仲間の忠告にもかかわらず、氷河は“完璧な恋”を諦めなかった。
それとも彼は、彼の恋が“完璧でない恋”でもいいと考えるようになったのか。
あるいは、単にそれが断わりにくい相手だったのか。
それから1週間後、氷河は懲りずに幾人目かの良家のご令嬢とのデートに出掛けていったのである。
「ほんっと、諦めの悪い男だよなー」
「さすがはアテナの聖闘士というべきか」

瞬ですら“完璧な恋”の相手にはなれないのに、一般人の中に“瞬以上”がいることを期待するのは無謀である。
氷河は今日もまた 不機嫌な顔を その首の上に乗せて帰ってくるに違いない――。
そう決めつけていた星矢と紫龍は、だが、その日 帰宅した氷河から思いがけない報告を聞くことになったのである。
「今日のご令嬢は どういう方向に変人だったんだ?」
と尋ねた星矢に、氷河は、
「明日また会う約束をしてきた」
と 答えてきたのだ。

「えええええーっ !? 明日また会う? それって まじかよ! きょ……今日のおまえのデートの相手って、どんな女だったんだ !? 」
氷河の求めるものが“完璧な恋”の相手だというのなら、氷河は決して そんなものに巡り会うことはできないだろう。
そう決めつけていた星矢には、氷河のその報告は まさに青天の霹靂、まさしく あり得ないものだった。
常識的に考えて、人の世には“完璧な恋”も“完璧な人間”も存在しない(もし本当に“完璧”であったなら、それは人間ではないだろう)。
だというのに、“完璧な恋の相手”だけは存在したというのか――。
氷河の仲間たちの驚きは、至極 当然のものだったろう。

「作家だそうだ。話していて、まるで退屈しなかった」
「作家? 年上なのか?」
「いや、かなり若い。デビューしたのが高校生の時だそうだから。彼女の祖父が、発行部数が3万まで落ち込んだ某雑誌を100万部にまで増やして廃刊の危機を救ったこともあるカリスマ編集者で、その娘――つまり、彼女の母親も小さな出版社を経営しているんだ。落ちた原稿の穴埋めに、 苦し紛れで 当時高校1年生だった娘の手慰みの短編を載せたら、それが好評で、そのままプロデビューしたらしい。デビューから5年で新書や単行本が8冊出ていると言っていたから、売れてはいるんだろう。まだ学生だが、家を出て独立、生活費も学費も自分で稼いでいるとかで、自立心旺盛な女だった。少し変わったところもあったが」
「へー」
氷河のその言葉を聞いて、星矢は、『完璧な恋の相手など存在するわけがない』という考えを放棄することになったのである。
“変わったところもあった”のに また会う気になったのなら、作家の彼女は もしかしたら本当に“完璧な恋の相手”なのかもしれない。少なくとも氷河にとってはそうなのかもしれない――と。

氷河は本当に作家の彼女が気に入ったようだった。
彼女に会えることが、彼には非常に喜ばしいことであるらしい。
デートから帰ってきた時、これまでは常に不機嫌で、刺々しささえ たたえていた氷河の声、瞳、表情、所作が、今日は まるで人生の重荷がすべて消え失せたかのように明るく軽快。
今日の氷河は、“不機嫌ではない”のではなく“上機嫌”だった。

「すげー。奇跡って起こるもんなんだな。やっぱ、夢は諦めちゃいけないってことか」
「ああ、そうなのかもしれない」
氷河が『もちろん そうだ』と断言してこないことが、逆に、本当に氷河の上に奇跡が起こったことを、彼の仲間たちに信じさせる。
これは まさに、次から次に襲い来る変人の群れに耐え抜いた氷河の根性のたまもの。
星矢は、氷河の執念に大いに感心することになったのだった。


「まあ、これで氷河も、瞬が女だったらなんて実現不可能な夢は見ずに済むってことで――瞬?」
『完璧な恋人に出会えた喜びを一人で噛みしめたい』と はっきり言ったわけではなかったが、そうであるに違いないと思える足取りで氷河がラウンジを出ていくと、星矢は 改めて 氷河の執念と 夢の成就について語るべく、仲間たちの方を振り返った。
そうして、星矢は初めて気付いたのである。
氷河の完璧な恋が始まった記念すべき今日のこの日、瞬が 仲間の門出(?)を少しも喜んでいるように見えないことに。
喜んでいるように見えないどころか、瞬の表情は むしろ悲しげ――あるいは 寂しげと言っていいようなものだった。

「何だよ。初めて氷河の気に障らない女が出現したらしいのに、おまえ、あんまり 嬉しそうじゃないな」
「そ……そんなことないよ」
星矢の疑念を、瞬は一度否定した。
かなり ぎこちない口調で。
そうしてから、心許なげな視線を星矢に向け、力なく その瞼を伏せる。
「僕……心のどこかで、氷河が幸せになるのに 僕が力を貸せたらいいな……って思ってたみたい。氷河の夢は叶ってほしいけど、氷河が僕たちとは全然関係ないところで幸せになることが、ちょっと寂しいっていうか、僕は氷河のために何もしてあげられないんだって 無力感を覚えるっていうか――」
「それは――」

切なげな目をした瞬に そう言われると、(星矢自身には そんな気持ちはなかったが)氷河の夢の実現に無力感を覚えるという瞬の気持ちは、星矢にもわからないではなかった。
命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間。
つらいこと、苦しいこと、悲しいことを、常に共有してきた、かけがえのない仲間たち。
そんな仲間と 喜びや幸福感を共有共感したいと願う気持ちが 瞬の中に生まれることは、さほど不思議なことではない。
たとえば、仲間の協力や応援によって氷河の恋が実る――というようなシチュエーションを、瞬は経験したかったのかもしれない。
だというのに、氷河は、自分だけの努力と根性で、自分だけの恋と幸福を手に入れてしまった。
それが、瞬には寂しいことに感じられてしまうのだろう。

しかし、こればかりは致し方のないことである。
現に氷河は、彼一人の力で その夢を叶えてしまった。
まさか、もう一度 仲間たちの協力のもと、夢を叶え直せと言えるものではない。
「まあ、こればっかりは仲間にも協力できることじゃねーし……。恋以外のところで、氷河の力になれることは、俺たちにも何かあるだろ。それこそ、戦場で氷河のピンチを救うとか、氷河の恋が ご破算になった時に励ましてやるとか」
「ん……うん、そうだね。僕たちは、何があったって、いつまでも仲間だよね……」
瞬も、自分の望みが一方的で我儘な望みだということは わかっているらしい。
少し無理をしている感は否めなかったが、それでも確かに笑顔と呼べるものを、瞬は星矢に返してきた。






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