅子は薮蚊を倒すことはできない。薮蚊を倒せるのは、蛙や蜘蛛のような下等な生き物と相場が決まっている。人間の相手は人間に任せるのがよかろう」
不機嫌そうに いきり立っている銀色の男を、金色の男が あやし なだめるように言う。
自分が うじ虫の相手をしていることが不本意だったらしい銀色の敵は、金色の男の言葉に 仏頂面を向けながらも頷いた。
次の瞬間、二人の姿は消え、同時に その声も聞こえなくなった。
金銀の二人に代わって その場に登場したのは、暗い色の闘衣を身にまとった数人の冥闘士たち――だった。
もちろん、実体である。

「冥闘士…… !? いつのまに――」
金銀の敵たちが何者なのかは気になったが、今 自分が最優先で行わなければならないことは 氷河の身を守ること。
チェーンに氷河を守らせて、瞬は新たに現われた数人の冥闘士の方に向き直った。
「今すぐ、退いてください。氷河を傷付けさえしなかったら、僕は今はあなたたちに何もしません」
いったい どうやってこの聖域に入り込んだのか――彼等にアテナの結界を破る力があるとは思えなかったが――ともかく、アテナとアテナの聖闘士の敵が聖域の内にいるのは厳然たる事実。
冥闘士たちが自分の忠告を聞き入れるとは思わなかったが、瞬は一応 彼等に忠告した。
その忠告に、予想通りの答えが返ってくる。
「この状況で、よく そんなことが言えるな。誰にやられたのかは知らないが、おまえの味方は既に倒れているじゃないか。たった一人で俺たち全員の相手をするつもりか?」
「あなたたちが退いてくれないのなら、そうするしかありません」
「自棄になるな。今 俺たちが おまえ等二人を揃って冥界の住人にしてやる」
「氷河に近寄るなっ!」

言葉で言って聞いてもらえるなら、戦いは起こらない。
氷河を守るために敷いたチェーンの防御陣は崩すわけにはいかない――チェーンを攻撃に使うことはできない。
複数の敵から同時に拳を放たれた瞬は、生身の拳を使って彼等に応戦するしかなかった。
「どうして退いてくれないの! ネビュラストーム!」
彼等の力が 黄金聖闘士に遠く及ばず、せいぜい白銀聖闘士レベルなことはわかっていた。
彼等が倒そうとしているのが自分だけだったなら、瞬もネビュラストリームから始めて、もう一度 彼等の説得を試みようとしていたかもしれない。
だが、彼等は氷河に対しても明確に害意を抱いていたので――瞬は悠長に彼等を説得してはいられなかったのである。
氷河に危害を加えられそうになって、少々 冷静さを欠いていたところもあった。

自分が冷静でないことに気付き、慌てて嵐を止める。
だが、時既に遅く――瞬が正気にかえった時、瞬の目の前にあったのは、瞬と氷河に攻撃を仕掛けようとした冥闘士たちの息があるのかどうかもわからない姿と、無残に砕け散った彼等の冥闘衣だった。
そして、かろうじて瞬が作りだす嵐に呑み込まれずに済んだらしい星矢と紫龍の ぽかんとした顔。
“小宇宙は強大だが、実際の戦闘能力は 小宇宙の強大さに比べれば かなり劣る”聖闘士。
そう信じていた仲間の容赦のない戦い振りに、彼等は驚き――むしろ、呆れて?――二の句が継げずにいるらしい。
「あ……あの、これは実は……」

この状況をどう説明したものか。
本当のことを言うしかないか、それとも“今のまま”を守るために適当な言い訳をすべきか。
だが、何と言えばいいのだ――?
か弱いお姫様(だったはず)のアンドロメダ座の聖闘士の豹変に呆然としているらしい仲間の前で、今 自分がどう振舞うべきかを迷った瞬は、だが、結局 その答えにまで行き着くことができなかったのである。
瞬が その答えに行き着く前に、突然 星矢が か弱いお姫様(だったはず)の仲間に向かって 拳を放ってきたせいで。

「ペガサス流星拳ーっ!」
「せ……星矢…… !? 」
ほとんど光速に達している星矢の拳。
避けることは不可能だった――瞬は、自分の周囲に強力な気流を巡らせて、その拳を撥ね返すしかなかった。
「星矢、どうしたの、僕だよ!」
「どうしたの? それはこっちのセリフだぜ。ペガサス彗星拳ーっ!」
「星矢、やめてっ。ネビュラストリーム!」
星矢が、重ねて攻撃を仕掛けてくる。
その拳の力は冥闘士の拳の比ではない。
瞬は、我が身を守るために、自分の周囲に生んでいた気流を、星矢の動きを封じる それに変えることを余儀なくされた。
瞬の小宇宙が作り出す激しい気流に全身を絡め取られ 息ができなくなったのだろう星矢が、苦しげに その顔を歪める。

「星矢、どうしたの! まさかハーデスに操られて……?」
「じゃねーよ。この気流、止めろ、ばかたれ」
「えっ」
どうやら星矢は 敵に寝返ったのでも、敵に操られているのでもないようだった。
いつも通りの星矢の声と口調と言葉。
瞬は慌てて 星矢の周りに巡らせていた気流を止めたのである。
自由に呼吸ができるようになった星矢が――星矢の肺が――酸素の取り込みと 二酸化炭素の排出のどちらを優先させるべきか迷ったように、幾度も大きく咳き込む。
「せ……星矢、大丈夫っ !? 」
急いで仲間の許に駆け寄った瞬に、やっと通常の呼吸ができるようになったらしい星矢が、ぼそりと一言。
「おまえ、滅茶苦茶 強いじゃん」
「え……」

我知らず、顔が強張る。
星矢が突然 仲間に向かって拳を撃ち込んできたのは、自分の目の前にある光景を素直に受け入れることのできなかった彼が、事実を確かめるために――仲間の実力を確かめるために――為したことだったらしい。
もう これ以上、“今のまま”を維持することは不可能。
か弱いお姫様だったものを、強大な力を持つ魔王を見るような目で見詰め 見下ろす星矢と紫龍の前で、瞬は その時が来てしまったことを悟ったのだった。






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