「時々……瞬が女の子だったらよかったのにと思う」
瞬と入れ替わりにラウンジに戻ってきた男が、瞬が出ていったドアを見詰め、しみじみした口調で呟く。
使えない男は、やはり瞬の話を聞いていたものらしい。
人の話を盗み聞く機転はなくても、聞こえてくるものを聞く能力は、氷河も備えていたということなのだろう。
瞬は、それを自分の勝手な憶測と思っているようだったが――実際それは物的証拠も自供もない推測の域を出ないものだったのだが――それでも その内容は正鵠を射たものだったのだろう。
あるいは、それは、氷河自身も気付かずにいた真実だったのかもしれない。

「瞬を見知った男は、大抵 そう思うんじゃないか? 人当たりがよくて、優しくて、可愛くて、何より瞬は 人の心を思い遣ることを ごく自然にしてのける。おまえのご希望の情熱的な恋なんてのは無理かもしれねーけど、瞬は いつまでもずっと一緒にいたいって人に思わせるとこのある奴だよな」
ソファに腰を下ろすこともせず、瞬が出ていったドアを名残惜しげに見詰め続けている氷河の背中に、星矢は告げた。
氷河が仲間の方を振り返ることなく、ごく浅く頷く。
そうしてから、彼は、
「瞬は、性別以外は完璧なんだ」
と、それこそ瞬に聞かれたら かなりまずいことになりそうな問題発言をした。
そんなことを心底から悔しそうに言われても、星矢としては“困る”以外に、どんなこともできなかったのだが。

どれほど少女めいていても、へたな良家のご令嬢より優しくて綺麗でも、星矢は、瞬が男だから 気の置けない仲間として、瞬に接していられたのだ。
“性別以外は完璧”という氷河の言葉に、星矢は絶対に賛同できなかった。
瞬は男だからいいのである。
男でいてくれないと困る――どう接すればいいのか わからない。
瞬は 男でいるからこそ、欠点がないという欠点すらない完璧な存在なのだ――それが星矢の本音だった。
そう思う一方で、氷河の気持ちも わからないではないので、星矢の心は複雑だったのである。
否とも応とも言えずにいる星矢に代わって、三煎目のお茶をいれた紫龍が口を開く。

「玉にきずというやつか。素晴らしい宝玉に 瑕が一つ――」
そう告げる紫龍の口振りからは、だが 彼が瞬の性別を“瑕”と思っているのかどうかは窺い知れなかった――少なくとも星矢には。
案外 紫龍は、そんなことは どうでもいいことだと考えているのかもしれないと、星矢は思ったのである。
「ああ。そういえば、“完璧”の“璧”というのは“瑕のない玉”のことだぞ。『史記』の藺相如伝にある和氏の璧のことだ」
紫龍が氷河の胸中を探るように、言葉を重ねる。
そんなものを探って何になるのかと、星矢は少しく苛ついた。

「そんなのどうでもいいことだろ。瞬の性別が瑕かどうかは さておいて、瞬と違って欠陥だらけのおまえに完璧な恋なんて無理に決まってるんだから、叶わぬ夢を見るのはやめとけ やめとけ」
瞬の性別が瑕なのだとしても、瑕があるからこそ一層 美しく見える宝玉も、この世にはあるだろう。
瞬は 今のままの瞬でいいのだし、それ以外の瞬になることはできず、それ以外の瞬になる必要もない。
そして氷河は、完璧な恋など夢見ることは やめるべきである。
それが、地に足の着いた星矢の、極めて現実的な結論だった。






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